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小説 私だけの世界 Ⅲ、崩壊④

 午後は、私ひとりきりだった。弟はまた遊びに出かけ、母はパートに行った。

 家の中でひとりきりだと意識すると、いつもはそう感じないのに、ざわざわと落ち着かなくなった。まだ、午前中の気持ち悪さが尾を引いているのかもしれない。だいぶ薄らいできたとはいえ。

 だから、私は外へ出ることにした。気分転換をしたかったのだ。

 本当は、あの商店街に行って、路地裏を通って土手に出るコースを歩きたかった。

 けれど、またあの少年がいたらと思うと、どうしても足が向かない。

 実は、少年と会ってから、再びそこへは行っていない。お気に入りの場所だというのに、そこに行けないことが悔しく、そうさせた少年のことが恨めしかった。

 しかし、そこに行けないとすると、どうするか……。

 いろいろ考えて、私は、駅前に行こうと思いついた。あそこならたくさんお店があるし、映画館もあるから、暇を持て余すことはないだろう。それに、ここのところ勉強三昧で出かけてないから、お小遣いはまだ残っている。

 駅前に行くと、人でごった返していた。それと、広場の像の前で待ち合わせをしているのであろう人の姿もちらほら見えた。

 私はそれを横目で見て、まっすぐ通り過ぎようとした。たぶんデートの待ち合わせだろう。午前中に待ち合わせて、一緒にお昼ご飯を食べるとかじゃないんだ――などと、その方面の知識も経験も乏しい私は考えた。

 いつもはそんな人たちに関心を持ったりしないのだけど、今日は、ひとりで心細いような感じがするから目を向けたのだろうか。

 その時、私は思わず立ち止まってしまった。目で見ているものを頭で理解するより早く、心臓が高鳴り始める。

 どうして、ここに。

 いや、なぜここにいるかはどうでもいいのだった。この偶然に驚くほかない。

 何度目を凝らしてみても、見間違いじゃない。というか、私が見間違うはずないのだ。学校では毎日、ついつい目で探してしまう人なんだから。

 それは、駿河くんだった。

 相変わらず、夏でも他の男の子より肌は白かった。その色白の左手につけられた腕時計に、目をやっている駿河くん。

 彼の真剣そうな目に、私は思わずどきっとした。

 そして、男の子の服のことはよくわからないけれど、センスがいいんだろうなと感じられる私服。シンプルだけど、清潔感がある。……私服の駿河くんを見られるなんて、すごくラッキーだ。

 それになぜか、制服姿より私服姿の駿河くんのほうが、男の子らしかった。私服には個性が表れるからだろうか。誰にも話したことはないけれど、実はすごく頼りになる男の子だってことが、彼の内面から現れているのだろうか。

 心臓は変わらず高鳴っている。

 広場の像の前に駿河くんがいるということは、待ち合わせをしているのだろうか。相手は――誰だろう。よく一緒にいる、「山本」と「佐野」と呼んでいたあの二人の男の子だろうか。それとも……

 私は、さっき考えていたことを思い出す。

 まさか、デート?

 さあっと、自分の顔が青ざめる気がした。

 いや違うだろう……と思いたいけれど、否応なしに思い浮かべてしまうのは、顔も知らない橋田さん。

 まさか、そんなことが? 

 でも、橋田さんはきっと、そういうことになったら、亜梨沙に話すんじゃないだろうか。そうしたらきっと、私も亜梨沙の様子でなんとなくわかるはず。たぶん。そう思いたい。

 それでも、駿河くんの待ち合わせの相手が気になった。相手が誰なのか確かめよう。

 そう思って、私はさりげなく、駿河くんの近くに立つ。近くといっても、至近距離じゃない。

 近くになんて、とてもじゃないけれど、寄れない。駿河くんが見えるところなら、それでいいのだ。

 ちらちらと、駿河くんのほうへ目をやる。なんだか緊張している。不意にこっちを見たらどうしようと、あるはずもないことを考えてしまう。

 そうして、どのくらい経っただろう。うかつにも時計を見ていなかったので、数分しか経っていないのか、それとも十分くらいは経ったのか、正確には分からない。私の勝手な判断だと、まだそんなに経っていないような気がするけれど。

 駿河くんが、スマホを取り出した。そのカバーは綺麗な風景画だった。青い空に白い雲、生命を感じさせる大樹。

 メッセージでも送られてきたのだろう、彼は真剣そうにスマホを操作している。そして、しばらくすると、スマホを仕舞った。

 そのまま待ち続けるのだろうと思っていたら、違っていた。駿河くんは、広場を出たのだ。

 一瞬迷ったけれど、私は追いかけなかった。

 駿河くんに沈んだ様子などはなかったから、たぶん、相手の都合で待ち合わせ場所を変更したのだろう。彼のあとを追えば、待ち合わせの相手が判明するはずで、それが誰なのか、今でも気になっている。

 けれど、追いかけていくのは気が引けた。そこまでするのは恥ずかしいし、私の脳裏に「ストーカー」という単語が浮かんだのだ。

 それに、夏休み中に駿河くんを見かけることができて、それだけで満足だった。だから、もう充分なくらい幸せだった。

 大げさかもしれないけれど、午前とお昼の間、恐怖の底にいた私にとって、彼は救いの主に思えた。

 ふと、駿河くんは私に気づいただろうかと考えた。今日は気づかなかっただろう。一度もこっちを見ていないから。

 でも、学校ですれ違った時は? 気づいただろうか、私に。前に一度だけ、助けた同級生に。

 覚えていないだろうか。あんな一瞬、たった数分のことを。

 けれど私は、今でも覚えている。あの時、私をかばってくれたこと。あれをかっこいいと言わないなら、なにをかっこいいと言うのか。

 駿河くんが、少しでも私のことを覚えてくれていればいいな。

 彼が消えていったほうをもう一度ちらっと見てから、私はぶらぶらと駅前を歩き始めた。


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