Haru

Haru(はる)と申します。特技は定期を落とすことと、傘をなくすこと。文章を書くことが…

Haru

Haru(はる)と申します。特技は定期を落とすことと、傘をなくすこと。文章を書くことが好きな会社員です。はじめて間もないので色々ご教授いただけますと幸いです。

マガジン

  • 対人恐怖症から営業マンになった話

    自分の経験したことを、つらつら書いております。

  • ひとりごと

    日々の中で思ったことを呟いていきます。一貫性はございません。

最近の記事

意識の矢印

自分がこれまで人と話さないことを選択して生きてきたとはいえ、会話をすることがこんなに難しいことだとは知らなかった。 俗に言う、会話のキャッチボールの仕方がわからないのは致命的だと思った。 そんな中で、大学の講義内でコミュニケーションについての話題が上がった。 ディスカッションする講義なので、人との会話は必須だからこそ教授は伝えてくれたのだと思う。 「人見知りで上手く話せないという悩みを相談してくれる人がいます。毎回知らない人と話すこの講義はとても苦痛だと思います。そんな

    • マスクを外してみたら

      最近少し心が疲れていて、 どんなに涙で洗い流してみても、 嫌な気持ちが内側に籠って、 いつもモヤがかかったまま晴れなかった。 おまけにこんなご時世だから、マスクは手放せず。 身体の熱は逃げず、口周りに留まって私の気持ちをさらに重くさせた。 そんなことを考えていた今日、買い物を済ませて広場を歩いている時、 あまりにいい天気で気持ちが良くて、 思わず立ち止まった。 自然の光を浴びたくて、誰も近くにいないことを確認してマスクを外してみた。 すると。 マスクをしている時には

      • 言葉の魔法使い

        言葉の持つ力は偉大。 たった一言で一生消えない傷を作ることができる。 たった一言で相手を絶望の淵に追い込むこともできる。 特殊な魔法ならまだマシだったのに、 その力を誰もが持っているから簡単に誰もが加害者にも被害者にもなれてしまう。 当たり前のように使えるのに、 危険で脆くて恐ろしい力。 でもその逆も然り。 人を救えることだってある。 誰もが絶望の淵から救い出せる魔法使いになれる。 私は今日、そんな言葉の魔法使いに救われた1人だ。 特別なことを言われたわけでも言っ

        • 自分が自分らしくありながら生きるために、 今何ができるのだろうか。 今はそうやって生きているのだろうか。 すぐ見失ってわからなくなってしまうのだけど。 休みながら頼りながら労りながら。 そうやって振り返って自分のために生きていることを思い出す。 立て直せなくなる前に。

        意識の矢印

        • マスクを外してみたら

        • 言葉の魔法使い

        • 自分が自分らしくありながら生きるために、 今何ができるのだろうか。 今はそうやって生きているのだろうか。 すぐ見失ってわからなくなってしまうのだけど。 休みながら頼りながら労りながら。 そうやって振り返って自分のために生きていることを思い出す。 立て直せなくなる前に。

        マガジン

        • 対人恐怖症から営業マンになった話
          8本
        • ひとりごと
          6本

        記事

          暗い気持ちが続いてたけど、久しぶりにとある方とお話したらとても元気をもらえた。 特別なことは何も言われていないのに、言葉を交わすだけで元気をあげられる人って素敵。 言葉だけで人の元気を奪う人もいるから、 私も誰かに元気をあげられる人になりたいなぁ。

          暗い気持ちが続いてたけど、久しぶりにとある方とお話したらとても元気をもらえた。 特別なことは何も言われていないのに、言葉を交わすだけで元気をあげられる人って素敵。 言葉だけで人の元気を奪う人もいるから、 私も誰かに元気をあげられる人になりたいなぁ。

          会話の仕方がわからない・目を合わせるのが怖い

          大学生になり、まずは自分から声をかけてみることを目標にした私は、ありがたいことに7人グループの中の一員になることができた。 みんなユーモアがあって優しい人達ばかりで、常に行動を共にするようになっていた。 7人で昼休みにご飯を食べながら話をしていた時に、とある違和感に気づいた。 あれ、私、全然会話に入れてない。 もちろん7人もいるので皆がいっぺんに話すことはないし、聞き役と話し役がそれぞれ交代して会話が構成されていた。 しかし私だけがいつまでも聞き役から抜け出せていな

          会話の仕方がわからない・目を合わせるのが怖い

          言葉を知るということは

          言葉を知るということは、単に気持ちを誰かに伝えるためだけではなく、自分の感情を正確に把握することでもあると思う。 なぜ嬉しいのか、なぜ楽しいのか、 なぜ涙が出るのか、なぜ悲しいのか、 なぜ辛いのか、なぜイライラするのか、 なぜ妬ましいのか、なぜ苦しいのか。 自分のことをよく知っているのは自分なようで、湧き出る感情にちゃんと名前をつけることができないことも多い。 〇〇〇〇だから、私は嬉しい。 〇〇〇〇だから、私は悲しい。 そんな風に冷静に言葉にするには、 感情を落ち着か

          言葉を知るということは

          落ち込んだ気持ちの穴から見えている視野は思ってる以上に狭い。

          なんでも言えることだと思うけれども、 「気持ち」という精神論に引っ張られてしまうと驚くほど視野が狭くなる上に抜け出すのに相当な時間を要することが多い。 負けてたまるか自分はやれると周りを見ずに気持ちばかり保っていたところで、がむしゃらになればなるほど上手くいかないことの多いこと多いこと。 見事に玉砕して自分の不甲斐なさにすっかり自信を無くしてしまう。 そこでまた立て直したところで結局視野は狭いままだから二の足を踏むのだ。 そもそも生活習慣や起こった出来事で簡単に歪むよう

