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バスケ物語 ep.11

     十四


 結果から言うと、宮尾は佐々井に負けた。くじ運の悪さの責任を押し付けられたが、それ以上に負けたことが純粋に悔しかった。
 その後も期待に応える形で、白熱した試合が続き、その熾烈な優勝争いを勝ち上がったのは、九クラス中で唯一、男子バスケ部員が長谷部、岩田と二人いる二年A組だった。
 こうして、球技大会も終わった。

 宮尾の心には、また悔しさが積み重なった。もっと強くなりたい、そう願った。


 寒さが身に堪える時期になった。吐く息が白く、手がかじかむ。風に吹かれると耳が痛くなり、唇は乾燥している。
 学校は冬休みに入った。バスケ部は一月の冬の大会に向けて、寒い中も体育館に通った。
 そんなある日の部活の帰り道。
「ねえ、クルミは好きな人おるん?」
 不意の質問に、星野は答えに窮した。無表情を装っている尾崎からは、その質問の真意が掴めない。
「いきなり、そんな……」
「お、否定せえへんな。おるっちゅうことやな」
 星野は反射的にかぶりを振ったが、言葉が出てこない。
「そろそろクリスマスやし、誰かに想いを伝えよう、とかはないんかなー、と思ってみたりして」
「な、ないよ、そんなことは」
 否定の仕方が必死過ぎて、かえって墓穴を掘っているような気がした。
 否定する星野の頭の中に、宮尾の顔が浮かんでいた。想いを伝えたら、どんな答えが返ってくるだろう? そもそも、どうやって想いを伝えよう? 誰かに想いを伝えたことがない。
「サエはいるの?」
 何とか言葉が出た。それに、これはいい返しだ、と自画自賛した。
 何の気なしに言った言葉だったが、ちらりと横を見ると、尾崎は意外にも真面目な顔をしていた。
「私は、おるよ。――クリスマスイブに、コクろうかと思うとるんよ」


 宮尾は少し後悔していた。部活で疲れていたからか、親友相手で必要以上に気を許したのか、原因を探せばいくらでもありそうだが、事実は変わらない。
 宮尾は平岡に好きな人を伝えてしまった。予想通りだったのか、聞いてもあんまり驚かなかった。それが心なしか癪に障ったが、交換条件として、平岡の好きな人を知れた。
 これは意外だった。でも考えてみれば、何ら不思議な話ではなかった。その可能性は十二分にあったのに、誰も指摘したことがなかった。
 平岡は尾崎のことが好きだった。
 そして宮尾は、初めて誰かを好きになったことを明確にした。気がついたら、その想いは芽生えていた。理屈じゃ説明できない感情が、確かに存在していた。あの愛おしい笑顔を自分のものにしたい。華奢な体をそっと抱き締めてみたい。芽生えた感情は少し前まで想像していないものだったが、ほっこり暖かい。
 宮尾は星野が好きになっていた。


 星野は西桜に来てすぐ、宮尾と尾崎がお似合いのカップルみたいだと思った。息が合っているし、くだらないことでも話すし、幼馴染みだし。互いに意識し合っていても不思議じゃないと認識していた。
 それだけに怖かった。尾崎の口から宮尾の名が出てきたら、そう考えただけで自分の恋心は今にも消えそうな灯火になる。勝てる見込みがないと思った。心を通わせた時間が違いすぎるから。
「……クルミ、本当はおるやろ?」
 何でこんな話をしているのだろう、と星野は思った。尾崎は何かに終止符を打とうとしているのか。
「私はちゃんと言うから、クルミも教えてや。……その、同じ人やったらあれやし」
 もしかして、尾崎も自分と同じことを考えているのかもしれない。星野は、この際、自分から打ち明けようかと考えた。先に言われて、下手にごまかして胸にやりきれない思いを溜め込むより、逃げないで現実に向き合いたい。
「私……宮尾君が好き」
 今、自分の頬は赤く染まっているだろうなあ。星野は言ったきり、俯いて顔を上げなかった。勝負に出たが、やはり正面きって尾崎の今の表情を見ることはできない。
「そうやったんや」
 まだどちらとも取れる返事。耳を澄まして、次の言葉を待った。
「良かったわ、違うて。クルミ、宮尾が好きやったんやな。あいつ、幸せもんやな、こんなかわええ子に好かれて」
 一瞬、ごまかされているのかと思ったが、このときになってようやく彼女の表情を見て、その考えを打ち消した。本当に、安堵を浮かべていた。
「え、じゃあ、サエは誰が好きなの?」
 自分は言った後だからと、催促してみたら、尾崎は微笑んだ。
 その笑顔は、いつもよりずっときれいに感じた。恋をしている少女だけが見せる、儚くて美しいものだ。
「私が好きなんは、平岡や。ずっと、ずっと前から」
 冬だと思い出させられるような冷たい風が、二人を包んだ。


