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家族、このどうしようもなさ『ホテル・ニューハンプシャー』

 図書館で見つけたときなぜか無性に気になり、新潮文庫の『ホテル・ニューハンプシャー』を手に取った。なぜか今読む必要がある気がした。

 「父さん」が熊を買った夏から始まる、僕、父さん、母さん、兄のフランク、姉のフラニー、妹のリリー、弟のエッグ、おじいちゃんのアイオワ・ボブの話。父さんと母さんが会った夏、2人はフロイト(あのフロイトではない)と熊のステイト・オ・メインとも出会う。父さんはフロイトから熊を買い、フロイトはヨーロッパへ去る。それからフランクたちが生まれ、父さんの願いで「ホテル・ニューハンプシャー」を始める、というのが上巻のあらすじ。
(この小説では登場人物が性暴力にあう場面、具体的な描写、性暴力への言及が上下巻ともにある。)

 出てくる人たちはどうしようもない性格ばかりで、まったくもって正しくないことをしている。優しくもない。道徳観、倫理観に照らせば眉をひそめられるようなことばかり。でも家族の中では、彼らは「正しい」。ここに、家族のどうしようもなさがある。なぜこの小説にこんなに惹かれるのかと考えると、『ホテル・ニューハンプシャー』に書かれていることは、私が家族に対して抱いている感情に近いからだった。どの家族もそうかもしれないが、家族って異なる人たちがどうにか一緒に暮らしている歪なものだ。

ここまでが上巻の感想として書いていたもの。昨日下巻を読み終わった。「第一次ホテル・ニューハンプシャー」が終わり、フロイトの招きで今度はウィーンでホテルを始める。それからさらにニューヨークへ。

 下巻もまた、どうしようもなく、「悲劇」が起こる。それでも話は進んでいく。読み終わり、アメリカの小説や映画は「夢」をよく描くなあと思った。『ホテル・ニューハンプシャー』では朗読する本として出てくる『グレート・ギャツビー』や、去年公開された映画『ナイトメア・アリー』。「アメリカン・ドリーム」という華やかな夢が描かれると同時に、むなしく叶わなかった夢や悪夢もよく描かれる。「ホテル・ニューハンプシャー」はというと、どこでもまったく儲からない。それでも父さんは夢を見続け、三度もホテル開業に挑戦するのだ。
「悲劇」といったらこの小説の登場人物たちに笑われるだろうけれど、これだけ悲劇が起こるのに、どこか生を肯定するところがある(それでも死はショッキングだが)。
「開かれた」部分があるからかもしれない。確かになんだかんだ言っても子どもたちは父さんの夢を受け入れ協力までする。かと言って父のそばから離れられないわけではなく、フラニーやリリーは下巻の最後では「ホテル・ニューハンプシャー」を離れていく。ホテル・ニューハンプシャーには同じ名字の家族だけでなく、フロイトや「熊のスージー」といった新たな面々が来ては離れたり、また現れたりする。「家族」内以外での結びつきも強いのだ。特に父さんとフロイトの結びつきは何と言ったらよいものか、言い表せない。ホテルとしては全く成功しないが、「ホテル・ニューハンプシャー」の最終地点はよいものだと思う。結局なんだったのかと言われればこういう話だとひと言ですんなり説明はできないのだが、面白く、こんな小説は読んだことがない。

『ホテル・ニューハンプシャー』
ジョン・アーヴィング
中野圭二訳
新潮社(新潮文庫)
2005年



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