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ひょんなことから社会の厳しさを知った


“ひょんな”って、すごい日本語。起源を知りたい。もし友達に「“ひょんな”を新しい日本語にしたいんだ」って言われたら絶対「やめとこ?」って言うもん。

ひょんなこと。推しの配信で、いつの間にか社会勉強していた話。


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推しの目立った活動がない。ここでの「活動」とは、新曲リリースやライブ等、歌って踊るアーティストの主となる動きを指す。どちらも2ヶ月ほどシーン……としている。就活中の受信BOXくらい静か。寂しい。

最初に来たのは心配の波。誰か体調を崩した? でも、とりあえず推しは、元気もりもりにトレーニングしているようだ。健康が一番。そこはよかった。
次にきたるは疑問の波。みんな健康なのだとしたら、なんで? ぐるぐる考えても発表されなければ知る術がない。何かの準備期間なのかもしれないけれど、現時点で私が見る限り、リハーサル等の様子は明言されていないはず。

何にもわからない状態で約2ヶ月は、ちょっと、長くないか。就活だったらメンタルがやばめゾーンに入る時期だよ。不安。不満。心配。波が立ちすぎて、防波堤が擦り切れ始めた。「楽しい」を推しに依存する生活はよくないな。n回目の自戒。

と、そんなタイミングで光が差した。各メンバーの生配信が決まったのである。やったー!!

“今”の推しの声を聞き、動いている姿を見られた。活動に関する新情報は無いままだけれど、ザッパァーーン!だった波がチャプチャプ…くらいにはなった。単純なオタク。本命企業からは音沙汰なしだけどひとまず一社内定出ました、みたいな状態。そろそろ就活の例えはやめよう。


大好きな推しはその日も最高だった。かっこよくて真面目でおもしろくて優しくて素直だった。私はいつものように、ええ声……好き……と唸っていた。

配信中、チャンネルをもつYouTubeについてコメントがあった。何か進んでる? という趣旨。それを見た推しは、要約すると、「やりたいのだけど難しい」「何でもしていいわけではないから」と言った。はっきり断言している印象だった。ああ、やっぱり、今はしたいことがあるのにできない状況で、歯痒い思いをしているのかな。そうだよね、推したちにだって事情はあるよね。好き勝手に欲望ばかり願って、申し訳ない気持ちになった。
しかし、同時にこう思う自分もいた。


いや、知らんがな。


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あの場面ではっきり心境を述べる推しのまっすぐさは大好きだ。「やりたいけど難しい」という言葉に、憤ったり落胆したりしたのではない。責める気も全くない。

ただ私はこれを聞いて、お客さんにとって、裏側の事情なんてこれっぽっちも関係ないのだと学んだ。

全く褒められたことではないが、私は推しを神格化している節がある。推しが「海は赤い」と言うのなら海は赤いのだ。それでも、バカな盲目オタクの私でさえ、推しの事情があるという発言に対し「それにしたってもうちょい何かしてよ〜」と感じた。

ということは、だ。

今回「知らんがな」と感じた状況を、私が・・仕事で関わるお客さんとの関係で置き換えてみる。(もちろん芸能界とこちらの世界が同じだとは思わないけど一旦置いておいて…)
私は営業部で働いている。実際にお客さんのもとへ赴き、商品の紹介をして、買ってもらう。たとえばこの時期は、雪が激しく降る地域は危ないという事情で、長らく挨拶に行けない場合がある。でも、そこで「行きたいのは山々なんだけど……雪降ってるから危ないんです。バタバタしてて電話もできないの。でも、うちの商品は買ってね♡」と願ってみたところで、お客さんは「知らんがな」である。大好きな推しに対して「知らんがな」だったのだ。スーパースターではない私とファンではないお客さんの関係なら、「知らんがなer(比較級)」レベルにはなるかもしれない。「知らんがなest(最上級)」かも。

事情があって〜……と言っているうちに、お客さんはほかの商品に目移りするだろう。同じく雪が危険で現地には行けなくても、電話や手紙を定期的に送り信頼を高めた同業他社の商品を、買いたいと思うだろう。「雪多いし忙しいよね(汗)無理しないで! 私は御社大好き♡だから、御社の商品を買い続けるヨ!(^ ^)」とかいう熱烈なお客様は、いないに等しい。いても怖い。


大人の言う「言い訳は通用しない」を、睨みながら生きてきた。
バイトに寝坊した。部活の自主練をサボった。宿題やったんだけど、持ってくるのを忘れました。頭を下げながら心の中では、だって仕方ないじゃん、しんどかったんだもん、と開き直った。

仕方ないね。次はダメだよ。それで済ませてくれるのは、身近にいるごく僅かな人たちだけだ。ギリギリ学校の先生まで。そこから先の果てしない域はすべて、「知らんがな」。大人たちが言っていたのは、こういうことだったのか。

100%でやりきれない事情は数多く存在する。無理しすぎたら比喩でなく死ぬ。ただ、お客さんにとっては、目の前にあるものがすべてだ。仕方なかったんですと泣いても50は50。力を抜いてできた70と死に物狂いで高めた60が並べば、前者を評価される。できないながらに力を尽くして50を80にできたとしても、その80に突如テロップが現れ〈テッテレー! 頑張りポイントプラス! お客さんには100として映るよ!〉なんてことにはならない。

100を届けるために心身をボロボロにしろなんて言われたら私は光の速さで会社を辞める。しかし、今ある1を最大限に積み重ねて100を作る意識は、常に持っていなければならない。それがお金をいただく立場の責任なのだと思う。
社会、厳しい……。
私は社会の厳しさをなぜか推しの配信から学んだ。“ひょんな”を生み出した人もびっくりだよ。


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「海は赤い」と推しに言われれば赤いのだと信じる私は、「御社の商品を買い続けるヨ!(^ ^)」側の人間だ。今は何かと難しい時期なのだろうなと想像して、彼らを好きなまま、この状況が終わるのを待っている。SNSやブログを各々のペースで頑張って更新してくれているのも知っている。ありがとう。元気をもらっています。

オリンピックを観て感動した話を、口下手ですけど、と言いながら投げ出さずに最後まで伝えてくれた推しが大好きだ。来る日も来る日もトレーニングして高みを目指す推しを、心の底から尊敬している。そして彼らのパフォーマンス、いつも100どころか180の満足度なのよ。やっぱり待ちたい。(そして万が一本当に何かしらの不調が起こっているのなら、絶対に無理はしないでほしい。)

偉そうに好き勝手言ってごめんなさい。でも、私にそちらの事情はわからない。

ほどよく気分転換しながら、ライブや新曲の発表を待っていようと思う。自分にとっては好きな曲について書くのが一番の自給自足だと実感したことだし、また書きたいな。

妥協せず甘えず仕事を全うしようと思えました。推し、ありがとう。
あなたの歌を聴ける日まで頑張ります! 待ってるよー!

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