自己防衛からの”無表情・沈黙”
そんな”自分と他人の違い”を”自分にはない=自己嫌悪・自己否定”へと変換する思考回路が身についてしまった私は、徐々に人と関わることへ恐怖心を覚えるようになった。
「何もない自分を無条件で受け入れてくれる人などいない。」「腹の中では笑われているのかもしれない。」という考えばかりが過ぎり、人と話すたびに「馬鹿にされてはいけない」「笑われてはいけない」「失敗してはいけない」といった自己防衛的な感情が湧くようになった。
この頃から火がついたように勉強に打ち込み学年10位以内をキープするようになり、無遅刻無欠席を目指し、部活にも精を出すようになった。自分ができる最大限を心がけるようになった。きっと何か自分の自信になるものがほしかったのだと思う。
それと同時に、朝の出欠確認の際に「はい」と声を出すことに異常なまでに恐怖心を抱くようになり、授業で先生に当てられれば大量の冷や汗をかくようになり、教科書を読む順番が回ってきたなんて時には声が掠れ・震え・動悸がうるさく鳴るようになっていた。そんな異常事態さえも悟られてはいけないと懸命に隠そうとしていた(果たして隠せていたのか)。
小学生時代の話へ戻るが、ごたつく人間関係の中で思っていたのは「気が弱いから付け込まれているのではないだろうか」という疑念だった。もっと堂々と、凛としていればこんな面倒なことにならなかったのではないだろうかと自分の性格を悔やんだことがあった。
皮肉なことにこの後悔を、自己防衛として晴らしてしまうことになる。他人への疑心・自分への嫌悪感から人間関係において私が選択したことは、”他人に喜怒哀楽の感情を一切出さない”、”自分からコミュニケーションを取らない”ことだった。
喜怒哀楽を示して”わかりやすい奴”として弱みに付け込まれてしまうくらいなら最初から無表情を徹底する。会話をして自分の弱さ・能力の低さがばれてしまうくらいなら最初から自分から関わらない。
こうしたいかにも極端な選択をし、どんどんと自分の殻へ閉じこもるようになっていった。
PS:ちなみに完全ボッチではなく、信頼する人も少人数ながらいました。自分のこんな悩みなどは話せませんでしたが登下校や部活・勉強を一緒にして困ったことは助け合えるような関係はかろうじて構築してました。
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