          落ち込んだ気持ちの穴から見えている視野は思ってる以上に狭い。

          夢中という名の処方箋

          普段何気なく日常を過ごしていると、 ふっと虚しい気持ちに苛まれる時がある。 なぜ自分は生きているのだろうか。 私は一体誰の役に立っているのだろうか。 私なんかいない方がいいのではないだろうか。 あと何十年と生きていかなきゃならないのか。 この思考は仕事で行き詰まってる時や思うように物事が進まない時だけではなく、幸せを感じている瞬間でさえ訪れる。 病むと言うよりは素朴な疑問に近い。 実際今死んだらどうなるのだろうかと思うけど、きっとどうにもならず日常は動いていく。 だか

          夢中という名の処方箋

          言葉の消化の仕方

          長く人生を生きれば生きるほど、他人からの言葉は避けられない。 悪意のある言葉も悪意のない言葉も、話題やニュアンス、そして自分がどう受け取ったかによって簡単に歪んでしまう。 そして中には鋭い刃になって深く刺さって、一生消えない傷になってしまうこともある。 他人からの言葉はどうしてこんなにも強烈で、一度貼り付いたらなかなか剥がれないのだろうか。 忘れたつもりになっても、ふとした拍子に思い出すのだろうか。 昔の私は、相手から言葉の槍を刺されたら、「相手が刺してきたんだ、自

          言葉の消化の仕方

          ここで変わらなければ、一生変われない

          ”人に感情を見せない”自分は、辛いこともある反面、自我を保つ上では便利な鎧でもあった。 しかしこれは、18年間同じ土地で過ごしてきたからこそ許された行為でもあった。高校卒業後は大学進学することが決まり、地元を初めて離れることになった。初めての場所でイチからスタートを切ることは今までの人生ではない経験だった。 自分のことを全く知らない場所へ行くことへの期待感がある一方で、このままの自分でいていいのだろうかという疑念も生まれた。今まで一緒に過ごした同級生たちにこれ以上自分を壊

          ここで変わらなければ、一生変われない

          タマゴのような自分と対照的な親友

          感情を見せず、ポーカーフェイスで周囲と距離を取って、1人を好んでいた自分だったが、全く平気だったのかと言われればそうではなかった。 どんどんと作られていく周囲から見た”自分”と自分が隠している”自分”との差が広がっていくばかりで、帳尻を合わせるのに精一杯だった。 授業の内容を”○○(私)ならわかっているから大丈夫だ”と思われることや、クラスでグループの輪に入らなくても”1人でも問題ないのだろう”と声をかけられないこと。 確かに”強い人””そつなくこなせる人”に見られると

          タマゴのような自分と対照的な親友

          1人でいることの喜び

          自己防衛から人に自分の感情を見せなくなった私は、人間関係が自然と整理されていった。 ある日、部活仲間A(以下、A)と小学校時代からの同級生B(以下、B)と一緒に下校していた。会話の内容は覚えていないが部活仲間のAと話が弾み、つい部活中心の話をしてしまった。 同じ部活ではなかったBは話に入れないのが面白くなかったのか、突然立ち止まって叫んだ。 「そんな部活の話がしたいなら、ずっと、Aと一緒にいれば!!!」 走って遠ざかっていくBを、小学校時代の私であれば大慌てで追いかけて

          1人でいることの喜び

          自己防衛からの”無表情・沈黙”

          そんな”自分と他人の違い”を”自分にはない=自己嫌悪・自己否定”へと変換する思考回路が身についてしまった私は、徐々に人と関わることへ恐怖心を覚えるようになった。 「何もない自分を無条件で受け入れてくれる人などいない。」「腹の中では笑われているのかもしれない。」という考えばかりが過ぎり、人と話すたびに「馬鹿にされてはいけない」「笑われてはいけない」「失敗してはいけない」といった自己防衛的な感情が湧くようになった。 この頃から火がついたように勉強に打ち込み学年10位以内をキー

          自己防衛からの”無表情・沈黙”

          きっかけは、「自分への嫌悪感」

          小学生の頃、周りの同級生たちに「ハッキリしろ」と何度言われたかわからない。 気の弱い私の周りには、気の強い同級生がたくさんいた。自分の主張が通らなければ気が済まない、自分の思うままに行動したいという人が運の悪いことに多かった。 「誰と遊びたいのか」「誰が好きで一緒にいたいのか」と、小学生ながらにこんなことを日々友人たち(友人と呼ぶべきなのか)に責め立てられていた。 周りの意見が上手く調和されることが一番で、自分の意見は後回しにしがち(これは今もかも)な私にとって、個人的

          きっかけは、「自分への嫌悪感」

          対人恐怖症の私が営業マンになった話。

          先に謝ります。 タイトルちょっとカッコつけたくて盛ってしまいました。すみません。 14歳からおよそ4年間の対人恐怖症(ちゃんと病院で診断されたわけではないので、あくまで”それっぽい”というだけです申し訳ございません。)から、4年かけて克服し今は営業マンとして働いています。 私がどうして対人恐怖症(のようなもの)になったのか、ここまでどういう経緯で克服していったのかなどをつらつら書いていきたいと思います。 昔から周りに自分の話をすることが好きじゃなかったし、別に自慢する

          対人恐怖症の私が営業マンになった話。