発達障害という、超難関育児。

育てにくいとは思っていた

我が家は11歳の息子と7歳の娘の二人きょうだい。
11歳息子は1年生の最後でADHDの診断、昨夏の入院でASD(自閉症スペクトラム障害)とLD(学習障害)の診断もつきました。
正直なところ、幼児期からの育てにくさはずっとあった。そもそも私自身が産後豆腐メンタルがやられてしまい、まんまと産後うつになったのも原因のひとつかもしれないけれど。(私の場合はおっぱいトラブルがメインで産後うつ街道をひた走りました)

なんとなく「通じる」感じがあまりない。
でも、言葉は出るし、発達もひととおりクリアできる。だから健診では引っかからない。

幼児期は切り替えの難しさに疲弊した。(いや、今もか。)
よく言う「男の子だから」の域を軽く超えていた。
公園には20時近くまでいたこともあるし、いちど「これ!」と思ったら「これ」をしなければならない。好き嫌いはまあまあだったけれど、トマトをものすごく好む。「これ」じゃなきゃだめ。「切り替え」とは何ぞや、といった感じ。

助かったのはよく寝ること。睡眠障害はなかった。
正直愛着が湧かなかった。そのせいで、この子は「扱いにくい」のだろうか、と散々悩んだ。
保育園ではリーダー的なところもあり、そういう子、程度で済んでいた。先生を信頼していたし、自由に過ごすことができていたから。丁寧に接してくれた、良い保育園だった。。
それでも、「扱いにくさ」「育てにくさ」があることには変わりはなく、数か所で相談をした。でも、取り合ってはくれなかった。年齢相応ではないかと。

小学校はもちろんうまくいかなかった。上履き履かない、つまらない、床に寝そべる。担任との相性も最悪。
物を持ち帰ってくることができなくなり、叫ぶようになる。
宿題ができない。
課題ができない。
終わらない課題は家でやってきてといわれるが、フルタイムで働く身では見切れない。
担任からは「心配ですね」としか言われず、助けを求められなかった。かかってくる電話はトラブルの電話ばかり。
児童相談所にヘルプも出した。息子をひっぱたいてしまい、「手をだした」と電話をした。何度か面接もしてもらったけれど、解決にはつながらない。
結局自分ひとりで検索に検索を重ね区の「通級」なるものを探し出し、教育委員会に連絡をとった。
学校は、何の手助けにもならなかった。(特に担任)大変です、なんとかして下さい、以上。
なんとかなるならとっくにしてるわ!

そのころ、児童精神科でADHDの診断を受け、コンサータを始めました。

学校というのは、右向け右教育なんだ

小1の壁とはいうものの、本当に壁が高かった。

実母と同居しているのに、とにかく負担ばかり。
今思えば、理解のない古いタイプの担任。合わなかった。。
最後の保護者会で一言ずつ言わされたのだけれど、息子以外のお子さんは全員ほめてもらえていた。つまり、息子はほめるところなしということ。
これは精神的に辛かった。
がっつり公開処刑。
(今も、集団発表の場は公開処刑だと思ってる)
この先生には二度とお世話になりたくない。

学校は右向け右ができる子が行くところだと感じたのもこのころから。
要は定型発達児のための場。当時は、学校はお利口さんのための場だ、とよく思っていました。
IQがあれば支援級に行くこともできない。
知的には問題のない発達障害児に行き場なし。座って指示の聞ける子だけが生き残っていく。それが公立の学校。

誰も助けてくれない。
情報、支援は自分から取りに行け。
(まあ、公的支援ってそういうものですが。)
生き残れるかどうかは、全て親次第。過酷です。

この発達障害は個性とは呼べない

発達障害児を育てるのは大変です。
「障害じゃない、個性です」とはよく言うものの、入院までした人ですし、共存していく上で超えねばならないハードルを抱えています=障害、と言っていいと思っています。
特性持ちだけど、互いに困り感がさほどなければ特性で済むのかもしれません。

前回投稿から少し間があいてしまいました。
今日からは乳がんの放射線治療が始まります。(兄ちゃんのことで乳がんについて忘れそうになりますが、、)
またぼちぼち更新します。


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