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三谷幸喜の言葉をテーマにした音楽劇「オデッサ」の感想

『鎌倉殿の13人』の人気俳優3人が共演

三滝幸喜作「Odessa(オデッサ)」を1月10日に見てきたのですが、なかなかブログを書く余裕がなくて、今日になってしまいました。

キャストは柿澤勇人、宮澤エマ、迫田孝也というNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出演していた3人です。柿澤くんとエマちゃんはミュージカル俳優、迫田さんもキャリアのスタートは舞台ですね。映画『ザ・マジックタワー』のオーディションで三谷さんの目に留まり、以後、三谷作品に起用されるようになったそうです。先ごろ放映されたNHKの『正直不動産2』にゲスト出演されてましたが、年老いた父親と祖父を介護する息子の2人を家から追い出して売却しようとする父親を演じておられました。そうなるには理由があるのですが、迫田さんはただの善人よりも、善悪がないまぜになったような役が似合います。

荻野清子さんがピアノ演奏する音楽劇

「オデッサ」はストレートプレイかと思っていたのですが、音楽劇です。幕が上がる前から音楽・演奏を担当された荻野清子さんがピアノを演奏されていました。荻野さんは東京藝大作曲科出身の作曲家&ピアニストで、『ザ・マジックタワー』『ステキな金縛り』『清須会議』の音楽を担当されています。よほど三谷さんに信頼されているのでしょう。世界に通用するミュージカルを作るのが夢だとWikiにありましたが、素敵な音楽でした。

テーマは「言語」だが、「偏見」「差別」も

この作品は「言語」をテーマにした劇です。それにプラスして、「偏見」「差別」というテーマが通低音のように流れているように思います。ストーリーはこんな感じです。

アメリカ、テキサス州オデッサ。
1999年、一人の日本人旅行客がある殺人事件の容疑で勾留される。
彼は一切英語を話すことが出来なかった。
捜査にあたった警察官は日系人だったが日本語が話せなかった。
語学留学中の日本人青年が通訳として派遣されて来る。 取り調べが始まった。
登場人物は三人。 言語は二つ。 真実は一つ。
密室で繰り広げられる男と女と通訳の会話バトル。
三谷幸喜が巧みに張りめぐらせる「言葉」の世界。
それは真実なのか、思惑なのか――――。
あなたはそのスピードについて来れるか。

「オデッサ」ホームページより

オデッサは人口11万のアジア系が2%の都市

私はアメリカに合計3年留学していたことがあり、ホームページでこの設定を読んだ瞬間、「これは見なければ!」と思いました。ですが、アメリカにいた私でさえ、テキサス州にオデッサという都市があるのは知らなかった(笑)。だって、人口約11万人 (2021年)ですからね。同じテキサスでも、最大の都市ヒューストンの人口は約712万人。工業都市・ビジネス都市であると同時に、NASAのジョンソン宇宙センターやテキサス大などの教育機関が多数ある国際都市で外国人も多いですが、オデッサにを訪れる外国人は滅多にいないでしょう。

劇中のセリフによれば、オデッサにいるアジア系の米国人は2%なんだとか。観光地でもないので、外国人の旅行者がいたらものすごく奇異に思われる場所です。ニューヨークやロサンジェルスなら、滞在しているアジア系外国人もたくさんいて、その中に殺人を犯す人がいても驚かないでしょう。ですが、オデッサでは日本人がウロウロしているだけで「怪しい奴」と思われます。

そういう「非国際的かつコンサバ」な小都市で、エマちゃん演じる女性の警察官、柿澤くん演じる通訳として雇われた地元で働いている日本人青年、元牧師を殺害した疑いで取り調べを受ける旅行中の日本人の中年男の3人が、取り調べ室として使われたバーで出会うのです。

人手が足りず遺失物係が取り調べ官に

なぜバーが取り調べ室になったのかというと、オデッサでは女性8人が次々と殺されるという連続殺人事件が起きており、その捜査に警察署の部屋が全て使われ、刑事も総動員されているのです。人手不足のおりから、普段は遺失物担当のシングルマザーである女性警察官が取り調べにあたることになります。彼女は日系人ですが、日本語は話せません。容疑者である日本人旅行者の男は英語が話せません。そこで留学生としてやってきた日本人青年が二人の通訳として雇われたというわけです。

通訳は容疑者の供述を創作するミステリーマニア

三谷さんの作品なので、「オデッサ」はミステリーでありながらコメディです。柿澤くん演じる通訳担当の青年はミステリーマニアで、殺人事件について独自の見解をもっており、日本人旅行客の供述を正確に訳さず、徹底的にかばおうとします。迫田さん演じる日本人旅行客は取り調べの最初から「私が殺しました。死刑にしてください」と自供し、犯行現場の様子まで詳細に演じて見せているのに、「彼はそば職人で、そばの打ち方をやってみせている」みたいなことを言うのです。実際は鹿児島県指宿の元警察官で、ある事件がきっかけで免職となり、全てを失ってアメリカに渡ってきたという経緯があります。死場所を求めてきたオデッサで逮捕されるのは、彼にとって好都合だったのです。取り調べられている容疑者は殺したと言っているのに、それを通訳の青年は全否定して、勝手にポエムを創作して話したり、とんでもない嘘を取り調べ官に話続けるのです。ここに笑いが生まれます。そして、当初は本当に通訳しているのかと疑っていた女性警察官も、次第に彼のペースに巻き込まれ、日本文化に感銘を受けたりするようになるのです。

