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こんな夢を見た。第十夜「ホトトギス」

さあさて、いつ見た夢だったのだろうか詳しくは覚えていない。
多分小学生くらいの時だったと思うが、その時の自分がホトトギスを知っていたのかそれも全く確証がない。

私が通っていた小学校は過疎地域で同級生は13人しかいなかった。私が小学6年生の時は、全校生徒は52人だったと思う。
6年間を通して友達100人作ることは難しかったし、学校の庭で飼っていたセキセイインコは108匹(煩悩?)いた。

ああ、そうだそうだ。
私は鳥の名前に詳しい、なので小学生の頃の自分がホトトギスの夢を見ていて不思議ではないのかもしれない。私の学校は愛鳥モデル校だったので鳥の自由研究をしていた、いかにも田舎の小学校らしいがキジの放鳥をしたこともあった。寒空に溶け込むように飛んでいった、幼いキジたちを見ると不安もあったが美しかった。
野鳥の名前を覚えるための野鳥カルタもよくやった。当時好きだった鳥は、ホウジロ。ただ今は見かけないので、思い入れも無くなった。


私はここ数年、自分とは何で、これからどうなるんだろうという感情というかある一種の不安と戦っていた。

多くの人はティーンの時に解決するものなのだろうか…。
仕事を頑張って、成功したり、期待に応えたり、時に失敗して発奮したり。誰かと笑いあったり、抱き合ったり。同棲もしたし、婚約もした。傷つけられたり、傷つけたりもした。旅行もたくさんしたし、美味しい物もたくさん食べた。それでも年々考える時間は増えていった。

人には、「もっと頑張れる会社に転職したら」、「結婚して子供を産めば」「夏休み長くとったら」とたくさんの意見をもらったがそれのどれもがこの気持ちを解消するものとは思えなかった。

ただの神経衰弱なのかもしれないが、それは、すでに自分自身の中にある毒のようであり、どうしても抜けないトゲのようでもあり、つまり何に悩んでいるのか全く分からなかったので、どうすることもできなくなり…ただひたすら一人で考え続けた。
すると自然と誰かを好きになって相手を知ることも自分を見てもらうことも怖くなっていった。(それでも励まされた夜は確かにあったし、私が励ますことができた夜もあったと信じたいが。)

昨年のある日、昔にホトトギスの夢を見たことをなんとなく思い出した、放鳥をしたキジのように躍動感はなかったが、ホトトギスは間違いなく私を見ていた、そんな夢。

その時にふと、物を書こうと思った。

それでも書き始めるまでには1年ちかくかかり、コロナ禍の自粛で背中を押された気がする。

ただの日記にせず夢日記にした理由には2つある。
1つは匿名で書きたかったこと、
2つめは自分の経験や気持ちを書くために、正直に書きすぎる必要がないと感じていたから。

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ヤマシタトモコ「遠国日記」より

スクリーンショット (4)

“この日記に必ずしも本当のことを語っているとは思っていない”
坂口安吾「全集より、戯作者文学論-平野謙への手紙-」

矛盾しているようだけど、書き始めると、不思議と自分が書いた虚像の気持ちが、真実だったということもあった。

その中で、第八夜では1つのトゲが抜けたと思う。

私は相手の考えを許容することが、一種の自分の良い所(スキル)だと思っていた。でもそうすると相手の気持ちに敏感になる分、自分の気持ちに鈍感になっていく。決して我慢して言うことをよく聞く聞き分けの良い女というわけではなく、ただ器の大きな人になりたいと思っていた。でも実際の私は狭心で傷つきやすく、いい大人になれてもいなかった。でも今はそれでいいと思っている。


ホトトギスの夢占いはなかった。
もし答えが見つかったら…私が書きたいと思う。

そして、これからも1つ1つご褒美のように私自身と語り合いたい。

明日もいい夢みっぞ!

※こんな夢を見た。は夏目漱石先生の夢十夜の冒頭です。
漱石先生の処女小説「吾輩は猫である」は、高浜虚子に依頼されて書かれたものであり、当時寄稿したのは1章だけだった。

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