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遊びの限界を超えるということ

遊びには「終わり」がある。
それはつまり遊びの「限界」とも言える。
私はこの「遊びの限界」を把握することも遊びにおいて大事だと思う。

この「限界」というのは遊び手ではなく遊びが示してくる。
遊び手はそのルールに対しては受け入れるしかない。
それに対して歯向かってしまうと、それは遊びの秩序の破壊であり、その時点でそれは遊びではなくなってしまうとも言えるからだ。

ですが遊びの秩序の破壊自体が悪いことではない。
それによって他の遊び手の遊戯空間を破壊してしまうことが実際の問題なのです。
1人が急にサッカーの試合で追加で延長30分!とか言い出すのはまずいわけです。
逆にその試合のメンバーがその秩序の破壊に納得さえすればなんの問題もないのです。

遊びの秩序の破壊とは、新しい遊びの秩序の作成とも言えます。
遊び手が遊びの限界を把握し、それを踏まえた上でその限界を超えて遊びの拡張を図るというのもまた遊びなのです。

むしろそうやって遊びの限界を把握させ、さらなる先へ遊び手を後押しする遊びこそ、奥行きのある、魅力的な遊びとも言えるのではないか。
その先をうまく遊び手に委ねることによって、掛け算のように広げて無限の可能性を持った遊びになると思います。

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