大団円の先のどんでん返し

そして、通訳の青年は最後の方で重要なことに気づきます。殺された牧師の息子が「アジア系の男と父が言い争っているのを見た。彼は父を殺して逃げていった」と証言しているけれど、まったく英語を話せない人間と言い争いなど起こるはずがない。それなら、その嘘の証言をした息子こそ、犯人ではないのかと。

結局、息子が自分が殺したと自供し、日本人旅行客は無罪放免が決まり、大団円。観客はここで「なるほど。ミステリーだ」と思うのですが、三谷さんの脚本なので、これで終わりではありません。優れた脚本家というのは、無駄な情報は観客の前に何一つ出したりしないものです。この先に最後のどんでん返しがあり、なぜ日本人旅行客の男が犯していない殺人の自供をしたのか、その秘密が明かされます。それも通訳の青年が気づいた「あること」がきっかけでした。

膨大な英語のセリフを見事にこなした柿澤勇人

「オデッサ」の面白さはストーリーだけではありません。最初の幕開きでは、当たり前ですが、柿澤くんとエマちゃんは普通の日本語で会話していて、「その会話が英語であるという前提」のもとに進みます。それを見ていて、「ここで英語が話せない日本人がでてきたら、それをどう表現するんだろう?」とドキドキさせられます。すると、迫田さんが登場した後は、エマちゃんが英語を話し、柿澤くんも英語を話して、その翻訳が舞台の後ろのスクリーンに出るという仕掛けになっています。

エマちゃんはお父様がアメリカ人で、オバマ大統領も通ったリベラルアーツの名門オクシデンタル大学の卒業生。ケンブリッジ大学へ留学していたこともある才媛なので、英語はネイティブですが、柿澤くんは首都大学東京(元東京都立大学)出身ではるものの、英語はネイティブじゃないのに、かなりの量のセリフを話してました。良い役者さんは耳が良いのでしょうね。それでも、英語のセリフを暗記するのは大変だったと思います。

日本人同士は鹿児島出身という共通項で意気投合

英語だけじゃなく、日本語も迫田さんが鹿児島県指宿出身ということで、柿澤くんは鹿児島市、迫田さんは指宿出身という設定で、二人が話すのは鹿児島弁なのです。二人は鹿児島出身ということがわかったとたん、ぐっと親しみが増し、それもあって、柿澤くんは迫田さんをかばおうとするのです。最後に明らかになるのですが、この3人、生まれ育った場所が居心地悪くて、オデッサに流れついています。そして、迫田さん演じる日本の元警察官の居心地の悪さの一つに、言語が絡んでいることが明らかになるのです。

Covid-19発生で起きたアジア系へのヘイトと暴力

「オデッサ」では「通訳」は100%真実を伝えられないことがデフォルメされているように思えます。言語が異なる人間同士の間には「壁」があります。それはたとえ通訳を介しても、完全には消えません。ですが、例え言語を同じくしても、人種が違えば、多国籍の国といわれるアメリカでさえ壁になるのです。その証拠に、新型コロナウィルス感染症(Covid-19)のパンデミックが発生すると、ニューヨークなど全米の各地で、アジア系をルーツに持つ人々に対するヘイトや暴力が巻き起こりました。元宝塚歌劇団宙組トップスターの和央ようかさんは、それがきっかけで、ご主人のワイルドホーンさんの提言でハワイへ転居したとインタビューで語っていました。夫のワイルドホーンさんは「ジキルとハイド」「スカーレット・ピンパーネル」など世界的にヒットしたミュージカルをいくつも作曲しているセレブなので特別扱いかと思っていたので驚きました。

人は誰でも壁に囲まれている

私は若い頃、日本の文化が働く女性にとって息苦しいと感じ、アメリカに留学しました。ですが、現地でアメリカ人と結婚するということは「移民になる」ことなのだと、色々なカップルのエピソードを見聞きして実感し、「アメリカではネイティブでないハンディがあるけど、日本ならどんな仕事をやっても、食べていける」と考えて帰国しました。「オデッサ」を見ていて、もし自分がエマちゃんのようにネイティブだったらアメリカに残って就職したのだろうかと考えました。それと同時に、アメリカの名門大を出たエマちゃんが日本で舞台に立っていることの意味も考えさせられたのです。彼女はきっと言語の面では英語の劇に出ても問題ないけれど、アメリカにはまだ、アジア人の役があまりないのではないかなと。

面白かったで終わらないのが三谷喜劇の醍醐味

「オデッサ」は喜劇ですが、見終わった後で、人は誰もが何らかの壁に囲まれていて、戦っているのだなと気付かされる劇でもあります。なので、見る人によって、印象はかなり変わるかもしれません。また、ライターとして「言葉」を使い続けてきた私自身が、「言葉」の大切さを再認識させられた劇でもありました。

「ああ、楽しかった」で終わってしまわないところが、三谷幸喜の脚本のすごいところだと思います。彼のような天才と同時代を生き、リアルタイムで舞台を見ることが出来るのは、本当に幸せなことですね。




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