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可能性

いつから可能性を信じられなくなったのでしょうか。

小学生の頃は憧れや夢を抱き、「なりたい自分」を想像して毎日を全力で楽しんできたと思う。

しかし、今の自分はどうだろう。

やらない理由を探していたり、環境のせいにしていたりしていないだろうか。

それなりに幸せであれば良いと自分に言い聞かせていないだろうか。

確かに、何か成功しなきゃいけないわけでもないし、夢をかなえたから人生勝ち組だというものではないと思う。

そもそも人生に勝ち負けなどなく、それぞれ真剣に自分なりに自分の人生を生きていいると思う。

ただ、本当にそれがあなたの心からしたいことだろうか。

自分はこれをやりたい。だけど能力がないから、リスクが懸念されるから。

そうではなく、理想から思考することが本質的にオモシロクする要因になると思う。

例えば、Aさんはサッカー選手になりたかったとする。

でも現実的に考えて大学卒業後にプロとして活躍し、リタイア後も困らないぐらいお金も稼ぎ好きなことを仕事にすることの可能性を見積もったところ、そのリスクより今は他のことに時間を注ぐことを選択したとする。

これに対して、Bさんはサッカー選手を目指し続けたとする。

Aさんと実力が同じで正直、プロとしてすぐ活躍することが厳しい状況でもなんとかプロになる方法を模索し挑戦し続けたとする。

結果としてAさんは一般企業に勤め、ある程度の給与と生活水準を維持できたとしてもBさんに胸張って楽しい人生をおくっているといえるだろうか。

ある方の話によると、25歳でかつて抱いていた夢をあきらめる人がほとんどだそうだ。

新卒3年目である程度の生活が保障され社会に慣れ、そこで満足してしまうらしい。

そのような方はきっと夢に向かって燃え続けるあなたに「お前じゃむりだ。」「現実をみろ。」などと悲しい言葉をかけてくるかもしれない。

ただ、夢をあきらめた人、あきらめず藻掻く人。

私は後者を応援したいと思う。

全部がぜんぶうまくいくわけではないし、うまくいくかの最後は運であると思う。

ただ、その運を手繰り寄せるためにも、少しずつ努力を積み重ねていく必要があるのではないだろうか。

どちらも地獄なら突き進んでみたらいいんじゃないかな。


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