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ヴェネツィアはどんな都

水と、ともに生きてきた。

これはよくある比喩でもないし、人間の60%が水で出来ているという話でもない。私は日本人としては珍しく、海外で生まれた。それも、イタリア、ヴェネツィアで。



この事実は、日本に行った時には心を躍らせるし、イタリアに帰ってくると辟易する。親のつながりで日本にいる友人には、港区在住の何十倍もの価値があるようなことを言われる。しかし、現実はそうとは限らない。


すぐ街は浸水するし、どこに行くにもヴァポレットと呼ばれる水上バスに乗らなければいけない。なにより酷いのが品のない観光客が多いことだ。

この景色が美しいという旨のことを世界中から来た観光客が言っているが、その姿が美しくないことに気づいている人は殆ど見かけない。特にアジア人のかけているサングラスの上から眉毛が出ているのを見ると、見窄らしいを通り越してこちらが泣きたくなる。



唯一良かったことは、水路や道路が入り組みすぎて友達と近所を走り回るのが、それはそれは楽しかったことだ。



それ以外には、基本的に他の街と同じだと思う。スーパーもあれば映画館もあって、広い公園もある。国際映画祭なんかは、他の街にはないのかもしれないけれど、日常にそれほど干渉してくることはない。



「久しぶり!今度ヴェネツィアに行くんだけど、会えないかな?」



日本の友達がヴェネツィアに来るらしい。Facebookを開くとそんなメッセージが来ていた。案内すること自体は別にいいのだけれど、私がいつも生活している場所を特別なものに仕立て上げて、勝手に美化しないでほしい。



私は、日本に何度か短い滞在しかしたことがない。だから、彼女たちの言い分が全くわからない。正直すこし気味が悪い。祖国に住めるということほど素晴らしいことはないというのに。



「少しきちんと日本にいてみたらどうだ?面倒を見てくれる人ならいるし、お金も心配しなくていい。」



私がこぼした愚痴に対して、父がそう返した。



「いや、でも、」



その先が続かなかった。媚びてくる人への理解なんて考えたことがなかった。

日本はとても美しいし、不思議な文化も持ち合わせている。実際に、日本に住んでみたいという憧れは昔からあった。



「ほんとに!そうしたら次の休みはそうやって過ごしたい!」



精一杯の演技をしたつもりだ。父親は娘からの愛想に弱い。



日本の滞在はとても楽しかった。

渋谷のスクランブル交差点、新宿の思い出横丁、浅草寺の人力車には初めて乗った。少し生活している中で、お米を何にでも合わせる文化や、電車が3分遅れると電光掲示板を気にする人が多いことも理解した。



美しいものに溢れながらも、好きになれないものもたくさん見かけた。その1つである溢れかえる人について尋ねた。



「ねえ、東京にいるこんなにも多くの人たちは、どこに住んでいるの?」



純粋な興味だった。



「埼玉とか、千葉かなあ。もちろん都心に住んでいる人もいるけれど、ベッドタウンって呼ばれてるところがたくさんあるんだよ。電車で1~2時間くらいのところがメインかな。」



「東京ってこんなにも大きい都市なのに、まだ外にも人がいるの。よっぽど東京のことが好きなんだねえ。」



「みんな東京から離れることは負けることだって信じすぎてるんじゃないのかな。なんでもいいけれど、もう少し人は減ってほしいわね。」



私がヴェネツィアのことを話す時のように、一種の諦念を抱えながら教えてくれた。信じているという単語から、1つの童話を思い出した。



それは、ヴェネツィアの小学校で読んでもらった絵本だった。この時まですっかり忘れていた。



ヴェネツィアはある時沈みかけたのだ。地球温暖化が故の海面上昇だったのか、神様が海に入ったことで浴槽から水が溢れるように高い波が襲ってきたのかは覚えていないが、とにかく沈みかけたのだ。



それを救ったのは、一人のおじさんだった。そのおじさんは、いつも歌いながら水上ゴンドラで観光客を運ぶ仕事をしている。



おじさんはみんなに語りかけた。



「ヴェネツィアは、みんながヴェネツィアの存在を信じていることで、地中海に浮かぶことができている。その力がなければ、こんなに細い水路なんて何十年も続いてこなかっただろうさ。」



「だから、ヴェネツィアが沈みそうだということは、みんなの信じる力が足りていないということに違いないんだ。ヴェネツィアを美しいと言ってくれる人を、心から歓迎しよう。それは人種以前に、どの動物でも共通でそうするべきなんだ。」



それから、ヴェネツィアの人たちは経済的なことを抜きにして観光客を大切にした。ヴェネツィアは、世界中の人からのイメージや羨望によってその美しさを保っているのだ。



そこで話は終わっていた。



東京にも美しいものはたくさんあった。魅力も見つかった。

でもやはり、ヴェネツィアの水路や幾つかの橋は、負けていないと言えた。



日常レベルでは、他人の憧れなんて迷惑だ。

だけれども、それ以上に、ヴェネツィアは美しい。あまり良く思っていなかった観光客も、その美しさの一翼を担っていたらしい。



これから旅に出る度に、故郷のヴェネツィアを好きになるのだろうか。

なんだか損している気分になる。



憎らしいほどに、脆くて、完全な街だ。

サポートしてもらたら、あとで恩返しに行きます。