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日常にM!LKがいる


【〜1月24日】

やっと、長い長い繁忙期が遠ざかっていった。いつの間にか今年で3回目だけどさ、なげーーーよ。同時期にほかの忙しないことも重なっていた。目の回るような……と忙しさの比喩表現があるけれど、目というか、心がずっとでんぐり返しのフォーエバー大回転をしていた。

24日にM!LKの新曲『Kiss Plan』が発売された。発売日当日はシングル3曲をリピート。私が普段好んで聴く曲調と、M!LKが多く出しているようなキラキラアイドルソング(定義は知らん、イメージで。)は少し違う。アイドルソングはアイドルソングとして好き。音楽ジャンルに疎いから何て表すのが正解なのかはわからないけれど、カップリング曲『Weekend』は普段聴く系統と似通っていて、新しいな、また幅が広がったのだなと嬉しくなった。この曲や『energy』等、メロウな曲調で活きる柔太朗くんの低音が大好き。ずっと聴いていたくなる。あと仁人くんの歌い方も、この曲調を我が物にしていると感じた。〈悩みながらでいい/ありのままに〉〈誰が何を言おうと I walk my way〉の歌詞、仁人くんすぎる。最高。


もう一つのカップリング曲『ピースサイン』はザ・M!LK!って感じで、また大切な曲がひとつ増えた。

ピースサイン with you お待たせしました!
ピースサイン with you 僕が来たよ大丈夫
ピースサイン with you お約束はいつだって
ピースサイン with you
ハッピーエンドハッピーエンド

M!LK『ピースサイン』

初聴の段階で柔太朗くんのやさしい「僕が来たよ大丈夫」がぐっさり刺さって抜けなくなった。仕事中に運転しながら聴いていたら、ちょうどその歌詞で夕方の晴れた空に白い月が浮かんでいるのが目に入って、少し泣いた。

『ピースサイン』の〈お約束はいつだってハッピーエンド〉、『ハピダン』の〈急にパッと全部上手くいくよ〉、『ジブンエール』の〈幸せはのんびり屋〉など、最近は、M!LKが歌うこれらの言葉にずっと心を繋ぎ止めてもらっている。

これらの言葉は全て根拠がない。それでも、言葉単体の意味や力ではなく、大好きなM!LKが歌うから、その言葉に質量が生まれふかいところに響く。M!LKの歌声によって言葉が実体となって突き刺さる。最近読んだ本『君を描けば嘘になる』で中心人物である灯子が、「この人が言うなら、そうなんだ。」と別の中心人物を、精神的な依存とも呼べるほど心の奥から信じきっている描写がある。読んだときは、何で他人をそこまで信用できるのだろうと思ったけれど、よく考えれば今の私にとってのM!LKはそういう存在だ。M!LKが大丈夫って歌ってくれるなら、まだ私は大丈夫な気がする。上手くいくって言ってくれるなら、上手くいく未来をまだ夢見ていられる。だってあの佐野さんが「全部上手くいくよ」って言うならそれはさ、そうじゃん。これに関しては他の4人の誰が歌っていてもまた感じ方が違ったと思う。私にとっては、〈急にパッと全部上手くいくよ〉の言葉には、佐野さんの声が必要だった。

最近グループの存在を自分の神様にしてしまっている自覚がある。「信仰」の意味を調べたら「自己をゆだねる自覚的な態度」と出てきて笑ってしまった。よくない。でも、私の性格上彼らに全て身投げすることって多分できない。だから自分の形を保った上で心の一部分をM!LKにゆだねるのは許されたい。私は私でちゃんと立つからさ



