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高波動の創り方

私には、子どもの時に幸せな在り方の土台を教えてくれた人がいる。
6歳か、7歳の頃だったと思う。
「もう疲れたから、歩きたくない!」
と駄々をこねる私に、脳性麻痺で生まれてからずっと、体の不自由な叔母が言った。

「じゃあ、その足ちょうだい?」

衝撃だった。
その言葉は、私に大切なことを気づかせようとする、彼女の心からの言葉だったのだと思う。
別に怒られたわけではないのに、その一言がすごくすごく胸に刺さって、歩ける健康な足があるのがどんなに有難いことなのかを、小さな心で心底思い知った。

あれがないとか、これが足りてないからダメなんだ、とか、そういう不足感に乗っ取られて何かを見失いそうになると、いつも自分の足に意識を向ける。そして、叔母の言葉を思い出す。

足が一歩一歩、地面を踏みしめる感覚に集中していると、「ある」ことの有難みが、じんわりと沁みてくる。
そうやって、ひとつ「ある」ことに意識が向き始めれば、脳は「ある」ものを見つけ始める。「ある」「ある」「ある」 自分が今この瞬間に、そして今までも、どれだけ恵まれているのかということを実感してくる。

これはもう、小学生の頃からずっと、気づいたらやっていること。

「ある」ものを、いつも見ている。

私の内面の幸福感が割と安定しているのは、ここがめちゃくちゃ大きいと思う。



「ある」ものに気づいている状態。
それが、「幸せ」ということ。

もちろん、日々揺れることはあるけれど、すぐにこの安定して幸福な土台に、戻ってこられる。

よく、与えられているものに気づかず、何に対しても文句ばかり垂れている人がいるけれど、本当にもったいないなぁ…と、思う。

それに、高波動を保つことは、自分を守るシールドにもなる。
「高波動」って、瞬間湯沸かし器のようなぶち上げ系の「ワクワク」や、外側の誰かや何かから一時的にもらえるような気持ち良さではなくて、日々小さくコツコツと、「ある」ものに対する感度をあたため続けることから生み出されるもの。
子どもは元から高波動だけれど、大人になったらそうやって創り保つもの。

今ある大切なものを、ひとつひとつ、改めて認識し、改めて大切にすること。
恵まれている自分自身に、気づき続けること。
そういう、「ある」ものに目を向け続ける態度が、高波動の土台となる。


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