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忘れたくないからミャンマーの話をしよう/前編

私事で恐縮ですが、昔から物忘れがひどく、ものを失くすことも多いので、旅しても旅しても思い出が写真一つも残っていない時もあります。

でも最近のミャンマーの様子を見ているとどうでしょう。楽しかったミャンマーでのひとつひとつ、異邦人として覚えている分だけでも残しておきたくなりました。これが楽しかったミャンマーを少しでも知っている私が出来る抵抗の一つの形でありこれからへの願いだと思っています。

私がミャンマーにお邪魔したのは、2018年に娘が年少時に家族旅行で、2013年のBerryz工房が出演したライブイベントでの2回です。ヤンゴンのみの短期間で薄っぺらい話かもしれません。しょっちゅうスマホを壊すか無くすかパスワードを忘れるかしているので、写真はあまりありません。

おばさんなので話は脱線するし長くなりますが思い出してみます。


2013年、初めてのヤンゴンまでの道


大学を卒業し就職もせず、タイのアイドルを追いかけなけなしの25万円握りしめ、まさに金無しコネ無しタイに移住した。

私は女の子のアイドルが好きだ。FCツアーに参加するためだったらパンの耳を食べてギリギリを生活するし、漫画喫茶にも住むよ!野菜ジュース飲み放題だよ!という、当時はアイドルの為なら自分の墓も掘りそうな勢い。廃墟のようなアパートにも住んでいたこともあったしガス代節約の為に大学のシャワーを乱用していた。はっきり言って一時期人間を捨てていた。アイドルの為なら何をしでかしてもおかしくない。タイにいきなり住んだのもそういった若さ故の勢いがあった。

タイ在住時、大好きなタイアイドルの現場にいつでも行けてうれし〜!けど日本のアイドルが観れなくて寂しい〜!という揺れ動く乙女心。そんな時海外でのイベントを精力的に行っていたのがハロー!プロジェクトである。今となっては日本アイドルの海外イベントもそう珍しくないが、というか誰でもできるようになってしまったが、この時代ではまさに先駆者のような存在であった。

ハロー!プロジェクトのBerryz工房はタイの国民的歌手バード・トンチャイ氏の楽曲を数曲カバーしていて、タイでの屋外イベントでは蜃気楼が見えるのではないかというくらいアツい空気がうねっていた。当時既に数回来タイしていたし、「幼い娘がBerryz工房のコンサートに行きたがっていてその夢を叶えるためにお父さんらが奮闘する」という現地コメディ映画まであったくらいである。一部若者や日本のカルチャー好きには名の知れた存在であったが、その後他の層にはそこまで浸透はしなかったとは言え、当時タイケーブルテレビの音楽チャンネルを垂れ流しているとよくMVが流されていた。




背景には当時K-POPには押されていたものの、タイのアイドルヲタの間でハロプロ人気は厚いベースが出来上がっていて、コンサートの度に来日する(日本の一般的なヲタよりも遥かに)富裕層のタイ人ヲタも結構いて、そういった層が現在のタイでのアイドルブームを色んな意味で支え続けてている。

当時ハロー!プロジェクトは「Hello! Project 15th Anniversary~THANK YOU~ Worldwide Handshake Events 世界握手会 ~"ありがとう"をこめて~」と題して離れても応援してくれている世界中のファンに恩返しをしようと握手会やイベントを各地で行っていた。その中には無料のものも多々あった。日本のヲタの中には「俺たちが使ったお金をどうせ違法ダウンロードしてるような薄いファンにお金を使うな」というような怖いことを言う人もいたが、当時韓国のアイドルが利益の無い様に見えるイベントで外の国へ進出し、結果現地のコマーシャルに出演したり自国の製品をアピールしたりと盛り上がっていたところを見ると、ハロプロは大きな結果には繋がらなかったけどこのムーブはあながち正解だったのではと思うのですがどうでしょう。韓国家電とそれのポスターに写るにこやかな韓国アイドルばかりが並ぶアジアのショッピングセンターを見て思いました。もちろんうまく行かなかったいわゆるB級韓国アイドルもいましたが。そして私はその現場にも行ってましたが‥‥。

