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自分はマイノリティだったのかと知った衝撃について

食を備えるのオンラインサミットで受けた衝撃について。

▽食べものを育てて備えるオンラインサミット
https://copyrequest.lpages.co/growfoodregister/

もう本イベントは終了したのだが、主催者のナイスなステキな動きにより、特別対談みたいなのが繰り広げられている。
今回も相変わらず、おもしろい内容だった。
主催の小嶋真樹子さん、心より感謝申し上げます。

▽これは主催者さんの最近のnote

野グソで日本を変えようとしているおっちゃんや、銀行をぶっ潰そうとしている政治家や、何もしない農法で野菜を作っている農家。
尖っていて、超カッコいい。

このオンラインイベントは夏に開催されており、もう10回以上、様々な分野で活躍されている人たちが登壇したりセッションしていたんだけど、視聴していて、毎回共感し、安心する。
その内容について、何者でもない自分もここで論じてみたい気分を持ちつつも、一方で、今回の重要な視点としてはこのサミットのテーマと全く違くて(違うんかい)、「自分は、そういえば友達が少ない。」という危機について考えてみたいと思う。(テーマちっさ)
いや、少なくなった、が正確かもしれない。そういうギャップみたいなものについてつらつらと書いてみる。

ペラッペラな厚さの私年表

私は、ガチガチ大手日本企業のサラリーマンの父とお見合いしたお嬢学校出身の専業主婦の母に育てられ、兄もいとこもSランクの大学に行っていて、絶対的に中流階級っぽい感じの育ちなんだと思う。なぜか私だけが受験に完全に失敗したんだけども。家族全員、そういえば朝日新聞ばっかり読んでいた。

子どもの頃、飢えた記憶もないし、凍えた記憶もない。給食費もきっと、ちゃんと持たされていたんだと思う。知らんけど。

多分、周りとどうかは分かんないけど、育てられ方も厳しかった。
そして周りの空気を読んだり、共感力を発揮して、嫌われないスキルばかりを磨いていたように思う。友達も彼氏も絶えたことがない。常に誰かにモテているように、自分を守っていた。

だから、どこかの時点でパッカーンしてしまって、闘牛のようにあちこち走り回って傷だらけになって反抗してて、父母には、とても心配をかけた(進行形)

でも、さすがに東京で子どもを授かったあたりからは、ちゃんとしなきゃ、私の父母が望む、普通の妻と普通のお母さんをしなくちゃ、今度こそ幸せにならなくちゃ、とまた、持ち前の見せかけ八方美人力を炸裂して、たくさんのママ友や子ども同士、仲良し友達を作らせることに成功する。

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しかし、パッカーンするまでも、してからも、ものすごく辛かった。
なんで私の言うこと、この人に通じないんだろうか。
なんでこの人の言ってること、自分は分からないんだろうか、と。

もうめんどくさいから、分かっている風なことにして、普通にしていた。普通ってなんだ?って今なら発言できるくらいにはなったけど、そもそも当時はそういう疑問すら、持たなかった。

子どもの頃、親たちの投資によって、みんながやっていることをまぁまぁそつなくこなし、大人が期待することを、中の中くらいは達成してきたんだと思う。しかしそうすると、本当の「自分の心」が見えなくなってしまって、嫌いなもの、は分かるけど、好きなものってあんまり分からなくなるのだった。それを原因にするのは乱暴なのかもしれないけど、私はいまだに「自分の本当にやりたいこと」が分からない。
新宿で震災を経験してから、さすがにこのままじゃダメだろ問題は、感じていたけれど。動くきっかけにはなれずにいた。

それで、やっとちょっと方向性が見えてきたのだ。移住してから。子どもを土の上で、育て出してから。
まだまだ、クエッションマークだらけではあるが、「これは嫌だな」「これはおかしいよな」は判断して理屈的にも、自分の中に落とし込めるようにはなってきたというか。
子ども真ん中に考えだすと、地球に負担のかけない暮らし方とか、足るを知る生活とか、自分で何かを生み出す仕事、とかそういうアクションを起こす発想になっていく。

あーい うぉんと びー ざ マーイノーリティー(グリーンデイ)


生まれ育ちが東京の夫と私は、長女の誕生をきっかけに岡山県和気町という田舎町に移住した。

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都会で築いてきたなけなしのキャリアを捨てて、老いた両親たちを置いて、幼馴染の友人たちと離れて、この目の前にある素晴らしい景色を、やっとやっと獲得したのだ。

