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旧満州の歴史博物館を巡りました。

はじめに

2月末に中国を旅行して、そのなかで東三省、かつて満州と呼ばれていた地域に1週間ほど滞在した。
旧満州は近代日本の歩みを語る上では不可欠な地域だ。すなわち、日本の運命の歯車を狂わせることになった原点がここ満州なのである。そこにはある種のロマンと、それを上回る負の歴史が詰まっているわけだが、それらを少しでも感じることができたらという期待を胸に、旅行をしながら各地の歴史資料館・博物館を巡った。この記事では、そのときに感じたこと、考えたことをまとめてみたい。


訪れた博物館一覧

訪問した場所は時系列順に以下の7つ。おすすめ度を4段階で表してみたい(星が多いほどおすすめ度が高い)。

・東北烈士紀念館(ハルビン/★★)
・侵華日軍七三一部隊罪証陳列館(ハルビン/★★★)
・偽満皇宮博物院(長春/★★★★)
・九・一八歴史博物館(瀋陽/★★★)
・旅順日露監獄(旅順/★★★★)
・大連現代博物館(大連/★★★★)
・中国人民抗日戦争紀念館(北京/★)

旅行自体は、ハルビン→長春→瀋陽→大連(→北京)の順に回っていった。

全般的な特徴

個別具体的なレビューを行う前に、各地の博物館を回って抱いた共通の感想を記しておきたい。

○○○○が多い

まず、大半の博物館は入場無料であった。かなり贅沢というべきか、共産党の本気度が窺えるというべきか。
入ってみると、中国人訪問客で館内はかなり賑わっていた。そしてその半数近くがなんと家族連れであった。

九・一八歴史博物館
九・一八歴史博物館
中国人民抗日戦争紀念館

このように、展示について親が子に読み聞かせをしている様子がそこら中で見られた。日本ではあまりお目にかかることのない光景ではないだろうか。これは各地の博物館を巡って最大の驚きポイントといっても過言ではない。学校内にとどまらず、家庭内においても歴史教育が小さい頃から自然と行われており、共産党が身近なものとして捉えられていることが分かる。

ある博物館では、小学生が展示を案内するという場面にも遭遇した。まるで北朝鮮のアナウンサーのような一切淀みのない力強い話し方で若干引いてしまったが、あれは何だったんだろう。社会科の発表みたいなやつなのだろうか。

中国人民抗日戦争紀念館

また、多くの博物館には、出口付近に感想を記すことのできる自由帳が置いてあって、主に小学生がコメントを書いていた。そこを見ると、「中国共産党万歳」「勿忘国恥」といった感想が多く見受けられた。

東北烈士紀念館
中国人民抗日戦争紀念館
中国人民抗日戦争紀念館

たとえば日本で原爆資料館を見た小学生が「アメリカの犯罪を忘れない」と書くことはおそらくないだろう。これは、共産党の歴史観がそのまま、展示を通じて党の意図する通りに受容されていることを示す象徴的な写真であるように思われる。では、どうしてこのようなことが可能になるのだろうか。

大きな物語に基づく展示の当てはめ

その答えは展示方法にあるのではないかと思う。
どの博物館でも、「領土的な野心を持つ日本が中国を数十年にわたって侵略し、それに対抗する運動をまとめたのが毛沢東率いる中国共産党であり、我らがファシストとの戦いに勝利したのだ」というストーリーテリングが共通している。現に、どの博物館でも最後に「結束語」と呼ばれるまとめコーナーがあるのだが、大抵は歴史を鏡にしよう、中国は世界の敵であるファシストに偉大なる勝利を収めた、といった内容が記されている。

九・一八歴史博物館
九・一八歴史博物館

展示は基本的に時系列に沿って、日本が中国に対して行った悪行を羅列する文章が載った看板が置いてあり、それに合わせて同時代の遺品や複製品、再現図などが展示されている。展示そのものに力が入っているわけではない(後述)。

その上で、日本人としてこの展示を見たときに、有している歴史観の相違ゆえに違和感を覚える部分はいくつかある。ここでは二つだけ挙げておこう。

まずはこの写真。

九・一八歴史博物館

日本が先の大戦で負けたのはアメリカに対してであり、私を含め日本人の多くは、中国に"負けた"という意識は希薄だろう。この意識の違いは興味深い。また、太平洋戦争が世界的な反ファシズムの文脈で語られることも、日本人にとってはそこまで馴染みが深いものではないのではないか。

次にこの写真。

九・一八歴史博物館

明治維新にまで遡って、日本は侵略主義的な国家であったという筋書きになっている。日清・日露両戦争も、中国にとっては侵略であったというわけだ。

加えて、大抵どこでも話の重点が"日本の"侵略に置かれており、列強による中国分割の話は全く出てこない。日露戦争についても、それ以前に満州を不法占領したロシアをことさら悪く取り上げる記述は見当たらなかった。ここに関してはやや作為性を感じる歴史観である。というのはやはり、中国共産党の守備範囲が満州事変以降に限定されるからであり、おそらくそれ以前の清〜中華民国初期の歴史は大して重要ではない、ということなのだろう。