【1月25日】
仁人くんのレコメンの日。その日は22時過ぎまで外で作業をしていた。ちょうど出張でネット局内の場所にいたから、初めてradikoを通さずに車のラジオでレコメンを聴いた。普段は車でもスマホに繋いで音楽ばかり聴いているから、カーラジオ特有のカサついた音質でリアルタイムの仁人くんの声を聴けたのが、なんだかものすごく嬉しかった。トンネルに入ったらちゃんと音が弱くなって(radikoで電波が悪くなった場合は音が止まる)、それにすら興奮した。大袈裟かもしれんけどさ、こういう日常のちょっとした心のときめきに生かされているなと思うよ。数日前、ありがたいことにフォロワー1万人達成プレゼントの直筆年賀状が当たった。郵便受けにそれを見つけた瞬間、マンションのロビーで比喩でなく本当に崩れ落ちた。仁人くんは直筆イラストの下の手書き部分を、できる限り一枚ずつ違う言葉になるように考えて書いたと話していた。私に届いた仁人くんの言葉が、今一番私に必要なもので、もうねー、泣いたよね。ありがとう。



【1月27日〜】

佐野さんと仁人くんが出演していた『アイ・アム・冒険少年』を観てから一週間は、気持ちの整理がつかなくて大変だった。番組は本当に面白かったし、何も不満はない。おいしくいじりながらも愛のある編集で嬉しかった。ただ、リアルタイムで初めて目にしてしまった仁人くんの泣く姿に、心が締め付けられすぎてどうしようもなくなった。彼がそういう姿を見せまいとしていることは以前から感じていたし、まさか突然こんなタイミングで見ることになるとは思わなかったから。

内容については動画があるから詳しく書かないけれど、知らない間に無人島へ行っていて、様々なサバイバル経験をしていて、震える思いをして、涙していた。やっぱさ、推しているとついつい全てを知っているような勘違いを起こすね。絶対にそんなことはないのだと強く、痛く、再認識した。画面の向こうの大切な人が泣いているその同じタイミングで、私はきっと呑気に投稿コンテンツを見て笑っていた。今だってもしかしたらそうかもしれない。

住む世界の違うアイドルにそんなことを悲観したってどうしようもない。当然私が悪いわけでもない。ただ、それが現実。わかってる。だからこそ、こちらは決して知る由もない様々なことを内側に抱えてステージで輝いてくれる瞬間を、彼らがこちらに見せようとしてくれる姿を、尊くありがたく思う。

そんなことを考えていたら思考が変な方向にまで飛んでいった。画面の向こうの大切な人が泣いている瞬間を知ることはできないのと同じで、私が絶望しているときに大切な人がこの世で一番の幸福に身を包まれている可能性だってある。可能性というか、現実にある。アイドルに対する言葉として「辛いときに支えてくれた」みたいなのがあるけれど、辛い!泣きたい!ってときに、アイドルが突然家を訪問してきて抱きしめてくれるわけではない。あくまで、彼らの過去の産物である有形の作品や無形の思い出を、辛いときに適宜取り出して、そこに描かれる抽象的な言葉を自分に当てはめ、消費しているだけだ。そうして、私たちはアイドルに「辛いときに支えられて」いる。

虚しいことみたいに書いちゃったけど(まあ全くもって虚しくないとは言わないけれど)、それが、アイドルとファンの関係性なのだ。ここから話がさらに飛ぶ。だからこそ私は、「誰かのファン」が辛いとき、力を欲するとき、その「誰か」の作品を適宜取り出して支えにできるように、多くのコンテンツを残す側になりたいのだと思う。






1月にぽつぽつと書いていたM!LKの日記。
軽くまとめてから投稿しようと思って置いていたら1ヶ月が経っていた。1月の私には戻れないからそのままの形で投げてしまう。

とにかく今回の繁忙期もずっとM!LKがいてくれた。活動を全て追えていなくても、大好きな人たちが存在してくれているその事実だけで助かるなと、この期間は特に思う。今は仁人くんの舞台の真っ最中。柔太朗くんも何やら新しいことを頑張っているらしい。ファンミめちゃくちゃ楽しかったな。ツアーも本当に楽しみだな。M!LK本当にいつもありがとう。

全部が全部よくわからない内容になったけどまあいっか。今日もM!LKが大好きです。終わり。

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