見出し画像

私の幸福に、周りの状況は関係ない。シェディング対策から馳せる想い


今年の春、周囲でコロナワクチンの3回目の接種が流行っていたあたり、それまで順調に来ていた生理が、急に止まってしまった。
生理が止まるなんて、18年前にけっこうショッキングな出来事があって精神的にダメージを喰らっていた時以来で、今回は特に思い当たるような節がなかった。
よく言われている、「未接種でもシェディングにより生理周期が乱れる」現象が自分にも起きているのかと、ちょっと怖くなった。

その後、2ヶ月空けてやっと生理が訪れたものの、乱れた周期が元に戻らず、更に以前の記事に書いた腕にあざができるようなことがあったりで、ますますシェディングの脅威を感じるようになっていた。

この動画で示されている通り、3回目以降は、2回目の時とだいぶ様子が違うことは、私も感じている。
とにかく「臭う」のだ。。
接種者の呼気や汗から何かが発散されていて、それらは独特な臭いがする。
2回目の時も、なぜか接種から3・4ヶ月目以降に臭い出す人が数名いたけれど、今回は人数がその時の比ではない。
一昨日は会社の休憩室がエライことになっていて、頭痛と眩暈がするほどだった。

もはや、ワクチンの在庫処理場と化した日本。
打とうが打たまいが、このままでは同じ穴のムジナ。。
こんな中にあって、これからどう過ごしていけばいいんだろう…

シェディングを怖れるあまり、そうやっていつの間にか、「自分は環境の被害者である」というポジションに自分を貶めていた。
臭いがする度に、いちいち身構える。
まるで、ゾンビに囲まれているかのような気分だった。


だけど、そうしていることにもだんだんと疲れてきて、そのポジションの居心地の悪さに、徐々に憤りのようなものを感じるようになってきた。

なんでこんなゾンビなんかに、いちいち翻弄されなきゃならないのか。
私の健康は、周り次第なのか?
・・・・・・・
本当に、そうだろうか?

度々自分の中から、こんな疑問が湧き起こるようになった。
それは、私の頭がそう考えた というよりも、体からのシグナルだったと思う。体の知性に「そうじゃない」と、促されているかのようだった。
そのシグナルをなんとなく受け取るうちに、気づけば「周りがどうだろうと、関係ない」というところに、精神が定まるようになっていた。

そんな、落ち込みに飽きて底でターンしてきたような、ある種開き直りのような心的態度で数日過ごしていたところ、久しぶりにぴったり予定通りに生理が来て、更に生理中も、今までにないくらいに体調が良かった。
私にとって、生理はいつも“答え合わせ”なのだ。

心と体はつながっている。
体は、心の状態に呼応する。
そのことを、すごく実感した出来事だった。

体を信頼して委ねると、その知性は多くのことを教えてくれる。
もちろんそれですべてを防げるわけではないけれど、それがいかに自身に影響を及ぼすものなのか、今回とても気づかされた。

PRESIDENT 2022年10.14号


公の雑誌にも、やっとこんな記事が載るようになってきた。(多分これで、2誌目か3誌目くらい)
元から予想されていた多くのことが、今現実になりつつある。
薬害はこれからまだまだ出てくるだろうし、今年の冬に第8波が起こる可能性も高い。
それに限らず、経済も落ち込み、巷はこれまでにないくらいの不安な予兆に溢れている。

本当の感染対策とは、マスクでも消毒でもワクチンでもなく、自身の免疫力を尊重し、それを高めておくこと。
それと同じように、精神の置きどころとして大切なのは、自分の中心に軸を据え、自分の中心に、任意の一点を打つこと。
「周りがどうあろうと、私は大丈夫」
「私の幸せに、周りの状況は関係ない」
そう、自分の奥深くで、静かに自覚していること。

不安な状況になるほど、人も世間も神経質になりがちだけれど、本当はもっと色んなことを緩く考えていいし(自戒…w)、私たちはもっと頑張らなければならないのではなく、本当はもっと、癒されなければならない。

今に始まったことじゃなく、ただ自覚できていなかっただけで、私たちはもうずっと、社会もろとも病んでいたのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?