中国共産党と抗日

1921年に結党された中国共産党は、満州事変以後の抗日運動を主導したということを自らの核心的なアイデンティティとして位置づけている。これは展示を見ると一目瞭然だ。

九・一八歴史博物館
九・一八歴史博物館
偽満皇宮博物院

特筆すべきは、国民党や満州国皇帝の溥儀など、共産党と対立する勢力をしっかり槍玉にあげているということである。
大戦中に正面から日本軍と戦ったのは実際には共産党ではなく国民党ではないのかというツッコミはさておき、やはり物語の主人公として共産党を置いているという点で極めて一貫していることがわかるだろう。共産党が日本を破り中国を救ったという物語が、共産党支配の正統性に直結しているのである。

個々人はどこへ

ストーリーが展示に先行するということは、それがゆえに個々の血の通ったエピソードが不足するという欠点をももたらしている。
加害者たる日本の蛮行が徹底的に列挙されている一方で、当時の中国の人々の生活はどのような苦しい生活を送っていたのかという具体的な展示はないし、名も無き一般市民の証言はほとんど見かけない。また当然、日本人開拓団の生活の実像などは捨象されている。

展示説明の威勢の良さの割には当時の様子が手に取るように理解できるわけでもなく、頭では分かるが心では分からない、というような消化不良感を多くの博物館で味わった理由はおそらくここにある。

唯一のといってもよい例外は旅順監獄である。展示自体に見応えがあったことに加え、五つ目の博物館にして初めて個人の証言が手厚く紹介されているコーナーに遭遇してそれまでとの違いを感じた。

各博物館の個別レビュー

想像と異なっていた七三一罪証陳列館

731部隊はご存じだろうか。簡単に言うと石井四郎という人物が率いた細菌戦部隊であり、生物兵器の開発を行おうとしていた。結局めぼしい成果は挙げられずに終戦を迎えるのだが、中国内の政治犯を人体実験の材料にするなどの残虐行為を働いていたことが戦後発覚したことで知られる。

『地球の歩き方』にはこの資料館はページの端っこに申し訳程度の紹介にとどまっていたため、訪問前はさびれた建物が郊外にぽつんと立っている光景を想像していたが、全くそのようなことはなかった。むしろその逆で、最寄り駅から10分あまり歩いた大通りに面したところに目立つように建っており、中国人で館内はごった返していた。裏門の側には団地も隣接しており、かつてこの地で残虐な実験が行われていたのがにわかには信じがたいほど、一般市民の生活空間に溶け込んでいたのが印象的だった。

展示は、これまた想像に反して意外と事実ベースだったように思う。実験場の跡地に立地するがゆえに、実験で使われた器具が豊富に陳列されており、犠牲になった個人名が紹介されているブースもあったりするなど、見応えはかなりあった。

ただ、日本人の視点からするとやや違和感を覚えるのは、展示が脚色とまでは言わずとも脚色に見えるような大袈裟な構成になっているように思われる点だろうか。
731部隊によって"開発"された生物兵器が実戦で目立った戦果をあげることは実際にはほとんどなかったが、あたかもこれがナチスの蛮行に匹敵するほどの国家プロジェクトであったかのような見せ方になっているし、大失敗に終わった米本土に飛ばした「風船爆弾」までもが731部隊に結びつけられ独立した展示として取りあげられていた。

僕を含めた多くの日本人にとって731部隊は、関東軍が辺境の地でよく分からない生物兵器もどきの代物の開発を勝手に試みたという、戦前日本の数ある失敗に終わった愚行の中の一つとして「聞いたことがある」程度である。一方で、その被害を実際に蒙った中国ではこの部隊を、日本という国家が組織的かつ計画的にナチスに比肩する世界史上類を見ない残虐行為を働いたというナラティブに落とし込んでいる。中国の歴史観が必ずしも良いとは思わないが、このコントラストは純粋に興味深かった。当時の遺構がそのまま残っていることもあり、半日以上滞在できるおすすめの資料館である。

それはやりすぎだよ九・一八博物館

九・一八歴史博物館は、見た限りでは満州事変以降を総括する位置づけの博物館であるため、代表的な博物館を三つ挙げよと言われたらここは外せない。それにもかかわらずなぜここを星3にしたかというと、最後の最後でとんでもない我田引水ぶりが発揮されていたからである。

「中国は平和を絶え間なく追求している」の時点でペットボトルの水をこぼしそうになるが、まさか最後のまとめで何の脈絡もなく急に習近平思想をゴリ押してくるとは思わなかった。結局最後は歴代の国家主席の写真で展示が〆られ、補足的に日本の靖国神社参拝が非難されていたりする。ここまで露骨だと急速に興醒めしてしまうが、共産党肝煎りの施設であることは十二分に伝わってきた。

ちなみに、盧溝橋にある中国人民抗日戦争紀念館は、これの下位互換のような博物館だ。であるから、両方行く必要はあまりないように感じる。あまりにもテイストが似通っている。

