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関東三大弁天・布施の弁天さまへお礼参り

 今日は珍しく寒さが和らぎ、昼は春のようなぽかぽか陽気となりました。そこでうちから車で15分ほどの距離にある千葉県柏市の紅龍山布施弁天東海寺、通称「布施の弁天さま」へお礼参りに行ってきました。昨日、ちょっとどうかなぁと思っていた仕事関係の入金があったので、そのお礼です。

 布施弁天は大同2年(西暦807年)に弘法大師空海御作といわれる弁財天像をご本尊(秘仏)として開山された祈願寺で開山1200年の歴史をもつお寺です。浅草寺弁天山(浅草寺弁天堂)、江島神社弁天堂とともに関東三弁天のひとつにかぞえられ、地名から布施弁天とも称されています。

 東京から柏市に引っ越すまで、この弁天さまのことは全く知りませんでした。浅草や江ノ島のような有名な観光地と違い、柏市のなかでも田園風景の広がる不便な場所にあって、車がなければ、柏駅からバスに乗るしかありません。それなのに、地元はもとより、観光バスまで仕立てて、全国から参拝者が絶えないのですから驚きです。今日も駐車場は車でいっぱいでした。といっても、敷地も境内も広いので、ソーシャルディスタンスは十分にとることができます。

弁財天様は現世利益の女神でお願いごとを叶えてくれる

  1200年の間、天災や戦乱で興廃を繰り返したそうですが、今も続いて繁栄しているのですから、よほど気が良いところにあるのだと思いますし、ご本尊の八臂(八本の腕)弁財天はよほど霊剣あらたかなのに違いありません。よく神様にお願いをしてはいけないと言われますが、弁財天様は、現世(いま)を生きる人間の苦を救い、幸せを与えようとされる現世利益の女神なので、お願いごとや困りごとがあれば、すがっても大丈夫です。

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特に弁財天は「もし人々が、智慧を欲するならば最もすぐれた智を、財福を求むるならば本当の幸せを、寿命を欲するならば盛んな生命力を与えよう」等の八つの誓願を立てています。その八本の手の持物が、それを象徴しています。
そこで清らかな心でひたすらに念願すればこれに感応してくださるのであります。このことが千二百年の今日までこの地に栄ゆる所以なのです。(東海寺HPより)

 コロナ禍で初詣の鐘楼も閉鎖、水屋も鰐口も使用不可に

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 布施弁天の参詣はいつも本堂のお参りからスタートします。本来は水屋で手と口を浄めるのですが、コロナ禍で閉鎖されているので、ダイレクトに本殿に上がり、お賽銭を納めて、鰐口(わにぐち:つるした綱で打ち鳴らす道具)を鳴らします。ところが、この鰐口のツナもコロナでなくなっていました!!(泣。

 お賽銭は以前に書いた記事「初詣のお賽銭でリミッターをはずす?」でお話したとおり、「神恩感謝」と表書きしたポチ袋に新札千円を入れています。

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 次に参拝するのが布施観音像です。衆生の暮らしを遍く見渡し、救いの手を差し伸べてくださる観音様で、特に病気平癒を叶えてくださると言われているので、持病もちの私は丁寧にお参りします。柔和でやさしい面差しをされています。

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 次に行くのが鐘楼。文化15年(1818)の建立で、全国でも珍しい多宝塔式の総欅造りで、フォルム が綺麗です。初詣には寄付をすれば、この鐘楼に上がって鐘を付くことができるのですが、今年はその行事も中止されました。

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 その次に弘法大師や大日如来をお祀りしている御堂へお参りし、境内で最後に立ち寄るのが三重塔です。お釈迦様の教えに一歩でも近づくようにと、1973(昭和48)年に38代秀淳大僧正が建立されたそうです。

目の病に守護がある北斗七星の化身・妙見菩薩に必ず参拝

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 最後に境内を降りてから立ち寄るのが、敷地内の丘の上にある妙見大菩薩です。北斗七星を含む、北極星の神様仏様の御化身で、漆黒の夜に方位を知らせてくれます。見ること、見られること、目の病等に守護があると言われており、職業がら目を酷使しがちで、時には目の奥に痛みがでることもある私は、必ず妙見菩薩さまをお参りするようにしています。

「あけぼの山農業公園」の花畑はロケ地のようで癒される

あけぼのコスモス

 布施弁天は「あけぼの山農業公園」と接しています。この公園にはオランダの風車があって、広大な花畑が広がっています。特に春のチューリップと秋のコスモスは圧巻で、映画のロケ地のような美しさです。この写真は昨年の秋のコスモス畑です。11月1日から3日位まで、無料でコスモスが摘み放題になるので、みなさんも機会があったら、是非訪れてみて下さい。

お礼をいわない礼儀知らずは神様・仏様に愛されない

 若い頃はお礼参りという発想がなくて、神様や仏様にやたらお願いしっぱなしだったような気がします。ですが、お願いされる方になってみれば、「おいおい、あの件はどうなったんだよ!」って思いますよね。もしかしたら、天界で私たちが寝ている間にも、神様や仏様は骨を折って下さっているかもしれないのです。

 お願いするときしかお参りしない礼儀知らずの人間は、神様・仏様にも愛されないに違いない。そう思うようになって、なるべく時間を見つけてお礼参りに行くようにしています。

 実は人間関係だってそうですよね。困ったときはすごく焦って、いろいろな人にお世話になっているのに、危機を脱出するとケロっと忘れてお礼を言い忘れていたりしませんか? 実は私もそういう時があって、あとで反省するんですよね。忙しさに取り紛れてとか、見苦しい言い訳をして。

 コロナ禍で人間関係が希薄になりがちな今だからこそ、お世話になった方には「手書きのお礼状を書く」「感謝の心を伝える」を目標の一つにしたいと思っています。


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