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【元教員の昔話】①全ての始まり、始業式


こんにちは、ハルジマです。
【元教員の昔話】として、わたしが十年とちょっとの間、小学校の先生として働いたときの思い出話を綴っていきたいと思います。
教師の仕事に興味のある人、教師になったものの悩んでいる人、教師の仕事の実態を知りたい人……そんな人に読んでいただきたいと思います。

他の記事でも書いている通り、わたしは不登校でした。
小、中、高と学校にほとんど行っておらず(高校は普通→通信制高校でした)、大学でやっと学校に通うということができた人間です。
文章を書くのが好きで、文学の勉強をしたくて大学を選びました。
母が小学校の教師をしており、その忙しさを間近で見ていたので、「先生」という仕事には絶対に就かないぞ、という強い意志があったのですが……。
一応教員免許だけは取っておくか、と軽い気持ちで選択した教職課程の中の講義で、ある講師の先生が言ったのです。
「今、本気で先生になりたい人も、免許だけ、と考えている人も、実際に子どもと触れ合ってみてください」
――確かに。
子どもと触れ合わないと、自分が向いているのか向いていないのか、免許を取るのもムダになるのか、わからない。
納得したわたしは、早速、夏休みの間に募集していた、学童保育のアルバイトに応募しました。

これが、めちゃくちゃ、たのしい!!!!!!!

子どもたちの純粋な顔。
全く同じ一日がないこと。
昨日よりも確実に成長していること。
特に印象に残っているのが、ある男の子のことです。
夏だったので、やたら虫を捕まえていたので、「ほどほどにしないと虫がかわいそうだよ」と声を掛けたのですが、「大丈夫!」といった調子でした。
虫かごにパンパンになった虫……。
翌日、案の定、虫かごの中で飛び回っていた虫は、一匹残らず骸となっておりました……。
その様子を見て、少年はしょんぼりとしながら、「たしかに、かわいそうだったね……」と言ったのです。
こうして、経験を通して、成長する姿がとてもキラキラと見えました。
子どもたちと遊ぶことも楽しかったのですが、宿題を通して勉強を教えて、「わかった!」と言ってくれる笑顔を見る瞬間が、何よりも達成感があり、「ああ、先生っていいな」と思いました。
これが、わたしが、「小学校の先生」を進路に選んだきっかけです。
……小説家を目指すよりも、公務員の安定を選んだという部分もあります。

学童保育のアルバイトが終わった後も、公募していた小学校でボランティアをしたり、中学校の不登校支援のボランティアをしたりと、色々な形で子どもたちと関わりました。
教育実習を含めて、大学在学中に、7校ほどの小中学校と関わらせていただきました。
どの学校の先生方もやさしく受け入れてくださって、感謝しかありません。
(そして当時の自分の振る舞いを思い出すと……ひどい学生でした……)
みなさん、学校に行くときは、どんな形式であろうと、スーツが基本ですよ。いいですか。ひらひらしたスカートなんかで行っちゃいけませんよ。わかりましたね。

自分史上一番と言って良いほど勉強を頑張って(これほどまでに、「学校に行っておけばよかった」と思ったことはありません……。なんせ、学校の勉強をほとんどしていない中での、小学校全教科のテスト対策なので……)、無事に採用試験が受かったときは、本当に涙が出ました……。
※ちなみに、自己採点では全科の試験はひどい有様でした! 経験です! 志望動機と論文や経験のほうが、試験の結果より重視されるはずです!! 経験しましょう!!!!!
当時のわたしが頑張った採用試験対策は、また別の機会にお話させていただければと思います。

さて――

無事に採用が決まり、初任校へと挨拶に行き、もう4月1日から正職員として働き始めます。
このときの学年主任が、それはもう最高に素敵でやさしい女神のような方で、今でも尊敬している大好きな先生で、それは本当に幸運だったなと思います。この学年主任でなければ、わたしはきっと、一年目で先生という仕事を辞めていたと思います。

初めて受け持つ学年は、2年生でした。
全学年が2クラスの比較的小さな学校です。
若い先生と、ベテランの先生と、半々ぐらいの比率でした。
同じ初任として、ひとり、個性的な男性もいました。
若い先輩方も、みなさん優しくて、始業式を前に緊張しているわたしに、ひとりの先輩が掛けてくださった言葉を、今でも覚えています。
「今日はきっと、一生忘れない日になるよ」
――その通りでした。
夢にまで見た小学校教師としての、第一歩。
全ての始まり、始業式。
そして子どもたちの出会いの場――学級開き。
今まで出会ってきた子どもたちの顔が、浮かんできます。
どんな子たちなんだろう。
どういう風に迎え入れよう。
学年主任と段取りを話し合い、その通りになるかドキドキしながら、始業式を迎えます。
始業式の場は、正直、緊張しすぎて何も覚えていません。
体育館から、子どもたちを連れて教室に行き――
その後のことは、鮮明に覚えています。

わたしの自己紹介のあと、子どもたちにそれぞれ自己紹介をしてもらう時間。
早速、椅子に座らずに床に寝そべっている子。
自己紹介なのに、何故かいきなりキレ出して前の席の子を殴り始める子。
わお、カオス!!!!!!!!!!!!!!

大学在学中に7校も経験しているのだから、多少のことには動じない自信がありました。
一年生のクラスでは、午後の授業の時間に、机いっぱいよだれまみれにして爆睡していた子もいました。
まさか、大学新卒一年目のぺーぺーに、そんな大変な子たちがいるクラスを当てがわれることはないだろう……、そう、思っていました……。

「このクラスを一年やり抜けば、十年分の経験になるよ」

別の先輩の言葉ですが、これもまた、一生忘れられない言葉になりました。

確かに――12年間の経験の中で、初任のクラスを超える混沌とは、出会えなかったです。

個性豊かな子どもたちは、けれど、とってもかわいくって。
保護者の方も、理解あるやさしい方々ばかりでした。

「ぼくは先生が憎いんだ、殺してやる!!」
「今日はハルジマ先生のお葬式の日でーす」
「あなた、この仕事、辞めなさい」

全て、実際に言われた言葉です。
いやー、しんどかったですね。
学年主任が、いつも寄り添ってくださって、話を聞いてくださったので、なんとか堪えることができました。

でも、子どもたちは、ほんとうにかわいいんです。

心がくじけそうになったとき、「先生、だいすき!」と言ってくれる子がいたり。
もう駄目だ辞めようかな、と思ったときに、出張帰りに、「先生、おかえりなさい!」と、黒板いっぱいにメッセージを書いてくれていたり。
そういったプラスの方が大きくって、なんとかかんとか、このクラスを一年間、やりきることができました。

子どもや親、授業のことで悩む分には、割り切ることができました。
一番つらかったのは、大人の人間関係です。
次回は、この、「大人の人間関係」の部分を、細かく書いていきたいと思います。

……先生って、すごく、いい仕事ですよ!!! 
もし、何かに悩んでいる方がいれば、わたしで良ければお話を聞きますので、お気軽にコンタクトをお取りくださいませ。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
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