だいぶ逸れたので話を戻します。

メロン記念日ファンの頃から現場でお世話になっていたDさんというアニキはハロプロでしょっちゅう海外遠征をしていた。私はコミュ障なので基本ヲタ活はお一人様、他のヲタと絡むのはあまり得意ではなかったが、Dさんは私がタイ在住時もバンコクに遊びに来てくれて、Berryz工房の現場にも一緒に行った。

Berryz工房がワンマンライブをバンコクで行い(チケットが高くて富裕層以外のファンは切られてしまい、残念ながら満席にはならなかったが外にはオリジナルのヲタTを着た若いファン達も集っていた)明くる日に、当時まだ名ばかりの民政に移行したてのミャンマーの都市ヤンゴンへ3名のメンバーは移動、現地の日本産業展のような催しでライブパフォーマンスと握手会をするというハードスケジュールだった。

私は当時日本での貧乏生活そのまま、バンコクでも貧乏生活を送っていたのでかなり迷ったが、ヤンゴン行くしかねぇ!スイッチが入りDさんとエアアジアのエアチケットを採った。そう、採ったのだ。初めてのミャンマーにそれはそれは胸が高鳴った!


エアアジアで参る


ヤンゴンはバンコクからそう遠くはなかった。あまりに早朝の飛行機の中でどう過ごしたのか面白いことがあったかもしれないけど覚えていない。思い出したら書くね。

ヤンゴン国際空港に着く。こじんまりとした廊下を進む。電源コードがつながれてなさそうなマッサージチェアがあった気がする。間違えてたらごめん。ちょっと暗い。人がいない。

進んだ先の広い部屋。ガラス張りの開放感もあり、他の空港と違って人がわさわさといない為か、がらんとした第一印象があった。その空間のガラスの向こう側は、そんなに踏まれていないのか階段もふかふかそうなレッドカーペットのように見えた。

イミグレーション待ちの目に飛び込んできたのは、柱にかけてあるモニター。ミャンマー女性歌手がパステルカラー基調のベッドの上をルームウェアでゴロゴロくつろぎながら歌う洋楽のカバー。私は今も当時もミャンマーポップスを聞くのが好きだ。ベトナムポップスやタイポップス、中華系ポップスはその言語独特の響きが良くて聞いているところも大きかったが、ミャンマーポップスはJ-POPにかなり近いものを感じられて好きなのだ。そして洋楽のカバースピードもかなり速い。この時モニターで見てたアーティストは誰だったか覚えていないが新しめの洋楽カバーだった。

イミグレからこんなにポップでいいの?普通関税とか検疫のお知らせみたいなの流さない?でも嬉しいなぁ。とノリノリで見ていたらDさんに「おい。いるぞ。」と現実に引き戻された。何がいるんだよ?と思ったらイミグレ列空間のガラスの向こう、まさにがらーんとしていたレッドカーペットのような階段から夏焼雅氏、徳永千奈美氏、須藤茉麻氏が降りてきた。いるはずのないものが見えたガラス一枚向こう側がもっと遠く見えた。確かに3人は見えたけど自分たちのイミグレ待機列も進むし、嬉しいボーナスタイムは終了。

我々はイミグレを進みタクシー!タクシー!タクシー!の客引きあんちゃんたち、想像したより全然いないけど、そのうちの一人にガタガタしそうな車に乗せてもらった。カンボジアで見た中古車に近い。

当時のヤンゴンの市内タクシーは、当時のカンボジア市外でのタクシーの様に、おでこランプやメーターはおろか、taxiなんてステッカーすらも付いていなくて一般車との区別がつかなかった。

