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太陽がいっぱい

鑑賞時の感想ツイートはこちら。

1960年のフランス/イタリア映画。世紀の二枚目俳優、アラン・ドロンを世界的大スターにした極上のサスペンス作品です。監督:ルネ・クレマン。原題 "Plein Soleil"。(英題 "Purple Noon")

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まずはニーノ・ロータのこの曲から♩

『太陽がいっぱい』。その映画のタイトルは、わたしが子どもの頃から知っていました。もちろん、有名なこちらのテーマ曲も。

哀愁を帯びたメロディーが、なんとも言えず切なくて――。良いですね~♩

作曲は、ニーノ・ロータ。フェデリコ・フェリーニ作品をはじめ、『ゴッドファーザー』(1972年)、『ロミオとジュリエット』(1968年)なども手掛けたイタリアの作曲家です。

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わたしが子ども時代を過ごした1970年代。休日になると、よく家族でドライブに出かけました。父の愛車(日産サニーだったかな)では、いつも音楽が流れていました。

ご存じでしょうか? 「8トラック」(通称:ハチトラのテープ
きっと、昭和を知る方なら「懐かしい!」と感じるはず。音楽ソフトとしては、レコードの次に普及した記録メディアです。外観はこんな感じ

1970年代は、いろいろな8トラの音楽ソフトが市販されていました。アーティスト毎のいわゆる「アルバム」もあれば、今で言う「コンピレーション」的なものも多く売られていました。

8トラから流れる車内のBGM。ある時は、わたしや弟が喜ぶような子ども向けの「アニメソング全集」。ある時は、歌謡曲。両親(特に映画好きの父)が好んで聴いていたのが「映画音楽大全集」。

その中にはもちろん、このニーノ・ロータの『太陽がいっぱい』も入っていました。『ロミオとジュリエット』もあったし、『ひまわり』、『禁じられた遊び』など――。

今思えば、どれも名曲と呼ばれる沢山の映画音楽。そんな音楽に子どもの頃から身近に触れることができて、とても良い習慣だったのかもしれません。

おかげで、映画が大好きな大人に育ちました♩笑

アラン・ドロンの美しさよ……♡

本作を観るまでのわたし。頭の中の「アラン・ドロン」のイメージといえば、子どもの頃に母からかねがね聞かされてきた「美男子の代名詞」だということ。それから、ダーバンのCM

いいですね~! 音楽といい、ナレーションといい、とっても 70年代!!

わたしが物心ついた頃には、アラン・ドロンも中年以降のダンディーな雰囲気になっておりまして。子ども心に “ちょっと古臭いベタなイメージの二枚目” という印象だったのを覚えています。

上記のCMでも、真っ白なスーツに真っ白なスカーフ姿ですものね!(マフィアのボスか!笑) しかも、手には一輪の赤いバラって……笑。当時の少女漫画もびっくりの演出センス!
ダーバンという紳士服ブランド自体は、しっかりとした仕立てのお洋服を作っていて、質の良いブランドだなぁ、と思っています。個人的に好き。わが家の息子もダーバンのコートを愛用しています♩

ところが! です。

『太陽がいっぱい』で、若い頃のドロンをはじめて観た時の衝撃といったら――!!

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ご覧ください、この美しさ!!

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ああ、美し過ぎて、目がとろけそう……♡

世界中の女性が虜になるのも頷けます。

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見てっ! この長いまつ毛
(エクステも “つけま” もしていない、ナチュラルな自まつ毛でこれ! なんと羨ましい……)

こんな瞳で見つめられたら、きっと吸い込まれてしまいますね♩

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今回 note に記事を書くにあたり、アラン・ドロンの画像を集めたり、あらためて『太陽がいっぱい』の動画クリップを見返してみたり―― しているのですが、どのシーンを見ても

「いやぁー、綺麗だなぁ……」
「マジ、イケメン……」
「ほんと、ハンサム過ぎる……」

しか言葉が出てこないです。語彙力。(感嘆のあまり、PCに向かってブツブツひとりごとを言いながら執筆しています。笑)

羨望と嫉妬を描く、良質なサスペンス

『太陽がいっぱい』はわたしの大好きな作品なので、あれやこれやと前置きが長くなってしまいました。ようやく本題。作品の内容について。

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主な登場人物
トム・リプリー(アラン・ドロン)
美しく才能もあるが、貧しいアメリカ青年。富豪であるフィリップの父から「イタリアで遊んで過ごしている息子を上手く連れ戻してくれたら、報酬として 5000ドル払う」と頼まれ渡伊。フィリップ、マルジュと共にイタリアで過ごすうち、次第にフィリップへの殺意を抱く。
フィリップ(モーリス・ロネ)
アメリカの富豪の息子。パリ娘の恋人マルジュと過ごしたいので、イタリアから戻る気は毛頭ない。何不自由なく育ったからか、マルジュも含め、周囲の人に対して傲慢。多額の謝礼目当てでやってきた貧しいトムを見下しており、使い走りのように扱う。しばしばマウンティングや侮辱的な発言も。
マルジュ(マリー・ラフォレ)
フィリップの婚約者。フィリップと共に遊び暮らしているが、あることがきっかけで喧嘩別れする。フィリップ亡き後は、トムに籠絡される。

