AKATSUKIジャパン躍進、陰のの功労者


こんにちは、嘉瀬遥です。

FIBA バスケットボール ワールドカップでのAKATSUKIジャパン躍進により、連日大盛り上がりでしたね!

まだまだワールドカップは続いていますが、日本の躍進のキーパーソンについて今回は書いていきたいと思います。


日本はアジア勢で最上位の成績を収め、来年のパリオリンピックへの出場権を獲得しました。
自力でのオリンピック出場は、1976年モントリオール大会以来48年ぶりとなります。

私も友人とスポーツバーで観戦し、大いに楽しみました!
普段バスケを見ていない人たちにとっても、バスケのおもしろさを知る最高の機会になりました。


このように日本中がバスケで盛り上げれた背景に、川淵三郎氏の存在はとても大きいと言われています。

川淵三郎氏について簡単に紹介させていただきます。

川淵氏といえば、サッカーファンのあいだでは「キャプテン」として親しまれています。

元サッカー日本代表でもあり、1964年の東京オリンピックでは強豪アルゼンチンを相手に1ゴール1アシストを決めるなど、チームの逆転勝利とベスト8進出に貢献。
1980年~1981年に日本代表監督。
1988年にJSL総務主事、JFA理事に就任し、日本サッカーのプロ化を牽引。1991年にJリーグ初代チェアマンに就任し、「日本サッカーの強化」と「地域スポーツの振興」に注力。
1994年にJFA副会長。
2002FIFAワールドカップの日本招致と開催成功に尽力。

私はサッカーが大好きなので、川淵氏=サッカーというイメージをもっていました。

そんな川淵氏がバスケットボール改革を断行し、2016年にBリーグを創設。現在は日本トップリーグ連携機構の代表理事会長としてボールゲーム9競技12リーグの活性化などを担っています。

川淵氏がバスケ界に参画したときは驚きました。
日本バスケは、企業チームを中心としているNBLと、とにかくプロ化を目標としていたbjリーグといった方向性が合わないリーグが国内に2つあるという異常事態が約10年も続いていました。
ついには2014年にFIBAからJBAの国際舞台への資格停止処分が下されました。

そこで白羽の矢が立ったのが、日本サッカー協会の元会長であり、Jリーグを国内スポーツの代表格にまで押し上げた川淵氏でした。

バスケット界に特別なしがらみを持たない川淵氏の強力なリーダーシップにより、2016-17年度シーズンからBリーグ(ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ)が発足しました。


あのとき川淵氏に日本バスケ界の再建を託していなければ、今回の躍進はなかったと言っても過言ではないと思います。


選手はもちろん、スポーツ業界のために尽力されている方がたくさんいることを忘れてはいけないと改めて思いました。


ワールドカップはまだ続きます!
世界レベルのプレーを目に焼きつけ、そして来年のパリオリンピックも皆さんで応援しましょう!!!


いつもありがとうございます♪


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