え?本当に乗っていいの?と思いつつホテルに向かった。雑魚寝系安宿にしようかと思ったけど、Dさんにそれはちょっと…と言われたので普通のホテルにした。

タクシーから見える景色、素晴らしいパゴダが見えた。街に入ると砂ぼこり、建物は四角い。人はいるけど、他のアジアの国となんか違う雰囲気。インドも砂ぼこりを感じた国だったけど、もっと暗く感じた。自分がYouTubeで観ていたミャンマーポップスの流れるMVの世界となんか違う。あれはフィクションって知ってるけど、何かが違うな〜という引っかかりのある第一印象でした。

ホテルに着く。建物に近づくと基礎部分が心配になる造りをしている気がした。我々は部屋について一段落、ももクロちゃんをノリノリで聴いていた気がする。

そして即出る!パゴダの外も徒歩でちょっと見たけど参拝せず即JETRO主催の「ジャパンフェスティバル」にね!!


繰り出して若者


どこぞかのインターネット情報だっけ?本当にこれでいいの?と思いつつ不確かな情報で市内から乗り合いバスに乗って会場へ。

このバスが、すごく古い。私の大好きな安いタイ国営バスもディーゼル車っていうんですかね?床が木造の日本で使われていた中古バス。しかし、それよりも古かった。おもしろい。

会場周りの道は舗装されてなくてやはり砂ぼこりの中を進む。

会場外で机を出して在庫の少ないお菓子を売るおばあちゃんがいたので少し見せてもらった。アジアのお菓子が好きなので買おうかと思ったけど、今までの自分史上最高に味も中身も想像がつかず、手が出せなかった。中国か日本の古いゲーム風美少女キャラクターがプリントされたビニールパッケージに入ったひまわりの種や干し柿?のようなものでしょうか。実際手にとってはいないのであれは何だったのかわからずじまい。有難うおばあちゃん。

会場の中に入る。大きな体育館のような建物の中に四角い小さなブースがひしめき合い、人、人、人!狭いのか人が多いのかどっちなのかよくわからない。

私とDさんはどうにか会場を周ってステージへ近づいた。米製品、機械類、モーターサイクル、日本産の様々な分野の製品がこうやって一同にミャンマーに紹介されるのは面白いし、その一つにアイドルのステージも含まれるなんてJETROはわかっているなぁ!とニヤニヤしました。握手会の整理券もゲットした。自分あんまり写真に写りたくない人なのですが、このときばかりは場内で整理券を持っている様子をDさんに撮ってもらいました。当時死んだら遺影になっていたと思われる。

ライブステージはハロプロに珍しく写真撮影可だったし、この3人編成の準備時間も無かったようで珍しく歌詞が飛んでしまうこともあったり、現地の若い子が楽しそうにライブステージを観ていて、タイのアツい会場とは違うアツさがありました。こちらも若者のエネルギッシュさは感じるけど、アットホームなほんわかした可愛らしさもある。

名ばかりとはいえ民政になり新しい文化が育まれる前夜、いや育んでいる最中。こちらのライブに来ていた現地の若者たちは豊かなタイと違ってまだ手探りの様子も感じられたし、自分たちのできる範囲で楽しみを作り出そうとしているような気概があった。この若者たちにはもっと楽しいことがこの先待っているようで、同世代として羨ましくも感じた。

アニメや漫画関連のブースはなかったと思うが、日本のヲタクファッションに憧れているような男の子らもいて、DAIGO風穴開きグローブが欲しいけど現地に売っていないのか黒い化学繊維素材の手袋を自分で切ってお手性のグローブにしている子が印象に残っている。南国気候のヤンゴンではとても暑そうだった。でもそのDIY精神はイケていた!手持ちの服でどうにかやりたいファッションを実現させるその気持ち、すごいわかります‥‥!

私のライブレポは気持ち悪いので割愛します。


まあ私のわかりにくい文章だとあれなので、とても素晴らしい記事をご覧ください、オススメです!面識のない方のブログですけど勝手にすみません!


初ヤンゴン街ブラは不完全燃焼


アイドルのステージを観て完全にハイになり、イベントを終え外に出るとイベントに合わせて出店されたと思われる「かわいい 日本食レストラン」という日本語の書かれたテントが。

どれどれどんな可愛い日本食があるんだい?