 尾崎はずっと平岡が好きだった。
 好きだったから、意識し過ぎて、かえって近寄るのがためらわれた。気がつけば宮尾と一緒にいることが多くなり、周りからもそういう認識を持たれた。それが嫌だったわけではない。宮尾も大切な友達だし、嫌だったらそもそもの話、一緒にいることを、たとえ平岡に近付くため、という腹積もりがあったとしても、選んだりしないだろう。
 合宿のきもだめしでペアになれたときは、本当に嬉しかった。くじ引き前にそうだったらいいなあ、と願っていたが、実現したときは喜びを全身で表現したい気分になった。いるのかも知れない神様に感謝の言葉を書き連ねた手紙を届けたくなった。
 宮尾と星野がキスしている瞬間、驚くと同時に、羨ましいと思う自分がいた。無理矢理にでも、平岡の唇に自分のそれを重ねてみたい衝動に駆られた。
 星野が宮尾を好きなのも頷けることだと、尾崎は思った。


 夜中、宮尾は平岡と電話で話していた。
「お前、マジで尾崎にコクんの?」
 平岡は尾崎に想いを告げる覚悟を決めていた。
「ああ、もう決めた。――レイジもしろよ。後悔するぞ」
「実行して後悔する可能性だってあるだろ」
 宮尾は明るく笑った。そこまで差し迫ってねえよ、というように。
 宮尾は心に芽生えた感情を認めたが、冷静に考えるとこれが報われるかは極めて微妙だった。だいいち、星野のことを知っているようで、知らない。日常生活で垣間見える表面的な部分は知っていると言えるが、もっと隠れている内面的な部分、例えば恋愛沙汰におけること。恋愛経験があるのか、全く男を知らないで育ってきたのか、それに対して抱いているのは恐れか快感か。
「――まあ、正直、迷ってる」
「おいおい、スリー打つか打たないか、ってとこだよ。得意のスリー、かましてやれよ」
「上手いこと言うなよ」
 宮尾はまた笑った。悟られないだろうか?笑いの裏に潜む感情を。
「男ならスパッと決めろよ。おれだけ憂き目に遭わせる気かよ」
「勝算ないのかよ」
 言いながら、宮尾は考えた。どうしよう。この選択は、テストの分からない記号問題を選ぶときとは重みが違う。未来を変え得るものだ。
「……分かった、やるよ」
 結論を出すより先に、口をついて出た。

「マジ? 決断したのか?」
「ただし、絶対とは約束できない。努力してみるけど、最終的に判断するのはおれだから」
「そりゃそうだな。分かった、それだけで充分だ。お互い頑張ろうぜ」
 平岡はきっと実行するだろうと思った。自分は、どちらとも言えない気がした。まだ揺れが止まらない天秤みたいに、ほぼ均等に左右に傾いている。だが水平になることはない。
 これはちゃんとした恋愛だろうか。ただの真似事になっていないだろうか。


 宮尾は昼前に起きた。今日が何の日か、カレンダーを見なくても分かる。世に言うクリスマスイブ、十二月二十四日だ。
 服を着替えて、ズボンの後ろポケットに財布だけ入れて、家を出た。予定も決めず、しばらく外を彷徨っていることにした。誰かに会ったら、それがカップルだったら尚更、日が日だけに嫌だという考えが脳裏をよぎったが、まあいいやと腹をくくった。
 朝ごはん兼昼ごはんを食べるために、ファーストフード店に寄った。
 セットを一つ注文して、それを持って席を探した。昼時には少し早いのに、一階の席は混んでいた。仕方なく二階に上がった。
 二階に上がると、最初に視界に入った人が、見覚えのある人だと思った。三浦だった。
「あれえ、宮尾君じゃないすっかあ?」
 眩しい笑顔を向けてきた。屈託のない、一種の武器になりそうな笑顔。
「おう、一人なの?」
「一人。イブなのに、寂しいよね」
 宮尾は意外だと感じた。でも、そういえば佐々井に想いを寄せているのだった。
「どう? そっちも一人でしょ? 一緒に食べよう」
「まあ、いいけど」
 断る理由も無いから、向かいの席に座った。
 座って、食べるより先に三浦の顔をこの際だからと、まじまじと見てみた。甘えたり媚びたりすることがない性格だが、顔は幼い作りになっている。パッチリ見開いた瞳は、簡単に人の信用を買い取ることができるのだろう。
「ん? 何か顔についてる?」
 頬張っていたハンバーガーを置いて、手の甲で頬を撫でるように触った。

