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#13 劇場のセオリー

板付きのセリフ

客席が観客で埋まり始めた開演5分前。定刻通りか、5分押すか、舞台裏に確認が入る。「定刻通り」と指示を出すと、最後の客入りの曲がゆっくりと大きくなり、照明とクロスするように真っ暗な空間に音が溢れる。一転、静まり返ると同時に舞台にスポットライトが当たる。浮かび上がった一人の役者が静かに語り始める。

舞台の専門用語だと思うが、お芝居の明転にすでに役者が定位置に立っていることを板付き(いたつき)という。「板付きのセリフ」には、観客・役者・スタッフ含めその空間にある全意識が集中され、なんとも言えない緊張感と一体感がある。あの感覚が好きだ。
わたしは学生時代、どっぷりと演劇をしていた。といっても舞台に立っていたのはごく短い期間で、すぐに脚本を書いたり演出をしたりする裏方に回った。構想を練ったシナリオをト書きとセリフで表出させていく脚本を書く作業の中で、一際ワクワクするのは「はじまり方」だ。さーてこの芝居、どんな場所で、誰が、なんと言ってはじまるのだろう?

わたしの中の2つのリーダー像

誰が、どこで、何を言いはじめるのか?
それがその場に集まった人たちの物語のはじまりになる。でもこれは、お芝居だけの話ではない。ナラティブベースの組織運営でわたしが奮ったリーダーシップは、無自覚にもこのスタイルだった。

時間はずっと遡るが、わたしは幼い頃から「しっかりしている子」というラベルのついた典型的な「長女」タイプだった。大人の要望を読みそれに叶うようみんなを牽引するのが得意だったので学級委員とか実行委員会とかに必ず選出されてしまい、物心がついた頃には「しっかりしている子」以外の選択肢をすっかり失っていた。得意だからやるけれど、なんとなく、本当の自分と求められる自分との間に大きな溝を抱えていたように思う。

高校の演劇部で初めて本格的な演劇と出会った。
人との関わりの中でモノでも成果でもなく「場」と「物語」を作り出す、初めての経験。舞台にのるそれぞれの役者の特長・個性、即興劇(エチュード)で表れた様々な事象やセリフを構成していき、1つのストーリーを作り出す手法に夢中になった。

目標に向かい何かを進めるリーダーシップと、場を起こしていくことで何かが生まれるリーダーシップ、この2つはもともとわたしの中に内包されていたけれど、社会に出ていったときには、前者を中心に求められ、また「しっかりしている子」を求められているようなデジャブ感、息苦しさがあった。ところが、組織運営に「場づくり」を意識していくことで、わたしの後者のリーダーシップが再度息を吹き返し、イキイキしはじめたのだ。

永遠の実験場

ナラティブベースのメンバーはわたしにとっては仕事という舞台のキャストに他ならない。それぞれの個性や特性がイキイキと力を発揮し、その人らしいセリフで語り出す時、能力が溢れ出しユニークな価値を生む。お客様との一期一会で、他にはない問題解決が生まれる。
「型化できていない」「汎用性がない」「どうやって拡大するの?」と言われてしまえばそれまでだが、常に緊張感と一体感の中で、互いの化学反応を確かめながら進んでいくような実験感覚だからこそ面白い。大袈裟に言えばわたしが、働いている!って実感がそこにはある。

メンバーにはよくナラティブベースは「永遠の実験場」という話をする。
「同じ仕事でも誰がやるかで違っていい、違って当然」。
自分だったらどうするか?同じセリフでも誰がどう言うかで違ってくる。

そう言えば、学生時代にダイヤルQ2(古い!!)で競馬予想のアナウンスを読み上げるという超怪しいバイトをやっていたときに、競馬予想を行う占い師(ますます怪しい!)に手相をみてもらい、こう言われた。
「あなたは一言でいうと『人生の演出家』です。」
言われたそのときは、このおじさん、わたしが演劇してるの知ってるのか??怖い、と思ったまでだったが。。。今思えばあながち間違っていないというか、相当に当たっているではないか!!こわっ(笑)

そんなこんなで、わたしはかつて劇場で感じたセオリーに、励まされ続けた。

つづく

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