見出し画像

ゆりかもめ

2年前に書いたもの。 

 久しぶりにゆりかもめに乗った。何度乗っても、「自動運転」であることに不思議な気持ちになる。「自動車の自動運転」の話が出てきた今ではそんなに不思議なことでもないかもしれないけれど。ハイテクな乗り物が不思議だというより、窓の外に見えるビルではまだFAXを使っているかもしれない、というちぐはぐさが変な感じだ。ここだけが未来のような、それなのに取り残されているような。窓の外にお台場が見えると、「東京」にいるのだという気分になる。
 小さい時は、「東京生まれ」が羨ましかった。ドラマも映画もほとんど東京や都市部が舞台だったため、自分を都会の高校生に投影させて観るしかない。表参道を通って登校する高校生だっている、ということを、カラオケしか寄る場所しかない自分のことを、考えないようにする。
 旅行ではなく「用事」でゆりかもめに乗って外を見ながら、「田舎と都会」のことを考えていた。子育てをするなら田舎が良い。いやいや、若いうちは都会の方が良い。何かと「どちらが良いか」論争に巻き込まれがちだ。私はどちらが良いのか分からない。ただ、選べずに生まれ、そこから始まる生活があるんだと思う。街を歩いているとき、友人がビルを指しながら「あれは有名な塾。××中学の親はほとんどそこに通わせてる」と教えてくれた。××中学の子が塾で必死に勉強している間、私は家まで6キロの道を自転車で走っていた。全然違う世界があるのだと知った。
 不平等はある。でも、その2つに優劣はあるのだろうか? 東京の裕福な家庭に生まれていたら、今と同じ選択をしただろうかと考えると、きっとしなかったと思う。貧困や差別には腹が立つし解決したい。でも、どの町でもそこに生まれて生活している人がいて、違う価値観のなかで生きている、ということに圧倒される。どちらが良いかの論争の前に、そのことを無視するなと思う。
 今住んでいる家の近くを散歩すると、同じ人と出会う。夕方にいつもトランペットを練習している人、足が紫色のふわふわの犬を散歩させている人。自分で選べたり選べなかったりしてここにいて、たまたまこの人とすれ違っている、ということがなんだかすごいことのように思える。
 そういうことを、ゆりかもめに乗りながら考えていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?