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【ヨガ話】ふさがった両手を広げたら人生が見えてくる?(アパリグラハ)

ヨガ哲学で生き方見直しちゃうよシリーズも第5弾、控えるべきこと・ヤマもこれで5つが揃い踏み。物やお金への執着はさほど自覚のない私だけど、場とかプライドとかにはしがみつきがち。手放せば、手に入る。なぞなぞみたいだけどもうちょっと具体的に掘り下げよう。

アパリグラハの定義

漢字で書くと「不貪(ふとん、と読むそうだ)」、つまり貪らない。執着しない。抱え込まない。「ヨーガスートラ」によれば、アパリグラハを12年間続けると「自分のカルマ(行い)のシナリオ(宿命、運命)がわかります」(向井田みお「やさしく学ぶYOGA哲学 ヨーガスートラ」p.161)だそうで、つまり執着を手放すと人生でなすべきことがわかる、人生を理解するための知恵が身につく、とのことだ。いらぬことに意識を奪われ、余計なもの手がふさがっていると、人生において本当に大切なものに出会ってもつかみ損ねてしまう。ちょっと胸がきゅっとなるような思い出に心当たりがあるので、ここらで言語化してこころのひっかかりを手放そうかな。

惜しかったマイスイートホーム

自宅の話ではなくて、8年前に解散したマイホームカンパニーの話である。かつて私は時間堂という劇団でプロデューサーを名乗っていた。5年に満たない短期間、だけど本当に濃密で波乱万丈で、今、書いているだけでもちょっと動悸がするくらいいろんな感情にあふれていた。一気に人間関係の広さも深さも変わったし、やったことのないことにたくさんチャレンジした期間で、今の私の仕事の進め方はここで確立したと思っている。ツアー公演も、海外小説の舞台化も、スタジオ運営も、会社設立も、初めては全部この数年に詰まっている。

劇団の進退を話し合っていたとき、私は解散することにものすごく抵抗感があって、特に「このアンサンブル(注:演劇業界でいう兼ね役をやるひとたちのことじゃなくて、ハーモニーとかチームワークとかみたいな意味)を手放す」のが本当に惜しくて、でもこのまま続けるのは難しいのもわかっていて…と、結論が出せずに本当に困り果てていた。そのとき、こころを決めた主宰が「手放した方が新しいものを掴める」みたいなことを言って、そうか、両手いっぱいで握りしめているから新しいものが手に入らないんだと腹の底まで納得したのだ。

劇団を続けられなかったことを思い出すと今でもこころがちくっとするし、後悔もあるし反省もある。だけど、あのとき手を放したから出会えたひと、出会えたお仕事もあるし、劇団という形は手放したけど、あのとき出会ったひととの縁まで手放したわけじゃない。抱え込まなくても、人間関係も経験も財産として残っている。思い残していることはゼロにはならない。だけどそっちに向かう意識を、今、目の前のひと・仕事に向けてみる。こう考えると、たしかに執着を手放すと、人生の方向性が見えてくるんだな。実感。

マイルールへのこだわり

話は変わって現在の私の手放しにくいもの。それは仕事の進め方へのこだわり、ポリシーである。自分でもそこそんなにこだわる?みたいに突然頑固になるときがある。自分がなんらかのセクションの責任者であるときに特に顕著で、自分のペース・やり方を崩されるのがとにかく嫌。私の決めた進め方を勝手に変えられると機嫌が悪くなったり強く主張して元に戻してもらったり。私なりにいろいろ頭をひねって、目的とか意図とかを持って働いているので、それを簡単に無断で変更されるとなんだか自分を軽く扱われたような気持ちになって気分を害してしまう。そういうときって、そこまで相手は考えていなかったり、あるいはもっといい方法とか慣れている方法があるから変えているだけで、私へのリスペクト云々ではないことがほとんどなんだけど。なんだかちょっと過剰なくらい反発してしまうのである。

