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ベルリンは笑う

広がるコンクリート。

けたたましく駆け込む電車の音。

垂直に歩けたってなかなか辿り着かないような高いビル。



それは日常であり異常な光景である。

この光景にもう一つ付け足せば東京ではないことが分かるだろうか。



すれ違う人たちはいくら仲がよくてもオリンピックを一緒に観ることはない。

移民がひしめくドイツの首都、ベルリンである。



ベルリン駐在の前任者からの引き継ぎ資料を久しぶりにパラパラとめくっている。

そこに書かれているのは、彼の旅行記のようなものだった。アウシュビッツには一回行っておけ、東欧はハマる、それでもパリはすごい。最近の大学生でももう少し内容のある引き継ぎは作れるはずだ。それが書かれていないのは仕事内容自体にはあまり特筆すべき点がないことを物語っている。



この会社には新卒のときになんとなく入った。もう10年目になる。文句を言わないタイプの人間だったことか、もしくは独身だということは海外異動になる一つの要因だったかもしれない。



ある日曜日。

海外生活といっても、基本的にはスーパーで食材を買い料理をして本を読む。日本語の本はドイツにも入ってくるし、時々飲むビールは日本のものより体に合っている。



来週、珍しく来客がある。同期がドイツ旅行に来るらしい。案内というほどではないが、付き添うことになった。



他にやることもないので、そのためにベルリンの壁に描いてある絵について調べていた。一度も行ったことがないのにも関わらず。男性同士がキスをしている絵は象徴として扱われているが、その中には日本の絵もあることを知った。



また、第二次世界大戦で敗戦国となったドイツはアメリカ、フランス、イギリス、ソ連の統治下となった。ドイツ国内も分割され、東ドイツに属する首都ベルリンも分割された。それはベルリンの壁と呼ばれる高さ約3mはあるだろうコンクリートの仕切りが建設された。



日頃ベルリン市内を移動するときにベルリンの壁を見かける。しかしそれは来客用のものではなく、ただ、未だに残っているものである。有名なのはイーストサイドギャラリーと呼ばれる1.5kmほどの通りだ。



調べてばかりいても分かることは少ない。実際に行くことにした。



ベルリンの壁はあっけなくそこに存在した。高いとはいえど、それは想像を絶する高さではなかった。むしろ様々な壁の中では想定内の範囲であると思う。



壁に沿ってメッセージ性を見出せそうな絵が多く描いてあった。きっと時代を代表する人もいたのだろう。

30分以上かけて、丁寧に絵を見ていった。壮大な博物館のようだ。終わりまですっかりみてしまったあと、疲れていたので近くのビールバーを調べてもう少しだけ足を伸ばした。



そのバーはまるで映画の中で情報交換が頻繁に行われているような雰囲気だった。あるいは全く理解することができないドイツ語がそう感じさせたのかもしれない。



店員のおすすめに従い3杯立て続けに飲んだ。普段あまり飲むことがないので、これはとても珍しい。それに拍車をかけたのは日本人の存在だった。他人に奢るのなんて何年ぶりだろうか。卒業旅行に来ていた大学生3人組と少し話し、敬語を使ってもらったお礼として彼らの分までビールを頼んだ。



その結果ひどく酔っ払ってしまった。



帰り道に通るイーストサイドギャラリーの絵が少しぼやけて見える。それでもこの絵に寄っかかってはいけない。それに加えて、あまり背が高くないのでスリの対象になりやすい。真っ直ぐ歩かないといけないはずだった。



そんな思いとは裏腹になかなか体調が回復しない。壁の裏側に回り、少し座って休憩をした。



怒りが湧いてきたのはその時だった。

綺麗な絵が描かれた裏側は落書きの嵐だった。ベルリンの壁崩壊の時の動画を思い出した。先人たちへのリスペクトはないのか。闘いの遺産に落書きなんておかしい。その怒りは冒涜に対するものだけでは収まらなかった。



僕は怒鳴っていた。



なぜ僕はなぜあんなに酒を飲んだのか。会社の中で唯一日本語しか話せない僕への視線はなんなのか。なぜあいつが20代で課長になっているのか。第一希望の会社に行けなかったのはなぜなのか。大学2年生の時、理由もなく彼女に別れを告げられたのはなぜだったのか。その場所が僕のお気に入りの東京タワーだったことには意味があるのか。そして今度の来客があいつで、僕の彼女だった人と付き合っていることには意味が、。



怒り、不満、嫉妬、様々な感情はその壁に向けられた。握りしめた拳も、その壁に向かっていった。



僕はベルリンの壁の反対側で咽び泣いた。

象徴としてのその壁は、感情を呼び起こす。



それでも日常は続き、壁がなくなることはない。その壁はどちらが表なのか。

サポートしてもらたら、あとで恩返しに行きます。