「いや、人間観察」
 三浦はちょっときょとんとしたが、「えー、何それおもしろーい。意外とお茶目なトコあるんすねー」と笑った。
「結果、聞きたい?」
「うん、判定お願いします」
 少し考えてから、「とてもかわいいと思うよ」と言ったが、どこか口説いているみたいだったから、「食べ方が」と付け足した。
「食べ方ですか! まあ良い評価、ありがとうございまーす」
 会ったときから感じていたが、彼女の性格は尾崎や星野と比べるとまるで種類が違う。いつも砕けているようで、自分のペースを崩さない。よく笑い、不平不満も口にするが、感情の起伏は激しくない。だから本気で怒ることはないが、そうなったら怖そうだと密かに宮尾は思っている。
 来てすぐに佐々井が好きだと公表し、部活中もしばしば声をかけているが、反応は芳しくない。それでもめげることはないし、思い詰めているときもない。人前で見せないだけかもしれないが、あまりそういう姿は想像できない。
「今日イブだけど、佐々井先輩を誘ったりしないの?」
「いやいや、そんな恐れ多い。それに誘ってもお断りされるのがオチだろうし」
 現実的な推測に少し驚いたが、考えてみれば当然とも言えることだった。普段の態度からしても、佐々井が三浦の呼びかけに喜んで応じるのは、明日、地球が滅びる可能性と同じぐらいだ。極めて低いけど、いつくるか分からない。なにしろ気まぐれだから。
「告白しようとは思わないの?」
 星野のことが頭にあったとはいえ、踏み込んだ質問だったかもしれないと表情を窺うと、変化を見せずに、「でも、告白がゴールっていうわけじゃないし」と答えた。語尾が少し上がっていた。
 宮尾は自分の決心が揺らいだ気がした。そこまで堅固なものじゃなかったから、微弱な震度で倒壊しそうになった。
「なんてね」
 そんな心を見透かしたかのように、三浦が付け加えた。


     十五


 行くあてもなく街中を彷徨っていた。本屋でマンガを立ち読みし、CD屋で好きなアーティストのジャケットを眺めた。コンビニでホットコーヒーを買って、歩きながら飲んだ。思いつくままに行動して時間を潰し、あっという間に日没を迎えた。
 今日一日、無駄に過ごした気がしないでもなかった。遠い昔の人だったら、もう一日が終わっている。明日に備えて寝るだけだ。それでも、まあたまにはこんな日があってもいいかと思った。
 偶然にも平岡と鉢合わせた。
「おう、レイジじゃん」
「シンジ――奇遇だな」
 忘れていたわけではなかったが、改めて今日の目的を思い知らされた。
「もうした?」
 平岡が尋ねるのはもっともだった。もしかして、すでに平岡は実行したのかもしれない。
「まだだけど――お前は?」
「おれもまだ」
 お互いに安堵のため息が聞こえてきそうだったが、現実には聞こえなかった。
「じゃあ、これから行こうぜ」
 平岡も勇気を出して一歩踏み出すのが、ためらわれているようだ。赤信号みんなで渡れば怖くない、の精神が宮尾への言葉に隠れている。
「そうだな、今から行くか」
 宮尾は気前良く返した。心の中で、前も言ったけど、最終的に決めるのはおれだけどな、と付け足しながら。
「じゃあ、吉報待ってるぜ」
「そっちもな」
 宮尾と平岡は片手を上げて別れた。

 宮尾は携帯を手に取った。まずは、言ったからにはやろうとしてみなければ。
 メールが便利なご時勢だが、告白をメールでするのはありえないと思った。ちゃんと直接、顔を見て伝えなければダメだ。だから、電話でも同じ。
 登録されている携帯番号を上から順に目で追っていった。すぐに尾崎が目に付いた。
 尾崎がおれのこと好きだったら。
 突然、宮尾の頭の中にそんな言葉が浮かんだ。前にも一度、考えたことがあるが、星野に想いが傾いていく一方で、尾崎が自分をどう思っているのかが気になった。何もなければそれまでだが、平岡がコクろうとしている今、もしその通りだったら、非常に微妙な関係に陥る。幼馴染みを傷付け、親友を失うかもしれない。
 でも、そんなこと分からない。それに、その考えは逃げだ。それを言い訳にして面倒なことを棚に上げようとしている。そんなのダメだ、本当に好きなら、きちんと向き合わなければいけない。
 星野の番号でまた止めた。そして迷わず電話をかけた。検討する猶予を自分に与えないように。
「もしもし、星野――ああ、その……今から会えない?」

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