お腹が空いていたのでメニューを拝見、オムライスを頼む。オムライス?これは匂うぞ?

出てきた割り箸の箸袋を見ると、メイド喫茶っぽい。予感が当たった気がする、なぜなら私はコンカフェも好きだから。美味しかったです。しかしメイドさんはいなかった。

その後街に繰り出し、壁の無い床屋さんを見たり(切ってもらえばよかった‥‥)、トラックの荷台に乱雑に大量のTシャツを乗せた露店でお土産Tシャツ買ったり。同じ方式で果物屋さん、ポスター屋さんもあった。ミャンマー地図や東方神起など韓国男子アイドルを適当にコラージュしたポスター、ジャスティン・ビーバーのポスター。面白かった。前述のTシャツ屋さんで自分にはミャンマービールのTシャツを購入。1米ドルだった気がする。現在の我が主人にも同じTシャツを購入してお土産にしたはずが全然サイズも生地も違った。ジャスティン・ビーバーのTシャツも1ドル。あれ?2ドルだっけ?今では真相は闇の中。

うろ覚えですが「tokyo donuts」というお店を発見。うーん、味はノーコメント。ダンキンドーナツ的な。

続いて「tokyo chicken」というお店だっけ?入ったんですよ。めちゃ冷えたチキンを頂きましたがこちらもお味は‥‥。あっ停電になった〜!

ドーナツ屋さんもチキン屋さんも日本にちなんだ名前だった気がする。うろおぼえすぎる。写真撮ったけど、当時ヲタに譲ってもらったお古のiPhone、ロックかかっちゃって永遠に写真が取り出せない。

次の日はもう帰国日。最後にここらで一番大きいとされるショッピングセンターへタクシーに連れて行ってもらう。ミャンマーポップスのCDを手に入れるのだ。

ついてびっくり、やはり味気ない四角い建物。

確かに大きなお店なんだけど、他のアジアのショッピングセンターとどうしても比べてしまうと活気や鮮やかさが無いように思えた。冷たい四角いお店が並べられて四角いビルになったような。これはこれで面白いけど。クーラーは利いていたと思う。蛍光灯の灯りの色味が寂しい。なんでこんなに寂しく感じるんだろう。閉塞感を感じる?お客さんもあまりいない。

CD無事ゲットしました。初めてのミャンマー滞在、なんかアイドルのことだけで勿体なかったかな?でも当時は散策の難しい街のように感じたんです。街での現地の方からの視線が、ただ歩いているだけなのに何か悪いことをしているような‥‥今までの国で感じたことの無いような。インドの方にもかなりジロジロ見られたりしましたが、それとは違う視線。

しかし、これは好きな国だな〜という直感もあった。

そして2018年に再び訪れたとき、ヤンゴンは全く別の表情をした街に変わっておりました。

カバー写真はその2018年のミャンマーの遊園地です。



余談ですがミャンマーで初めてライブをした日本のアイドルは、えなこさんくろねこさん五木あきらさんのユニット『パナシェ!』だと思うのですが、当時はBerryz工房が初めて…のような報道ばかりでしたね。知り合いのライターさん達に「Berryz工房じゃなくてパナシェ!が初めてです」と念を押したのですが結局1本の記事だけ「メジャーのアイドルとして初」というニュアンスの表記に変えて下さりました。違うよ、パナシェ!もメジャーアイドルだよ!!!!自国の大切な文化であるコスプレイヤーさんを蔑ろにするような体質じゃ、そりゃ日本はポップカルチャーの強みがあるのに海外展開上手く行かないよなぁとも思うのですが色々と大人の事情があるようです。この件に関してはBerryz工房もパナシェ!も勿論悪くありませんので、気分を悪くされた方がいらっしゃいましたらすみせん。ただ、当時楽しまれていた現地のファンの方のことを思うとずっとひっかかりがありました。


うろ覚え旅行記、2018年のヤンゴンに続きます。次回は多分アイドルの話はしないと思います。多分。

子どものアイカツプレイ代に消えるでしょう。ご覧下さりありがとうございます。