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小説 私だけの世界 Ⅴ、真実②

 少年はなにか言いたそうだったけれど、私が目を逸らして無視を決め込んでいると、やがて諦めたらしい。彼も素直に説明を続けることにしたようだ。

 「……お前の無意識が小世界に反映されているということまでは話したな? 

 おそらく今も、お前の無意識と小世界は結びついている。小世界はお前の意思次第で変幻自在だが、もしかしたら影響するのは明確な意思だけじゃないかもしれない。

 つまり、お前の無意識や眠っていた現実の記憶も、影響しているかもしれないんだ。

 すると、だ。忘れていた記憶――好きな奴を友達に取られるという記憶が、小世界に影響した可能性がある。小世界は、その記憶をなぞろうとしたのかもしれない」

 頭が混乱してきそう。

 少年の説明がまどろっこしい気がする。彼は説明が下手なのだろうか。私も他人のことは言えないけれど。それとも、頭の中で考えを整理しながら喋ると、どうしてもまどろっこしくなってしまうのだろうか。

 私の考えていることに気づいたわけじゃないだろうけれど、少年がぎろっと睨んできた。前から思っていたけれど、彼の目つきは悪いな。

 そんなことを頭の隅で思いながら、私は返事をした。

 「つまり、私の現実での記憶が無意識のうちに働いて、小世界はその記憶に従っちゃったってことでしょ」

 「そういう解釈もできるということだ」

 少年は低く言って、

 「その場合、他の人間には意思がないという可能性が高くなるが」

 と付け加えた。

 私は溜め息をついた。

 「どっちにしても、本当のところはわからないってことね。意思がないなんて、思いたくはないけどさ。でも、意思があるとしたら――」

 その時、あることに思い当たって、私は言葉をつまらせてしまった。

 少し間をおいて、別のことを尋ねる。

 「……ねえ、私が現実の身体に戻ったら、この小世界はどうなるの?」

 「消えるな。小世界は、主なしでは存続できない。コントロールできなくなって崩壊するか、魂が現実の身体に戻った時点で、この世界は消滅する」

 やっぱりそうなのか。ということは、もし小世界を維持し続けるつもりなら、ずっとコントロールしていなければいけないということになる。現実の身体が死んで小世界が不安定になっても、踏みとどまらなくてはいけないのだ。

 ……すごく強い精神力が必要だろう、きっと。

 「魂が戻ったら、この世界と一緒に他の人間も消えてしまうんだね。それで、もし彼らに意思があるとしたら」

  迷った末に、さっき言えなかった続きを口にした。

 「自滅しても現実に戻っても、私は、とんでもないことをしてしまうんだね」

 少年が、あからさまに顔をしかめるのがわかった。

 「まさか、他の人間のために小世界に残るとか言わないよな。たまにそう言い出す奴がいるが、それは偽善だと思うぞ。だいたい、他の人間のためという理由だけで、小世界を維持し続けられるとは思えない」

 「……私にそんな強い精神力はないよ、たぶん。――それより」

 再び目を上げ、視線を少年に投げかけた。

 「どうしてあんたが私のことを詳しく知っていたのか、その理由を聞かせてほしいんだけど」

 途端、少年は「げっ……」という声を漏らした。そんなに後ろめたいことがあるのだろうか。

 少年は私の視線を避けるように、川のほうへと目を逸らした。

 話す気がないのかと思ったけれど、そうではないようだった。どうやら、積極的に話したくはないだけで、説明責任を放棄するつもりはないらしい。義務感からなのか――なににしても、勇気があるとは思う。

 「……理由を一言で説明すると、それは俺が小世界監督官だからだ。俺たちは最初に、小世界を造ってしまった奴を見つける。そうしたら、魂を連れ戻すために小世界へ行くんだ。

