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バスケ物語 ep.8

     十


 睡蓮高校は都内最強の高校と言われ、毎年のように全国大会に顔を出している。
 金子がそこのバスケ部と名乗ったから、宮尾は興味を覚えていた。どのくらいの実力があるのか。自分との差は大きいのか、小さいのか。
 数分間の勝負だったが、その実力は分かった。スピード、ドリブルのキレ、シュートの正確性、隙のないディフェンス、どれをとっても格の違いを痛感させられた。それでもスコア的には差がつかなかった。それは金子が本気を出してないからで、それぐらい宮尾も分かっていた。
「ふう、ええ汗かいた。おおきに、宮尾。サエもまたな」
 尾崎がそろそろ部員たちが来る時間だと告げると、そう言って金子は帰った。
「強いな、あいつ。睡蓮のスタメンなの?」
 言ってから、そうじゃなかったら絶望的だな、と思った。
「そうやで。二年ただ一人のスタメン。まあ、一年も一人おるんやけど、彼は特別やし」
 尾崎は言葉を切った。
「全中ではMVPにも輝いて――宮尾も名前は聞いたことあったんちゃう?」
 つまり、宮尾の世代のナンバーワンプレーヤーだったのだ。おそらく、今も。
「尾崎との関係は?」
 彼氏でないことはさっき明らかになった。
「幼馴染み。五歳まで同じ幼稚園で、お互いにこっち来てからも、ちょくちょく会っとったんや」
 ということは、宮尾や平岡よりも付き合いが長いことになる。彼が関西弁で話していたことも頷ける。
 以前、関西弁で今も話す理由を宮尾が尋ねた時、尾崎は特に理由はないと言っていたが、彼の存在がそうさせていたのかもしれない。
                               
 翌日、合宿の全日程が終了した。

 そして数日後、夏の大会東京予選の組み合わせ抽選会が行われ、西桜の初戦の相手は睡蓮となった。くじ運が悪い、というジンクスは未だに健在だった。
 初戦から決勝みたいなものだから、勝てば全国が見えてくる、と部員たちは意気込んでいた。
 その心の内は、違うかもしれないけど。


 控え室でスターティングメンバーが発表された。
「まず、おれ」
 村井光介、背番号4。
「佐々井」
「ういっす」
 佐々井多紀、背番号10。
「宮尾」
「はい」
 宮尾怜司、背番号6。
「平岡」
「はい」
 平岡真治、背番号7。
「長谷部」
「はい」
 長谷部潤、背番号8。
「お前ら、表情が硬いな。睡蓮戦だからって、気負うなよ」
 宮尾は周りを盗み見た。スタメンもそうだが、ベンチの面々も硬くなっている。
「今日はゾーンディフェンスを試す」
 練習で形にしたゾーンディフェンス、実戦で試す最初の機会が睡蓮相手とは。
「それから、注意すべきやつだが、スタメン全員だ」
 佐々井が苦笑した。これは冗談ではない。強豪の中の強豪に、死角はない。
「三年エースの植松。こいつが基本、ボールを運ぶ。自分で攻めることもあるし、他を上手く使うこともある。
 三年の残り二人、飯岡と清水はゴール下が強い。山茶花の林や呉タイプだな。
 二年の金子、一年の草野も上手い。植松と比べても遜色ない。草野は去年の中学バスケ全国大会決勝で、百合の宮本と競り合って勝っている」
 宮本でさえ凄さを感じたのに、それと同格かそれ以上とは、宮尾は試合前から天を仰ぎたくなった。
「でも、さっきも言ったが気負うな。自然体でいこう。声出していこう」
「おうっ!」
 気合が入った。それぞれの表情に力がみなぎる。
 西桜の夏が始まった。


 試合は一方的な展開となった。
 村瀬が切り込んでも、あっさりカットされた。
 佐々井のドリブルでも抜けない。
 平岡のゴール下シュートも、何度も飯岡と清水に阻まれた。
 長谷部が粘っこくディフェンスについても無駄だった。
 宮尾のスリーポイントシュートも放つ機会が簡単に作れない。
 反対に睡蓮は得点を重ね、金子が前半で十八得点をあげ、チームトップ。
 西桜19―45睡蓮
 水をあけられている展開に、西桜は意気消沈していた。


 ハーフタイム中、宮尾はトイレに向かう途中、金子と廊下で鉢合わせになった。
「宮尾、拍子抜けやな。こんなもんか?」
 余裕の笑みを浮かべていた。宮尾は悔しさを噛み殺すように押し黙っていた。
「おれはバスケしに来たんや。ちゃんとバスケしようで」
 遠ざかっている靴音を背中で聞きながら、ついには何も言わず、宮尾はその場を離れた。
 胸が敗北感で埋まりそうになっていた。まだだ、一矢報いるチャンスは残されている。そう言い聞かして、宮尾は折れそうな心を奮い立たせた。


 後半開始。金子の手に渡った。金子は真っ直ぐに宮尾の方に向かい、正面に立った。片手でボールをつき、もう片方の手で手招きした。宮尾を挑発している。
 宮尾はそれを取りに前に出た。金子はいとも簡単にそれを抜き去っていく。しかし、罠を張っていた。後ろに佐々井が潜んでいて、油断した所を奪い取った。
 佐々井はドリブルで攻め上がり、スリーのライン手前で止まって、迷わずシュート。一度リングに当たり、ネットを揺らした。
 西桜22―45睡蓮 


