【ヨガ話】清潔であれ、なんて当たり前なんだけども(シャウチャ)
ヨガ哲学で生き方見直しちゃうシリーズもついに折り返し。前回で「ヤマ(控えるべきこと・禁戒)5つの掘り下げが終わった。まとめて読んでみようかな、という奇特な方は、「晴香のヨガ話」というマガジンがあるのでぜひ。
自分がヨガを始めるまで、私はヨガのことを「おしゃれエクササイズ」だと思っていて、自分のような未熟者には高尚なご趣味、おとなのたしなみ、みたいな印象で憧れとか羨望とかを感じながらちょっと距離をとって見ていた気がする。なんとなく、気後れする、キラキラしたおとな女子がやってるイメージで。自分で始めてからはだいぶハードルが下がって、それでも「老若男女が楽しめる健康体操」だと思っていた。深い呼吸をいっぱいして、無理なく気持ちよく身体を動かすっていうのがヨガのいいところだ、と。それはたしかにそうなのだけど、それはヨガの中でも「アーサナ」と言われる部分だけを切り取って味わっていたにすぎず、ヨガ哲学の話なんかもたまに耳にしたとしても、そこまで自分の人生につながるものだという覚えはなかった。
思いつきでヨガトレーナーの勉強を始めて、ヨガは愉快なポーズを次々とることではない、とやっと気づきを得る。ここからやっと、私はヨガ全体のコンセプトとか、成り立ちとかに視線が向いた。ヨガはマットの上での体操だけじゃない、on the matとoff the mat、つまりマットの外でも生活のすべてがつながっている。ちょっと宗教みたいだけど(実際、ヒンドゥー教がベースにあることはたしかだ)、掘り下げていくとどんどん身近な当たり前に大事なことにつながっていく。
前置きが長くなったけど、今日からは「ニヤマ」、やったほうがいいこと、オススメなこと、「勧戒」5つを考えていく。どれも当たり前すぎて誰も反対しなさそうな「やったほうがいいこと」づくめ。こうご期待。
シャウチャの定義
清潔、清浄、浄化などと訳される。清潔を保った方がいい、ということに異を唱えるひとはいないと思うのだけど、この「清潔」は物理的な身体や衣服、部屋を綺麗にしよう、みたいな目に見えるものだけじゃなくて、こころの中まで清浄を保とう、すっきりさせておこう、というからヨガっておもしろいよねぇ。前回、アパリグラハで執着を手放したらこころにスペースができる、みたいなことを書いたけど、シャウチャもお掃除することでこころにゆとりが生まれて集中力が増す、らしい。
あまりにも当たり前のことすぎて記事になるんかいなと思っていたのだけど、あたまの中・身体・環境のそれぞれでそういやこれはシャウチャでは?という実体験が出てきたので忘れないうちに書いておこう。今回もごくごく個人的に、実際的に。
ヨガの時間=あたまの中のデトックス
こころの浄化とはこれすなわち瞑想のことである、とものの本には書かれていたのだけど、私はヨガを愛好する割には瞑想にはあまり頓着していない。と思っていた。でもよく考えたら瞑想的な時間はとっているじゃないか。ヨガのレッスンそのものが私にとっての瞑想、あたまとこころのお掃除なんじゃないかと気がついた。
かつて、仕事最優先をはき違えていた若かりし頃は、仕事が終わらない=ヨガレッスンはキャンセルする、という選択をしていた。だって仕事がまだあるのに趣味の時間なんてとれないよ、ていう理屈だ。ところが。あるとき気づいたのである。ヨガに行ったほうが、仕事の効率も質も上がることに。
ここでいうヨガはいわゆるヨガエクササイズのレッスンのことだ。思えばスタジオに入ってからレッスンを受けてシャワーを浴びてスタジオを出るまでの2時間弱は、毎度プチデジタルデトックスである。レッスン開始時にはあたまの中が仕事でいっぱいでも、いつの間にか自分のこころ・呼吸・身体に集中して忘れている。というか、集中しないと次になにをやるんだかわからなくなるし、そこで仕事のことを考えたところでメモも取れない環境なので、いい意味であきらめがつくのだ。そしてすっきりさっぱりした帰り道などに、突然シンプルでスマートな考えがするっと思い浮かんだりする。深い呼吸をたくさんしたあとだからかあたまも冴えているので、ヨガのあとの仕事は量質ともに明らかに向上する。これはつまり、ヨガレッスンであたまの中を綺麗にできてる、シャウチャ効果ってことなんじゃないかしら。