 ただその前に、そいつのことを調べる。そのほうが、どんな小世界を造ってしまったのか、どうなったら崩壊し始めたことになるのか、ある程度は予想できるからな」

 「調べるって、どんなことを?」

 「そこも訊くのか?」

 「だって、私に関係あることでしょ」

 少年は、諦めたように大きくため息をついた。感情的にならないでほしいんだが、と前置きしてから言う。

 「調べるのは、様々なことだ。小世界を望むことになった――つまり、現実に嫌気が差した理由、住んでいるところの様子や交友関係、家族関係、そいつ自身の特徴とかだな。

 まあ、こういう下調べがまったく役に立たないケースもあるが。

 ただ、お前の場合は役に立った。この小世界は、現実を忠実に再現していたようだったからな」

 ……私は考える。そして、感じたままに、早々に結論を出した。

 「それって、私のプライバシーもなにもないじゃない。なんか……気分悪い」

 少年が私の家族の関係のこと、亜梨沙と駿河くんのことを知っていたのは、そういうことだったのだ。

 謎が解けたすっきり感よりも、ぞっとした。

 もしかしたら、私の秘密にしたいことまで、少年は知っているんじゃないだろうか。そう思うと、やりきれない。土足で踏みにじられた気がする。

 それに、とあることに思い当たった。少年と最初にこの商店街の路地で会ったのは、偶然じゃないかもしれない。私がよく行くことを知っていて、待ち伏せしていたのかもしれない。

 そう思うと、まるで自分が監視されているような気がして、とても息苦しかった。

 少年は、明らかに気分を害したようだった。

 「これだから言いたくなかったんだよ。俺だって、他人の秘密を探るようなことはしたくなかったんだ。だが仕方ないだろ、なにも情報を持っていないということは、場合によっては命取りになる。やれることはやっておかないと」

 「だからって、そんなストーカーみたいな」

 「だれがお前のストーカーなんてするか!」

 片足のつま先を地面に打ちつけながら、少年は言った。

 私は立ち上がって、その足を思いっきり踏みつけた。

 「いってぇ、なにするんだよ」

 「あんた、ちょっと失礼なんだけど」

 「失礼なのはどっちだよ」

 少年が足をさする。それから、私をねめつけた。

 「状況をよく見てみろ。ここは危険な世界なんだ。身体から魂が抜け出ているということは、生と死の境にいるとも言える。

 そんな状況に、自分から進んでなりたくはないだろ。少なくとも俺は、なりたくはない。

 だが、あえて俺はここにいる。その意味を少しは考えてみろ」

 言葉よりは恩着せがましい口調ではなかった。単に事実を述べているようだった。

 私は言葉につまった。だんだんと冷静さが戻ってくる。

 少年にとって私は、助ける義理もない、赤の他人だ。けれど、少年はわざわざ危険な状況に身を置いている――私のために。もしかしたら、身体から離れてしまった魂のためという認識か、ただ単に仕事のためという理由なのかもしれないけれど。

 それでも、少年は私を助けようとしてくれているのだ。それなのに、さっきの私は言葉が過ぎた、かもしれない。

 私は下を向き、ぽつりと言った。

 「……ごめん、言い過ぎた」

 少年が来てくれなかったら、私はおかしくなっていたかもしれない。事情を知っていて説明をしてくれる人がいるというのは、だいぶ救われることだった。

 でも、と私は付け足す。

 「知らないうちに自分のことが他人に漏れているって、私にとっては嫌なことだったの。それはわかってほしい」

 「ああ……」

 少年の声が、やや反省しているように聞こえた。

 「俺も悪かった、かっとなって。だが、俺が調べられたことはあまりない。せいぜい、お前の友達が知っているのと同じくらいの情報量だと思う」

 言い訳のようには聞こえなかった。やっぱり単に事実を述べているようだったので、うん、と私は頷いた。

 しばらく自分の足を見つめていると、「座ったらどうだ」と声がした。そういえば、立ったままだった。そのままでいる理由もないので、私は黙って元の位置に腰を下ろす。

 「それじゃ、次はお前の番だな」

 顔を上げると、少年の目がまっすぐこっちを見ていた。

 「私?」

 「小世界は魂だけの力では誕生しない。なんらかの、外部からの力があったはずだ。それに心当たりがないか?」

 ああ、そういうことか。深く考えるまでもなく、心当たりといったらあれしかない。

 「うん、あるよ、思い当たること。たぶん、あの女性がなにかしたんだと思う。記憶が曖昧なんだけど、そこの路地で会って、どこか違う場所に行ったんだよね。たぶん、女性の家かな。で、話を聞いてもらったの。現実が嫌になっていたから、誰かに吐き出したかったんだよね」