中国人民抗日戦争紀念館

展示の最後にはなんと、安保法制や尖閣諸島国有化、さらには「新しい歴史教科書をつくる会」を非難するブースがあった。

「偽満州国」という響き

長春はかつて「新京」と呼ばれた、満州国の首都である。ここに溥儀が住んでいた皇宮が残っており、建物自体が博物館となっている。なかなか良い博物館だった。ちなみにここは『ラストエンペラー』のロケでも使われたらしい。

溥儀専用の"インペリアル防空壕"


この博物館、正式名称を「偽満皇宮博物院」という。英語名は"The Puppet Manchuria Palace Museum"だ。中国では満州国のことを「偽満州国」と呼んでいるらしい。駅の表示の略称で、Manchuriaを省略してpuppetの方を採用していたのはちょっと面白かった。

中国人は当然、独立国家の体を成していない傀儡のことを指して「偽満州国」と呼んでいるのだろうが、瀋陽故宮や紫禁城を見に行った後、あの呼び方にはそれ以外に別の意味も込められているように思えて仕方なかった。
これら歴史ある宮殿に比べ、偽満皇宮はあまりにもスケールが小さいのだ。敷地は広いといってもそれらに比べるとだいぶ狭いし、おまけに建築様式は歴史の浅くて不格好な「帝冠様式」である。日本人がつくったのは中国三千年の歴史に遠く及ばぬ所詮偽物の宮殿に過ぎないよ、という侮蔑のニュアンスを込めて「偽満州国」と呼ばれているような、そんな気がする。


大連博物館から感じる、大連という都市の特異性

大連は日清戦争後の三国干渉を経てロシアが中国から租借するところとなり、日露戦争に勝利した日本が十年越しに"取り返した"港湾都市である。その後40年近く日本が統治することになった。
もともとロシアが大開発を行っていた先進地域であることや、「満州国」以前から日本が統治していたことも作用しているからか、中国と日本の関わりのなかでは光と影のうち"光"の部分が比較的多い都市なのではないかと思う。現在は金融都市として飛躍的な発展を遂げていることからある種のノスタルジックな気分に浸ることはあまりできなかったが、それでもたとえば日本統治時代の路面電車がまだ現役で街中を走っていたりと、日本の面影を見出すことのできる数少ない場面もあった。

さて、大連現代博物館ではロシア〜日本統治の半世紀の足跡を辿ることができる。ここは比較的マイナーな博物館だが、かなりおすすめの博物館だ。

その理由はずばり、展示における政治色が薄いからである。日本と比べ、清から大連を無理矢理奪ったロシアがあまり悪者扱いされていないことは若干気になるものの、それでも当時の国際情勢についてはフラットに記載されているし、日本が大連を工業都市として発展させたことも率直に書かれている。
当時の日本人がどのような暮らしを送っていたかということについても豊富な物証があり、中国の一般的な博物館では無視されがちな要素が詰まっていて見応えがあった。

(番外編)二〇三高地

大連から地下鉄を乗り継いで1時間ほど行くと、日露戦争の激戦地である旅順に着く。維新後に"坂の上の雲"を目がけて登っていった日本にとって、旅順--ーとりわけここだけで1万人の犠牲者を出した二〇三高地ーーーは忘れることのできない地であり、その血生臭い記憶を引きずってしまったが故に、日本は90年前とるべき針路を国民総出で誤ることになった。ここは近代日本の歩みを上に凸の放物線で表すとすると、その頂点にあたるような場所といってもいい。

その二〇三高地に行ってきたのだが、売店のおばさんによれば、現在ここを激戦地として理解している中国人は少ないらしい。なぜならば、春にはふもとが桜の名所となるからなのだそうだ。
僕が訪れたときは他に観光客は一人もいなかった。毎年春にだけ一瞬ではあるが鮮烈な輝きを放つ桜と、かつて強い存在感を放ったはずがもう過去のものになったこの二〇三高地とが、冷たい曇り空のなか妙に似ている境遇のように感じられた。

旅順の情報がネット上にあまり載っていないのでここで少し紹介しておくと、一個一個の観光地は離れているため自力で回るのは難しい。タクシーを1日チャーターすると良い。ちなみに僕は二〇三高地→旅順監獄→水師営→東鶏冠山堡塁→旧旅順駅の順に回った。

おわりに

以上が中国東北部の博物館探訪記になる。日本とは近いようで遠い存在であり、現に日本人観光客はほとんど見かけなかったが、近代日本の足跡を辿ることができ、東北料理も非常に美味しいし物価も安いため、おすすめの穴場旅行先である。

ちなみにダントツで一番美味しいと思った東北料理は「地三鮮」といって、じゃがいもとなすとピーマンの甘辛炒め。シンプルながらめちゃくちゃうまい。日本の中華料理屋にも用意して欲しい。

このへんで終わりにする。この記事を読んで、中国東北部に興味を持ってくれる人が一人でもいたらとても嬉しい。


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