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十字架の翔ばたき(後編)

前編= https://note.com/haruhaku/n/n06afe40836af

中編= https://note.com/haruhaku/n/n8b06123e9b37

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「こんばんは。今宵はお越しいただき、ありがとうございます」

 1ヶ月後。穂栞は上下黒のドレスシャツとロングパンツ姿で、いつもの配信部屋でタブレット端末に向けて……今日は手を振るのではなく、深々とお礼していた。

「本日は、招待制配信ライブとしています。ご招待コードをお送りした人以外は、配信も配信中のやりとりも、一切閲覧できないようになっています」

 頭を上げた穂栞は、画面に向かいひと通りの説明をした後、椅子に腰掛けた。座り慣れたはずの椅子は、今日はなぜか、ふわふわとした違和感を感じる。

「ご招待したのは、貴方一人です。リュートさん」

 数秒の間を置いて、タブレット端末に文字が刻まれてゆく。

『こんばんは、穂栞さん。今夜はご招待いただき、ありがとうございます。
 しかし……穂栞さん、自分の行いに対して質問をされるのが苦手とは存じながら聞きますが……なぜでしょう?』

 穂栞とリュートの、静かなやりとりが始まった。

「そんなことまで私のことを知っているのですね。リュートさん。
 ……いいえ、黎月さんとお呼びした方がよろしいかしら?」
『その名前の男は死んだのです』

 今度の返しは早かった。そして数秒の間を置き、続きのテキストが紡がれる。

『現実の世界でも、そして……穂栞さんの心の中でも』

 次は穂栞が数秒の間を置き、一度うつむいてから、再び視線を上げた。

「今宵は黎月さんの命日だそうですね。もうこの世にいないはずの人と、私はこうしてやりとりをしている……そんなことあり得ますか?」

 穂栞の右手は、胸元で強く握られている。その親指と人差し指の間から、煌めく銀の鎖が伸びていた。

『穂栞さん、このアカウントは私と貴女の共通の親友、ライブバーのバーメイドがなりすましているのではないか……そう考えていらっしゃいますね?」

 一瞬目を見開き、驚いたような表情を見せる穂栞。返す言葉をする前に、再びタブレット画面に文字が刻まれる。

『それはない、とだけ申し上げておきましょう』
「そうでしょうね。だって」

 言うと穂栞は、画面に向けて左手を伸ばし……その手には、一台のスマートフォンが握られていた。

「彼女のスマホは、ここにあるのですから」

 事情を説明すると、基本仕事中は使わなくても差し障りないから、とバーメイドは画面ロックしたスマホをすんなり穂栞に預けてくれた。この時間は、彼女も一番忙しい時間帯の仕事中。なりすましはまずない、と考えてよかった。
 再び、バーメイドのスマホを元の位置に戻す穂栞の表情は……安堵感に満ちていた。

「本当にリュートさんは、黎月さんなのね」
『死してなお残留思念でSNSのアカウントを動かすことができる……私も自分で驚いています。あと、右手はそんなに強く握ると、大切な手を痛めますよ』

 この期に及んでなお、そんな心配までするのか……そう思うと、穂栞は何ともいえない気持ちに満たされた。

「この……心配性」
 十字架の痕がくっきりと赤くついた右手も見つめると、穂栞は意を決したようにタブレット画面へと視線を移す。

「黎月さん……いえ、リュートさん。今日は貴方のためだけに、曲を弾きたいと思っているの。いいかしら?」

 立てかけてあるギターに手を伸ばし、ぐっと掴みながらも固唾を呑んで正面を凝視する穂栞。
 しかし、タブレット画面に新しい文字は刻まれない。数秒の沈黙が、数年の沈黙と思えるぐらい長く感じた。

『私が聴いてもよいというのなら』

 言葉を返す代わりに、穂栞は握りしめた愛用のギターを、力強く手元へと引き寄せる。

「ではでは、最初は二人の思い出の曲から参りましょうか。
 覚えていますか? 5年前、とても小さなカフェで、私の演奏を貴方が最初聴きに来たときのこと。私は今でも覚えていますわ。そのときのアンコール曲、Don’t Know Whyを再び貴方へ」

 ――其れは穏やかなテンポのブルース。一本調子になりやすいリズムを、音ひとつひとつに、深さと緩急を巧みにつけて。海の底のような哀愁を纏う中に、仄かな華やかさを散りばめて。丁寧に旋律が組み上げられてゆく――

