【連載小説】狂恋 第18話
百花が呆れた顔で、草子を見ていた。
お腹がすいたと草子が言ったので、百花が美味しくはないがただただ安いというラーメン屋に連れてきてくれたのだ。なのに草子が、美味しい美味しいと言いながら、ラーメンを凄い勢いで食べているからだ。
「草子さん、強いよね」
「強くないよ」
「強いよ。あんな目にあったのに、ラーメン食べてる」
「食べる事は、生きる事だから」
百花は、尊敬の混じった視線を草子に送りながら、
「……あたしは弱かった」
「弱い?」
「あたしんち、父親の虐待がひどくてさ、理由もないのに殴られる毎日から逃げ出したんだ」
「逃げて正解だよ」
「逃げないと殺されるって思った」
「逃げる事は弱さじゃないよ」
「うん。草子さん見てたらそう思えるようになった」
「負けて勝つ」
「それなに?」
「私の好きな言葉」
「負けて勝つ……か。なんかいいね」
草子は、お腹が膨れると勇気も湧いてくるものだと、自分に呆れつつ、でもそんな自分も好きだと思えた。
「食べたらまた探すよ」
「田中さんだっけ」
「たぶん偽名だと思うけど」
「やっぱ強いね。草子さんは」
呆れながらも優しい視線を向けてくる百花を、草子は好きだと思った。
草子は病院の中庭のベンチに腰掛け、空を見上げ、足をブラブラさせていた。少し離れたところで百花が見張るように立っている。
ここは危険だよと心配する百花に、草子はVサインを送って笑って見せた。
また夫が現れるかもしれないが、今度はなぎ倒してやる。草子は猛獣のような心で決心していた。
今度は負けない。
あたしは早くあの男を見つけなければいけないのだ。あの男の命が消えてしまう前に。
それからの草子の毎日は、病院の中庭で足をブラブラさせる為だけのものになった。
夜はネットカフェに戻り、朝まで働いた。お金がなくなった草子に、百花が労働を勧め、カウンターにいた青年がオーナーに頼んでくれたおかげで店で働ける事になったのだ。住所不定の女を雇ってくれる店なんて、この世の中にはないと思っていた草子にとっては、有り難い話であった。
ネットカフェには、いろんなお客がやってくる。電車に乗り遅れたと駆け込んでくるOLや、草子と同じように戻る家がない若者や、家に居場所がないとぼやくおじさんや、ラブホテルにいくお金がないからというカップルだったりと、ここは様々な人間達が集う場所だと、草子は面白く感じていた。
草子は一瞬の出会いを大切にした。お客さんの中にはもう二度と会う事もないであろう人達もいる。そういう人達が、ほんの少しでも記憶の片隅に残してくれるようなサービスをしようと草子は心がけていた。
働く、そしてお金をもらう。
食べる、眠る、笑う。
草子は、そんな単純でシンプルな毎日に喜びを感じていた。
以前とは比べものにならないぐらい、お金がない。物が買えない。机の上に小銭を並べて数える日々。だけど、草子は自由だ。
過去にも働いた経験はあった。だが、あの頃は、働くという事が当たり前の日常でしかなかった。皆がそうしているからそうするという感覚でしかなかった。
今初めて草子は、自分の意志で働いている。自分の頭で考えて、仕事をしている。
生きているという感触をしっかりと掴んで生きているのだ。
百花はネットカフェの近くのコンビニで働き始めた。草子を見ていると働かないといけない気持ちになっちゃったじゃないかと恨めしそうに、でも楽しそうに言って笑った。
草子は、お金を貯めて部屋を借りていつか自分の家を持とうと、百花と約束した。
人間は小さくても目標を持つと、身体の奥から力が湧いてくるものなのだと、草子は初めて知った。
今日も草子は、病院の中庭のベンチで足をブラブラさせていた。朝まで働いて、三時間だけ寝て、ここにくるのだ。こんな毎日が一ヶ月以上。さすがに、草子も睡魔には勝てず、こっくりこっくりと舟を漕ぐように揺れ始めた。
誰かが髪を触っている。
草子は半分夢の中で、あの男の手を感じる。
夢なのかもしれない。夢なら起きるものかと、草子は踏ん張ってみた。でも夢でないなら早く目覚めなければ、男がいなくなってしまう。
(つづく)
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