この宝を子どもの未来に残せるようにするには、ただ地方で、与えられた仕事をして、消費していく人生では間に合わないのだ。

夫婦でぬひょんとしてたら、あっという間に、本質から離れた何かに、乗っ取られてしまう、という危機感がある。

必死になってここにたどり着いた人種と、たまたま、そこに生まれ落ちてずっと住んでいる人。もしくは、数ある地方創生の取り組みの中で、まぁお得っぽいからここにしとくか、的に消去法で流れ着いた人。
人口はたったの1万3千人。完全車社会。そうなってくると、どうりでリアル(=オフライン)の世界で、今回のオンラインサミットのような話をする人があまりいないわけだ。
snsの世界に行くと、いとも簡単に出逢え、激しく同意!の人たちと延々やり取りが続いてしまったり、この考え面白いな、もっと話聞いてみたいな、本を出してないかなとネット上でウロウロ探しに行ったりする。
そしてその人の本を何冊か読み終わる頃には私も彼、彼女の(一方通行の)親友となっていて脳内では普通に対面で座り、お茶しているという。

オンラインで出会う人たちはスーパー実践者であり、私の先導者というか。挑戦的で断定的で、いやー行動していっぱい失敗してきてるから、納得感あるよな。自信があってすげぇな、って思う。子育てに奔走していて物理的に制限がある飢え気味な私は、こういう人たちとコミュニケーションを取る時間が、あまりにも足りない。

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一方で、PTA保護者会や地域の寄り合いでは、「あれっ今の自分の発言はおかしかったのかな」と変な汗をかくことも少なくない。
あんまり、その話題おもしろくないなぁ、みたいなことも増えるようになった。

大人だけの世界だったら、これからの時代はそれでいいんじゃん、と思う。「我の世界、オンラインにあり」で。
しかし、子どもは人格の根幹をつくるという大切な時期に、地域で育つ。私も、地域で育てる。だから、どうしても、このままではいかんのだ。
東京だったら母数が大きいから、そりゃたまには、価値観が似ている人に出会えたりもするよね、という言い訳。
そういうわけで、私のためにも、みんな気づいて動いてもらわないと困るのだ。(←)

ちなみにこの町で、日々の暮らしで発生するご近所さんとの何気ない会話とか、馬鹿話は大好物だ。地元の人からは生活の知恵とか、昔ながらの工夫とか、食べ物の話、歴史なんかがすごく興味深いし、よそから来た人は、それまでのストーリーを聞くこと自体がめっちゃ楽しい。
そして和気町は地域性がそうさせるのだろうか、地元の人も、移住してきた人も、根が優しくて明るくおもしろい人がいっぱいいるのだ。

だからこそ、思想や政治や教育、みたいな部分でもっと深い部分で切実に、みんなが当事者としてオープンに話し合えたらいいのになぁ。。。って思うあたりが寂しがりやのうさぎちゃんなのであった。

オンラインオフラインで思い出したが、今、私の中でデジタルとアナログの乖離がすごいんだけども。
2040年の未来についての話とかをオンラインで聞いたあとに、役場とかに、なんか事務的な手続きで行くじゃん。

「げ、げんじつ世界ではまだハンコが必要なのかーーーーー!!!」と。
「文書のやり取りの往来ハンパなーーーーーし!!!」と。

電子マネー!キャッシュレス!てお店は変わってきてるのに学校の集金とか1円単位で現金を求められるし、マイナンバーカードの発行については、腱鞘炎になるほど住所や名前を書かされてドッペルゲンガーか何か。
一枚カード発行するのに、さすがにさすがに時間がかかりすぎやろ。この時給、計算したことあるんかい、と。
いやいやもう本当に、これが流行りの二拠点生活というものか(たぶん違う)

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話がずれたが結論は、これまで自分がないような自分だったが、そんな自分も枠的には、マイノリティになっていたのか!と言う気づきだった。
ということで、これからはそういう自覚のもと、動画の中で言われていた岡本よりたかさんのように、自分の考えを発信していくことが大切なのだな、と思いました。

ちゃんちゃん。

同調社会で生きていると、様々な立場の人と対話していくことが苦痛、苦手と感じてしまう人が増えているように感じるが、その対話こそ、そのズレこそが楽しい、と思ってほしい。

そしてマインドの通念としては、より良い世界になるように働きかけていくぜっていう意識をひとりひとりみんなが持ち、未来の話がそこら中でされている社会になる事を、切に願う。




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