 弾き終わり、一瞬よりも少し長く瞳を閉じて、再び……瞳をゆっくりと開いた。

『ヴラーヴァ。伸びやかでとても良かったですね。個人の感想ですが、明らかに5年前より上達しているように思います』

 穂栞の開いた瞳には、タブレット画面に刻まれた、リュートからの賛辞が映し出されていた。

「……ありがとうございます、リュートさん。再びこの曲を貴方に聴いていただき、とても嬉しく思いますわ」

 静かな、噛みしめるような穂栞の声。しかし、その声に応えるテキストは、しばらく経ってもタブレット画面に刻まれることはなく。

「リュートさん……」

 穂栞はギターを左手に持ったまま、タブレット画面を右人差し指で軽く小突く。

「ひょっとして……泣いてますね?」
『感極まって泣くのを、文字で表現するのは難しい』
 今度はテキストが素早く打ち込まれた。そして、続けて次の言葉も映し出される。

『もう此の世に思い残すことはないような気がします』

 ――どくん。 

 穂栞は自分の心臓が、大きく鼓動する音を、確かに聞いたような気がした。
 今度こそ、今夜……リュート、否、黎月との本当のお別れになってしまうような予感。

「何を気弱な! ではでは、次々弾きますよ。私たちの……思い出の旅路へ、いざ」
 敢えて明るい口調で。穂栞は、再びギターを構えた。


 ひとつひとつの曲と、それにまつわる追憶を2人で振り返りながら、既に配信開始から2時間が迫ってきていた。

「ごめんなさいね、リュートさん。次が用意した最後の曲になりますわ」
 招待配信枠は、規定で2時間が上限と決められている。次の1曲が最後の曲となりそうだった。

「配信の最後に、ひとつお聞きしたいことがありますわ、リュートさん」
 穂栞はいったんギターを立てかけ、居住まいを正すようにしてタブレット画面へと向き直る。

「これからも、私の音を、聴き守ってくださいますか?」
 すぐに、画面に文字が刻まれてゆく。しかし、その表示速度は明らかに遅かった。

 ――回線の調子が悪くなったのかな?
 穂栞はそう思ったが、その考えは、すぐに泡がはじけるように消えていった。

『私にはわかります。残留思念は、もうすぐきえようとしています』

 思わずタブレット端末を両手で掴む穂栞。

「そんな、それはあんまりではないですか!
 これからも、今までみたいに」
『ほのかさん』

 もはや漢字へ変換するだけの余力もないのか、平仮名がテンポ良く羅列されていく。

『ざんりゅうしねんが、きえても、わたしはずっとあなたのおとを、きいていますよ』

 両手で端末を掴んだまま、穂栞は画面を食い入るようにして、音もなく涙を流しながら見つめている。

『ほのかさんの、こころのなかに、わたしはこんや、いきかえったのですから』

 画面が割れてしまうようなほど力を込めて、穂栞は端末を握りしめたかと思うと、両腕で端末を強く抱きしめた。

「ありがとう。リュート……黎月さん」

 そして、端末を再びテーブルの上に戻し、左手でギターを握る。

「私が最後にご用意した曲は、今宵のために作った曲ですわ」

 そして、右手で胸元の十字架のネックレスを握る。

 ――ずっと、ここにいて、私の音を聴き守ってくださいね。

 穂栞は心の中で語りかけると、十字架から手を離してギターを構えた。

「今宵は、そして、これまでありがとうございました、黎月……リュートさん。
 私、もっと上達して、ひとりでも多くの人々の、心の中で生き続ける音を。人々を幸せに導くための音を、紡いでゆきますね……貴方へ贈る最後の曲、十字架の翔ばたき」

 街角を歩いていたら 懐かしい音が聴こえて
 ふと足を止め振り向けば 想い出の色が見えたよ
 
私が迷子になっても 泣き崩れそうなときでも
 君は私の手を引いて いつも見守ってくれたね

 わがままさんな私でも 大切にしてくれたのに
 そんな宝物の君を 涙も流さず捨てたい
 残酷だと知っていても ずっとそう思っていたの 
 
 二人のお守りにしてた 銀十字架のネックレス
 我慢できずに泣きながら 月夜の海に投げ捨てた

 君は諦めることなく 銀十字架を探し出し
 私に優しく握らせ 抱きしめて静かに泣いた
 ありがとう いつもありがとう

(十字架の翔ばたき 完)

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