がんばりかたがわかればがんばれるという仮説

求めている成果があるとして、何をしたら到達できるのかがわかっているとがんばれるタイプである。目的を叶える方法について「これが効果的なんじゃないか」って仮説をもってトライする。その仮説に自信が持てているとき、行動は迅速に明確に起こせるものだ、という考え。

ただ、同時に、何のためにその仕事があるのか、目的ありきであることを忘れてはならむ(自戒)。目的と手段がごっちゃになって、手段をがんばることが目的、みたいな錯覚に陥ってないか。

最近、『パフォーマンス・スコアカード』を久々に読みかえして、定量の指標を持つこと、それもプロセス評価軸を持つことについて復習したのだけど、目標達成につながらないプロセスをいくらがんばってもほしいものは手に入らないから、効果測定=検証、振り返りって大切よね、と再認識した。

私はいわゆるPDCAサイクルの中で、「P(プラン)」を夢中になって立てるわりに「C(チェック)」をたいしてしないまま次の「P」に突入しちゃいがちである。次の「P」をたてながら他の「C」をやっている(そういえばこないだの公演はここがこうだったな、みたいな)ことも多い。実は個々の公演を開催するシンプルなプロジェクトの場合、「C」をやるタイミングでは私の契約が終わっていることも多い。しょっちゅう大変な目にも遭ってる気がするこの仕事をなんだかんだ楽しく続けているのは、この「C」をあんまりやらないから「大変な目」を忘れちゃう(いわゆる喉元過ぎれば、というやつ)ってのもあるかも。でもこれ、私の中に経験が積み重ならない、つまり二の轍を踏む、失敗を繰り返す、危険。うわぁ。

今、一時的に仕事量が減っている隙に、「丁寧な仕事ってなんだろな」みたいなことを見直している。がんばりかたがわかればがんばれる、は今後も変わらないと思うけど、ほんとにこのがんばりかたで大丈夫?をときどき挟む仕組みを作りたいな。こういうの、「気を付ける」では解決しないと思うので。


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