生きているかもしれない最期の日

8月は国家試験のため

9月はその名残で、とんとご無沙汰しておりました。

個人的に色々あり、

またご相談者からの色々をお引き受けする中で

「死」に対して考えることが増えた9月です。

「死」を全く考えない人と

「死」を身近に考え続けた人と、

きっとパッキリと2つに割れるでしょう。

私は、「死」を身近に感じ続けてきた人のひとりです。

今年に入り、影響力のある方々の自殺のニュースが

いろいろ聞かれてきたこともあって

「死」については

それぞれ、さまざまに受け止めているのではないでしょうか。

私も、今年少なからず「死」について受け止めてきました。

もしも今、「死」を身近に感じているならば

これを読んでくれていると嬉しい。

(嬉しいという言葉は、少しフィットしないのだけど)

「死」ぬことは、

明日、でもいいのではないかな。

ということ。

そして、「死」を考える時

「どうやって死のうか」

ということより

「今まで、自分に愛を注いでくれた人」のことを

思い出してほしい。

ということ。

自殺を止めたい一心なのではない。

あなたが生きた意味を

輝かせたいという思いから。

死ぬことしか考えられないような夜もある。

そのときは、

とりあえず、酔っ払ってしまってでもいいから

布団をかぶって、夜を越えてほしい。

目を開けたら、1日を越えていられるから。

次の日は、少し違う気分になっているかもしれない。

それでもまだ、

死にたいと思っているのならば、

今まで自分に愛を注いでくれた人のことを考えてみよう。

そしてその人に、

意味深でも何でもいいから

愛や感謝を伝えてみよう。

あなたが生きていれるかもしれない最後の日ならば出来るはず。

いや、最後の日だからこそ、出来る日は限られているのかもしれない。

ならば、感謝を伝えてみよう。

愛してくれてありがとう。

あなたがくれた愛は、

生きている最後の日も、私の中で存在しているって、

「ありがとう」の一言で伝えてみよう。

生きた証を残せる最後の日なのかもしれない。

あなたが生きた意味はちゃんとある。

辛い思いをたくさんしたかもしれない人生。

死んでも死にきれない思いを味わっているのかもしれない最後の日、

それでも、

愛を注いでくれた人に感謝ができる人でありたいよね。

死に追いやった人に対しての恨み節より

愛を注いでくれた人に

感謝を告げて終わりにできる人生でありたいよね。

お布団をかぶって

辛い1日を終わろう。

明日はまた、別の日なのかもしれない。

なにか、気分が変わることが待っている日なのかもしれない。

かすかな、かすかな希望だけど

目を閉じて、1日を終えれば

そこに辿りつけるのだから。

たくさんの、辛い気持ちを

私は受け取っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?