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AFCアジアカップの歴史


こんにちは、嘉瀬遥です。

今回は、久しぶりにサッカーの記事を書きます!

現在、カタールでAFCアジアカップが行われていますね。
ベスト8が出揃い、日本代表も順当に勝ち進んでいます!

いろんな報道がありますが、数字をつくればすべてが覆ると思いますし、私はどんな日本代表も応援すると決めています。


ただ、簡単に勝てないのがアジアでの戦いです。
これまでも様々な歴史的一戦を残してきている大会ですので、今回はアジアカップの歴史について振り返ってみたいと思います。


まず、アジアカップは、1956年に第1回大会が香港で行われ、以降ほぼ4年ごとに開催されています。
最多優勝国は日本で4回、前回優勝国はカタールです。

日本が優勝したのは、1992年、2000年、2004年、2011年です。
私が記憶にあるのは2004年と2011年なので、その2大会にフォーカスして書いていきます。

2004年は中国で開催されました。
この大会で1番印象的だったのは、準々決勝のPK戦です。
日本は中村俊輔選手、三都主アレサンドロ選手が連続失敗してしまいましたが、キャプテンの宮本恒靖選手が審判に芝生の状態がフェアでないことを英語で抗議し、ヨルダンの2人目からPKサイドが変更されました。
PK中にサイド変更する光景は初めてだったので今でも覚えています。
そして、互いに3人目が終わった時点では、1-3でヨルダンがリードし、次を決められたら日本が敗退するという状況でしが、ここで活躍下のが、川口能活選手です。
まさに神がかったセーブを連発して、7人目まで縺れ込んだPK戦は4-3で日本が勝利しました!

2011年はカタールで開催されました。
この大会で1番印象的だったのは、決勝戦です。
延長後半4分に李忠成選手が代表初ゴールとなるボレーシュートを決めました。
まさにお手本通りのボレーシュートでしたし、怪我人も多い大会だったからこそ、総力戦で勝ち取った優勝でした。
準決勝で韓国に、決勝でオーストラリアに接戦での勝利を挙げての優勝はとても嬉しかったのを覚えています!


さて、今大会も残り3試合!
今後のスケージュールは以下です。

準々決勝
2/3(土)20:30キックオフ(日本時間) vs イラン

準決勝
2/8(木)0:00キックオフ(日本時間)

決勝
2/11(日)0:00キックオフ(日本時間)


この数年、世界へ衝撃を与えている日本代表はアジアの頂点をとるべき存在だと思います!

皆さんも一緒に応援しましょう!!!


いつもありがとうございます♪


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