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私の破片が落ちている場所

引越しをした今夏の下書きメモを放出する。
前回の続き。


セージャク 〇〇〇の駐車場

向日葵が全部背中向けてた 向日葵早ない?

6月中旬

6月7日の映画公開日に合わせて『違国日記』の原作漫画を一気読みした。この作品はnote用のTwitterアカウントで何度か目にしていて、フォローしているこの人たちが言うのだから絶対私も好きだな、と当時思っていた。

読み進めている数日間は、日中もずっと槙生や朝の言葉が頭の中を巡った。「セージャク」は6巻に出てきた言葉。

「……静寂を守りたいときというのがあるでしょ」
「セージャク」
「そ」
「…さみしくない?」
 (中略)
「セージャクってさー 砂漠みたいじゃない」
「え?さあー 人によるでしょ」
「ん〜」
「草原とか山かも 海とか」

『違国日記』6巻 pp.154-155

「しょーこちゃんはさ 孤独とか静寂とか いい意味でもわるい意味でも…風景があるとしたらどんな?」
「えーなんだ? あ、クラブ! 爆音鳴っててミラーボール光ってんの! 行ったことないけど!!」
「なんだそれー!?」

『違国日記』11巻 p.96

後日、宮城県伊具の駐車場で待ち時間があった。晴れの日。少し強い風が葉を揺らす音だけ、その空間にある。生まれ育っていない土地・風・車のそば・ひとり・人がいる形跡のある場所で、自然の音しかしない状況。これが私にとっての「セージャク」ではないかとふと思った。

違国日記の感想を表す言葉が見つからないままだ。私は基本、何度も同じ作品を読む/観る習慣がないのだけれど、この作品は読了以降も何度も読んでいる。宝物の言葉がたくさんある。ただ、気に入っている、と表すのも何となく語感が違う。心の温度を平熱に戻したいとき、それこそ「セージャク」の中に潜り込みたいときに、この本を開きたくなる。今は電子だけど落ち着いたら絶対紙でも買うんだ。



仙台での三年間は、雨に迎えられ雨に見送られた。

引越し当日

引越し当日は、たしか8時とかに荷物を運び出すスケジュールだった。呆気なく広くなった部屋からカーテンの無い窓を見る。その色に既視感。こちらに来た日も小雨が降っていたこと、6月なのに肌寒くて東北の洗礼を受けたことを思い出した。

がらんとした部屋の写真を友達に送る。仁人くんの歌ってみた動画『部屋』のリンクが送られてきて、駅の待合室で笑いを堪えるのに必死だった。仙台に住んでなければどうでもいい写真を送る仲になれていなかったかもしれない人たち。東京のライブにも行きにくくなるなぁ。

パリ五輪 男子バレーボール 搭乗口前のベンチとテレビ 待機しながら座って見る人 立って見るおばさん 左側から覗き込む白Tの男性 だし廊のカウンターから見た

引越し当日

飛行機は夕方だったから、家の鍵を引き渡してからはお昼に仙台駅で牛タンを食べ、飛び立つ前に空港で「だし廊」のラーメンを食べた。搭乗口の目の前にあるお店。このメモはカウンターから見た景色。残しておこう、とやけにメソメソした気持ちになって、息継ぎなしで喋るように、今の私に見えている景色を打ち込んだ。


ばいばーい


🛫 🛬



めっちゃ近くになべしまあった

サニー行った ポテチ九州しょうゆ 「九州の味」 カール ブラックモンブラン 給食で出るムース 九州すぎる

「一日券って押して」「一日、読めるでしょう?」
券売機の親子の会話 8月1日、夏休みか

新居に入ってからの数日間

怒涛の「「「九州」」」を浴びた数日間。
別にこれまでも年に数回は帰ってきていたはずなのに、なんか、すごかった。(?)
仙台にいたときはどれが「九州にはなかったもの」でどれが「東北にしかないもの」なのかがわかっていなかったのだなとサニーで思い知る。仙台にはなかった九州モノが並ぶ陳列棚を前に、軽くめまいがする感覚になった。

最後のは、ガスの開栓のために荷物が来るよりも早く新居に向かった日に駅で聞いた、夏休みを凝縮したような会話。






その後の覚え書き①

地元で、例えば街中に行くとする。いつからか、周りに飛び交う方言が「博多弁が聞こえてくる」という感覚で耳に入るようになった。東北にいるときは、そんな訛り方するんだ、とか、今なんて言った?どういう意味?みたいな感じだったのだけれど、こちらではもちろんその言葉の意味はわかっている。訛り具合は自分も同じ。それなのに、方言が空気中に溶け込まなくなった。伝わるかな。私は一体どこの人間になってしまったのだろう、とふと思うときがある。不思議な感覚。

「過去に住んでいた場所」がひとつ増えるというのは、自分の破片が落ちている場所がひとつできるみたいだなと思った。ヘンゼルとグレーテルがちぎったパンを道標に置いていった、あの感じ。きっともう東北で生活することはないのだろうけど(わかんないけど)、数年後にポンといわきの海辺に立ったら、私の破片が私を迎え入れてくれるような気がする。そんな謎の安心感がある。きっと私は自分で思うより、東北を好きになっていた。

仕事とかキャリアとかの段階ではない年になったら、日本のいろいろな土地を転々とするのもありだなと今は、思っている。転々とできるくらいの財力を人生かけて手にしたい。






その後の(てか直近の)覚え書き②

営業で九州各県を回っていると、あ、あの道に似てるな、とか、あの山道そっくりだなとか、自然の景色を見ては東北の記憶が呼び起こされる。未練タラタラかよ。

もう数ヶ月経ったし、異動でこちらへ来たことをそんなに日々悲観しているわけではない。地元の友達と飲み歩いたり三姉妹でカラオケに行ったりお寿司を買ってばあちゃんに会いに行ったり、あの地ではできなかったことを楽しんでもいる。

ただ、なんとかしなくては、とだけずっと思っている。この地での暮らしに対してやる気が無さすぎる。やっぱりあのとき会社辞めておくべきだったんじゃないかな、という思いが日に日に強くなる。なんとかしなくては。なんとか、するんだよ。成せないことに慣れてしまうなよ。


成せないことに慣れてしまうな
なれないことに慣れてしまうなよ

ヒグチアイ『大航海』

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