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愛が見えるようになる方法を知ってしまった。

今週は価値観の階段を3段飛ばしくらいで進んだ一週間でした。
ややこしいことを言葉にまとめるのが好きな五味でも
スパーーンと駆け上がりすぎて
3人に言葉で話してみても、
2時間noteを向き合ってても
びっくりするほどまとまらないので
1ヶ月後くらいに深いところに落ちて本物の価値観となってから
大事そうに語れるんだと信じて、
この言葉にならない感じをメモとして
今日の #週1note に残しておこうと思います。

大事な人にとっての「大事な人」に
自分がなれてることに
気づくには勇気がいる。

目の前の人が「優しい人だから」
あなたに優しくしてくれたんじゃなくて、

「あなただったから」優しくしてくれた
のかもしれないと、考えたことある?


すごい自惚れろってことじゃないんだけど、

目の前の人を「ちゃんと見る」ことに集中すると
自惚れではない本物としてそこに見えるものがある

それは紛れもなく、名指しで、
パンツの裏のタグに書いた名前みたいな、
どんなに洗濯しても落ちないくらいの名指し具合で、
真っ直ぐな目で、自分を見ている。

好きとかも全部そうで、
あなただから告白したんだよって話。

友達だって、あなたとだから遊んでるんだよ。
別に行きたいところがたまたま一緒だったからじゃない。

私に向けた全部だと、気づいた瞬間愛が溢れた。


気づいた時、
え、まじ?
これみんな気づいてるの?
だとしたらすごすぎやしません?
もしかしてそういうことなのか?
そんな私価値高いことある?え?
受け止めるの怖いよ..!
と思いました。

ていうか、何があったんだ!?
という感じのnoteを読んで下さった方々、
ほんとすみませんありがとうございます。

きっと具体で伝えてもなんのこっちゃだと思いますが、
出来事としては、
大好きな親友と一番愛でてる後輩が付き合った報告をもらって、
一旦嬉しい困惑した私は、もう1人の大好きな親友に連絡し
翌日には私が今の仕事に就くきっかけになった友と後輩と結婚式で、
その結婚式で大好きな人たちが大集合&再会を果たし、
サプライズでステージ上から大合唱して、
ソロパート任せてもらったことと、
ステージ上から新郎が泣いてるのを見て泣きそうになったり、
その後魂の形が一緒なんじゃないかという同志の同期と語って、
その夜は人生の師匠みたいな大事な人に
1年ぶりくらいに何時間も話をしたことで
自分が思っている以上に
愛されているかもしれないと気づいた訳なのです。

すんごい濃すぎて、
どうしたらいいかな、ひとまずお腹いっぱい。

この感じをちゃんと噛み締めながら、
これを機に、贅沢に世界を受け取ろう、と思いました。

おしまい。