 そのことに抵抗がなかったのは、本当に私が切羽詰まっていたからかもしれない。

 自分の中に理不尽な事実と様々な感情を留めておくことに、耐えきれなかった。真っ暗でどうしようもなかった。

 「そうしたら、『あなただけの世界が欲しいのね』って指摘されて、方法がないわけじゃないって言われたの。危険だからおすすめはできないけどって。それでもいいって、私は言った。そのあと女性は飲み物を出してきて、それを飲むと意識が遠くなっていったの。

 現実での最後の記憶がそれだから、なにかあるんだと思う」

 少年は、しばし考えているようだった。それから、いくつかの質問をしてきた。

 「その女は、どういう奴だった?」

 「ええと、綺麗な人だったのは覚えているけど。あと、二十代くらいかな。なんだか香をたいているみたいに、なにかの香りがしていたけど、それ以外はあんまり覚えてない」

 「そうか……女のものらしい家がどこにあったかは?」

 私は首を振った。

 「わからない。記憶が曖昧で、詳しいことは思い出せないの。悪いけど」

 記憶を探るけれど、空回りしているようにつかめない。変な心地だ。

 「飲み物を出されたと言っていたな。なんの飲み物だ? それについて、なにか変だと思ったことはなかったか」

 「紅茶だったんだと思うけど、味は、甘かったことしか覚えてない。紅茶の種類までは、ちょっとね。変だと思ったこととかはなかった……というか、ほかに取り立てて言うことがない」

 「そうか」

 少年は、あまりいい表情じゃなかった。私の言ったことはたいした手掛かりにもならないからだろう。そのことに申し訳なさもいくらか感じるけれど、それよりも好奇心のほうが勝る。

 「ねえ、あの女性が出した飲み物は、普通の紅茶じゃなかったのかな。その飲み物のせいで、私は小世界を造ってしまったってこと?」

 「さあな」

 少年は考え込んでいるらしく、おざなりに返事をした。

 私はいらっとする。ちゃんと答えてくれてもいいんじゃないだろうか。私に説明してくれるために、少年はここにいるんじゃないのか。

 「知っていることだけでいいから教えて。私、おかしなものを飲まされたかもしれないんだよ」

 意識して低い声で言うと、少年はなにか不穏なものを感じたらしい。思わずといった様子で、こっちを見た。

 私が睨むように見つめ返すと、少年は仕方なさそうに口を開いた。

 「確かなことはなにも言えないが。おそらく、その飲み物が小世界を造るそもそもの原因になったんだろうな。中身は……魂を身体から離れやすくして、別の次元に飛ばすような物質でも入っていたんだろう」

 「そんなものがあるの?」

 驚いた。本当にそんな物質が存在するのだとしたら、世紀の大発見だ。

 「俺だって不思議だ。だが、現にお前が小世界を造ったんだから、あり得ない話じゃないだろう」

 まあ、そうだけど。小世界なんてものがあるんだし、そんなSFみたいなものがあってもおかしくはないかもしれない。

 そこで、ふと、私は少年に対して違和感を覚えた。外見とかじゃなく、なにか、言葉? ええと、この違和感は……

「――で、どうするんだ」

 少年の言葉で、我に返る。その途端、掴みかけていた違和感はどこかに消えてしまった。

 首をひねったけれど、取り逃がしてしまったものは仕方ない。それより、少年の質問に意識を向けることにした。

 「どうするって、なにが?」

 少年は、にぶい、とでも言いたそうな顔をする。でも、私がにぶいんじゃなく、少年の言葉が足りないんだと思うけれど。

 「小世界のことについて、だいたいは話し終えた。だから、お前の決断について訊いたんだ。現実に戻る決心はついたか」

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