蔑ろにしていた身体を慈しむ
お次は身体について。RYT200の資格を取ったときのテキストに、「身体は礼拝するための寺だから、丁寧に清潔に扱われるべき」、と書いてあった。ただ掃除するだけにとどまらず、新鮮で健康にいい食べ物だけを採り入れることなんかも含むらしい。汚れたものを中に入れないってことなんだろう。
そもそも自分の身体を祈るための寺=神聖なものとして扱うどころか、あんまり大事にしないで中年になってしまった。40歳手前でやっと、まともに自分の身体をいたわるようになったと思う。上述した忙しいときこそヨガに行く、もそうだけど、長時間労働を辞めたり、食事休憩をきっちりとったり(以前は食べ損ねたり、仕事をしながら食べるとか食べ終わった瞬間に働いたりしていた。今も多忙を極めるとたまにやっちゃうけど)、お風呂も心ゆくまでたっぷり入ったり。40代に入ってからのほうが体調がいいのは、ヨガのお蔭ももちろんあるけど自分の身体への向き合い方が変わったっていうのが大きいと思う。シャウチャの観点とはややずれるのかもしれないけど、「身体を丁寧に扱う」というのは、ここ2年くらいでようやっと考えられるようになったかな。
劇場入りの瞬間からバラシのことを考える
最後は環境の話。それも職場環境のシャウチャ話。私は演劇スタッフを生業にしている。で、演劇公演では劇場に入って最初は「仕込み」をして、最後は「バラシ」をして劇場をあとにするわけだけど、なにを隠そう、私はこの「バラシ」が大好きである。もちろんリハーサルも本番も好きなんだけど、全然違う方向で好き。いかに効率よく梱包して搬出して原状復帰するか。大好きなんだけど1分でも短い時間で少しでも小さい労力で美しく終わりたいと毎度あくなき追求をしている。そしてそのためには、仕込みの段階からバラシのことを考えるのがポイント。
バラシを考えていると、無駄なものが散らからない。本当に使うものだけを使い勝手のいいところに設置して、すぐには使わないものでもいざというときに見つけやすいように整頓してしまっておく。どこに何があるか、誰でも見つけやすいような法則性をもって定位置を決める。動線や最終的な行き先を考えながら収納する。この作業がとっても楽しい。
これってまさにシャウチャの実践じゃないか。作業場が整頓されていて机の上が大きく空いていると仕事もやりやすい。清潔な環境は気が散りにくく、集中しやすい。
んーしかしここまで書いて、自分の部屋はそんなに整ってないな…と見まわしてみる。演劇公演みたいにバラシが決まっていたら整えられるのかしら。いつか使うかもしれないものとか、思い入れがあるだけで使うあてもないけど捨てられないものとかいっぱいある。せっかく季節も過ごしやすくなってきたし、ここらで自室も綺麗にしたいもんだな…反省…。
シャウチャは健康にいい
シャウチャを実践すると集中力が湧く、と言われているのだけど、ここまで書いてきてもうひとつ、すごく健康的な考え方だと思うに至る。清潔であることは健康にいいなんて何を当たり前な…とも思うけど、健康を保つことが長らく苦手だった(というか本腰を入れてこなかった)私にとっては結構大事な気づきである。
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こんな感じでニヤマはどれも「そりゃいいに決まってますわ」なことが続くのだけど、ひとつめを書いてみてなかなかボリューミーな記事になったのでこの先も楽しみ。気づき、再発見、ひらめきの連続。ヨガのことも自分のこともどんどん好きになっていく。もっともっと知りたい。