新卒採用で入ったコンサル会社で、私の初めての上司はとても頭が切れてかっこよくて、それでいていつもユーモアと余裕のあるひとだった。彼女はチームリーダーに着任したときに人間の脳みそをパソコンにたとえて、「自分にはひとり分のCPUしかないけど、この営業所にはたくさんのCPUがある。みんなの脳みそを貸してください」みたいな挨拶をしたらしい(私はまだ配属前でチームに合流しておらず、先輩からのまた聞きだった)。彼女みたいな思考になれたら、ひとりでは得られない成果にたどり着けるんだろうと頭ではわかっている。わかっていてもなかなかその境地にたどり着けないから、17年経った今でも憧れるのだろう。彼女は彼女で私は私だから同じにはなれない。でも、いいな、と思ったところは近づけたらいいんだけどな。

ひとは意識できないことは変えられないけど(無意識無能)
まずは意識してもうまくできない段階から(意識無能)
意識すればできるようになって(意識有能)
やがて意識しなくても自然とできるようになる(無意識有能)
このステップはどれもスキップはできないので、まずは意識するところから。

好きなもの・場所を繰り返す

話は変わって今度は志向性の話。学生時代の友人が占いを生業にしていて、もう何年も前に見てもらったことがある。そして「気に入ったお店とか場所を繰り返すよね」と言われてたしかにー!と深く頷いた。人生的には安定志向とは言いがたいキャリア形成なのだけど、本質的にはお気に入りを見つけたら定住しがち。それ以上の冒険はしない。そもそも冒険はお気に入りを見つけるための行動なので、見つかったらそこで満足する。省エネ。これまでほかの記事でも何度か書いた通り、私は極度のめんどくさがりなので、もう見つけたって思ったら「探す」という面倒はやめてしまう。

この志向性は一概にだめとか変えるべきとかそういう話ではないと思うけど、まぁ、同じものを繰り返すことで新しいものを知るチャンスを手放している可能性はあるよな、と思う。学生時代にお世話になった心理学の先生も言っていた。人生は選択の連続で、ひとつを選んだらもうひとつは選べない、みたいなことを。引き出しを増やしたい気持ちがあるなら、繰り返しをいったん抜けてみることが必要ってことかな。まぁ、この癖は譲れないってほど強いものではないので、さきに書いたマイルールよりは気軽に手を放せそうではある。てなわけで、こないだスタバでいつもカフェミストばかり頼んでいるのをカフェモカにしてみた。おいしかったけど、やっぱりカフェミストが好きだなって思った。違う行動をとったから、いつものよさも再認識。

アパリグラハは人生の道しるべ

執着しがちなものを抱える力を緩めたら、違うものがつかめる・見える・寄ってくる、つまりは視野が広がって視界がクリアになって、見えてなかったものが見えるようになる。そりゃ人生のシナリオも見えてきそうだ。

自分がこだわっているものから手を放すのは勇気がいると思っていたけど、その気負いすらも手放してもっと気楽になってもいいのかもしれない。だってあんなに大事なものから手を放したつもりだったけど、そこで得た本当に大事なものはちゃんと私の手の中に残っている。

そしてあの経験があったから、私は今の「私はプロデューサーではなく制作である」立場が明確になったし、もっと言えば「制作はプロデューサーになるためのステップではない」ていう考えもより明瞭になった。

アパリグラハは頭の中を埋め尽くす雑念を整頓してほしいものを入れるスペースを作ってくれる上に、いらないものに意識を振り回されたりエネルギーを消耗されたりすることも減らしてくれる。そして本当に大事なことに焦点を絞らせてくれる。まさに人生のシナリオ理解。

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さて。ここでヤマ(控えるべきこと)が終わったので、次回からはニヤマ(やったほうがいいこと)に入っていく。ヤマもそうだけど、ニヤマも「そりゃやった方がいいわ」「いいってわかってるけど続かないんだわ」「当たり前に大事なことだからといって実践がたやすいとは思うなよ」なことが多い予感。いっこいっこ、自分のお腹に落としながら書いていこう。

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