本作の良さは、貧富の差から生まれる羨望嫉妬、つまり主人公の心情を丁寧に描いているところ。

お金持ちのボンボン、フィリップは “親が富豪” というだけで自由奔放にやりたい放題。マルジュという美しい恋人と、トムの目の前でこれ見よがしにイチャイチャすることも。(まぁ、フィリップの立場から見れば、トムは “おじゃま虫” では、ある)

片や、貧しい育ちのトム。フィリップのような富裕層の暮らしなど、本来であれば接点もないはずの別世界。

富豪(フィリップの父)がくれるという謝礼を目当てにイタリアへやってきたが、当のフィリップはアメリカへ帰国する気などさらさらなく……。トムの軍資金は底をつき、湯水のようにお金を使うフィリップの “おこぼれ” にあずかりながら、否応なしに使用人のような立ち位置へ……。

貧しさゆえの「哀しみ」

貧しい境遇にいるがゆえの哀しみ”。わたしには、とてもよくわかります。

経済的に貧しい状況って、人生においての選択肢が狭まってしまうんですよね。何にしても。たとえば、衣・食・住に始まり、教育、娯楽、などなど――。交友関係の層も違います。

与えられた選択肢の中から最終的にどれをチョイスするか? は、価値観によって人それぞれ異なるとしても、“選べる選択肢が豊富な状態ってしあわせなことだなぁ、と思うのです。

選択肢の幅を広げてくれる「お金」って、素敵なものだと思っています。わたしは、ね♩

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さて、貧しいトムの “持たざる者の哀しみ”、持てる者・フィリップへの “羨望” や “嫉妬”――といった薄暗い感情。これをまた、アラン・ドロンが見事に演じているのです!

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この眼!
整った美しい顔立ちの中、瞳の奥に宿る「闇」。

作中、ドロンがこの眼をするシーンが何度かあるので、注目してみてくださいね。

美しさの中に潜む「闇」

フィリップとマルジュが(いつものように)部屋でイチャイチャし始め、居場所のなくなったトムが、隣室のクローゼットの前でこっそりフィリップの高価な服に袖を通すシーン。これも印象的でした!

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鏡に向かって、フィリップの物真似をするのです。

トム自身はたぶん、ちょっとしたイタズラ心、おふざけのつもりでやっているのですが、彼の深層心理が屈折した形で表出している素晴らしいシーンだと思います。

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フィリップ殺害後、トムが港町の魚市場をぶらぶら歩くシーンがあります。

南欧の明るい陽射しの中、露店の海産物をひやかしながら見てまわる―― という、一見平和な光景なのですが、切り落とされた魚の頭や、笑った顔のように見える魚(あれは……エイ?)のアップなど、どこかグロテスクな切り取り方。

これも “人を殺した後” というトムの心理状態を暗示しているようで、なんだか不穏なんですよね。ゾゾゾ~ッとします。

映画史に残るラストが素晴らしい!

アラン・ドロン演じる、青年トム・リプリー。頭の良い人物です。嘘も上手。富豪の息子フィリップを殺害し、様々な手法でフィリップになりすまして財産を我が物にしようとします。

フィリップの恋人だったマルジュをも、巧みに心を操り、自分のものにしてしまうトム。すべて思い通り――。

ビーチで満足げにくつろぐ、トム。

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太陽がいっぱいだ
「人生で最高の気分だよ」

そして――。

いやぁー、最高のラストシーンですねっ!!

これぞ映画。粋です!
映画が好きで良かったな――と、つくづく思いました♩

以前 Twitter にツイートした「30-Day Film Challenge」では、わたしの「終わり方が気に入っている映画」として『太陽がいっぱい』を挙げています。

DAY 1~DAY 30 を全て見てみたい方は、こちらからどうぞ♩
もりはるひ Twitter 「#30DayFilmChallenge」

邦題『太陽がいっぱい』について

本作の原題は、フランス語で "Plein Soleil"。(ちなみに、英題は "Purple Noon") 単語ごとの意味は……

○ "plein"(仏)
英語で言うと "full"。「十分な/満ちた/いっぱい/固体の」
○ "soleil"(仏)
「太陽」

となります。

ところが、Wikipedia には、こんな注釈が。

フランス語のタイトル「plein soleil プラン ソレイユ」はフランス語の文章中では「en plein soleil」という成句でしばしば用いられ、これは「太陽が照らす下で」「青空のもと(屋外で)」「真昼間に」などといった意味が基本的にあり、さらに フランス語のネイティブ話者にとっては「太陽(お天道様、神様)は全部見てるよ(悪事を隠すことなんてできないよ)」といった意味がほのめかされているように感じられる表現でもある。

そして観客は、このタイトルが物語の結末や教訓を暗示していたことに、映画観賞後になって気づくことになるわけである。(なお、昭和期の日本人翻訳者はつい「太陽がいっぱい」と訳してしまったが、これを「太陽がいっぱい」と訳してしまっては、誤訳ぎみである。)

な~るほど。そういう意味もあったのですね!

でも、わたしは『太陽がいっぱい』も詩的で良い訳だと思うのですが、いかがでしょうか?

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パトリシア・ハイスミスによる同じ原作を、マット・デイモンとジュード・ロウで新たに映画化した『リプリー』(1999年)という作品も、同様に面白いのでおすすめです!


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