 エース植松がゆっくりボールを運んできた。
「一本じっくり」
 反撃ムードが高まった西桜の気勢を削ぐように、嫌らしいほどゆっくりと。
 じりじりと台形に迫ってくる。清水がゴール下に入った。その瞬間、平岡と長谷部の間を縫うようにしてパスを通した。清水も事も無げに決めた。
 西桜22―47睡蓮
 だが、西桜も負けていなかった。ボールを受け取った村瀬が虚をついて高速ドリブルで一気にシュートまで持っていった。
 だが、一年の草野が追いついた。後ろから手を出してシュートを止めたが、同時に笛も鳴った。どうやらファールだ。
 フリースローが二本、打てることになった。ここはきっちり決めておきたい所だ。幸い、村瀬はフリースローが苦手じゃない。
 一本目、大きく息を吐いた。静寂に包まれている会場が、彼を見守る。そして放った。――決まった。村瀬は胸に手を当てて安堵のポーズ。
 二本目、またも息を吐いた。プレッシャーは相当あるに違いない。その精神的な作用が、手元を狂わせた。放ったシュートは外れた。リングに当たってリバウンドとなる。
 平岡と飯岡が競って、ボールは台形の外へと流れる。
 そこにたまたま宮尾がいた。ボールを拾うと、一歩さがって、スリーポイントシュート。ためらいは微塵もなかった。
 入った瞬間、大歓声が上がった。宮尾はガッツポーズし、村瀬がその背中を叩く。
 西桜26―47睡蓮


 金子が再びボールを持った。睡蓮はいつも村瀬が運ぶ西桜と違い、ガードが植松・金子・草野の三人で回している。草野はまだ一度しかやっていないが、金子は植松と同じぐらいやっている。
「来いよ、金子!」
 宮尾が叫んだ。西桜の勢いが増してきた今、さらにと目論んだ。
 金子はその挑戦を受けた。宮尾の方に行き、右手でボールをつきながら左手はボールに触れさせないように宮尾を防いだ。
 宮尾は一瞬の隙をついてボールを取りにいった。しかし、その隙は誘うための見せかけだった。パッと反転し、そうかと思ったらまた反転して宮尾の左側をきれいに抜いた。宮尾はまったくついていけなかった。
 金子はそのままゴールまで行って、ダンクをかました。リングがギシギシと鳴る。会場が湧く。宮尾はそれらが聞こえないように無表情で立ち尽くしていた。
「宮尾」
 金子が耳元で囁いた。
「お前、ダンクしたことないやろ」
「――ない」
 試みたこともなかった。
「背は同じぐらいやのにな」
 勢いをつけるどころか、引導を渡された。
 もう言い訳がきかない。宮尾の心は敗北感が支配した。


 睡蓮は手を抜かなかった。得点源が外からのシュートと分かると、佐々井と宮尾にマンマークを付けてそれを封じた。
 中に攻め入っても、全国屈指のディフェンスラインが立ち塞がって、なす術がなかった。
 結局、時間潰しされる形で、西桜の初戦敗退が決まった。
 西桜の夏は、蝉の命よりも儚く散った。


 悔しいけど、虚脱感とでも呼ぶものが在って、帰途の宮尾たちは無言だった。
「なあ、平岡の家、行かへん?」
 尾崎が無言を破って提案した。
「何で?」
「皆、呼んで反省会やろうで」
 平岡に目を向けると、俯いていた顔を上げた。「いいけど」
「じゃあ、呼ぶで。先生は呼ばへんけど」
 与謝野は大敗した生徒たちに励ましの声をかけたりはしなかった。でも、仕様がない部分もある。彼は、負ける姿を見るのに慣れ過ぎた。
 百合戦のあと、絶対に超えられない壁がいつか現れるかもしれない、と考えたが、睡蓮の植松や金子は充分、当てはまった。バスケに愛されているやつらは、やはりいたのだ。
 まだ日中なのに、真っ暗闇の中にいるように感じた。マグリットの絵は、確かこんな風じゃなかったっけ。


 最初に来たのは長谷部だった。
「さ、社長どうぞこちらへ」
 平岡がソファーをすすめた。
「ウム、悪くないな」
 長谷部も合わせた。ウムって何だよ、社長が言ってそうじゃん、と二人は笑い合っていた。
 宮尾もその光景を見ながら笑った。

 次に来たのは村瀬だった。真っ先にソファーに座って、腕組みをしたまま何も言わなかった。傍から見ても悔しそうだと分かった。
 そうか、宮尾は思った、先輩は「悔しい」のか。
 それから二年の岩田、一年の矢部と長島が来て、それぞれ持田と香村が来ないことを伝えた。村瀬は咎めなかった。
 星野も来た。冴えない表情をしていた。こんな表情にした要因は、おれたちにある、と宮尾は思った。
 尾崎の隣に座ったため、宮尾と隣同士になった。きもだめしの一件から二人はまともに話していなかった。
「おつかれ」
 宮尾が声をかけると、普通の声で、おつかれさま、と返ってきた。
「見ててどうだった? 今日の試合」
「惜しかった――」
 星野は自分の手元を見つめたまま答えた。
「と思うよ。流れはどっちに傾いてもおかしくなかったし」
 でも、と星野は続けた。
「でも、金子君がダンクを決めてから、流れは向こうにいった感じがした」
 最後の「感じがした」でようやく宮尾の方を向いた。
 あそこが分岐点だったのか。たぶん、金子も試合を決めようと狙ってやったのだろう。ただがむしゃらにやっているだけじゃ、勝てないことを宮尾は思い知らされた気がした。


     十一


 佐々井は来ない、という連絡がなかったので彼をずっと待っていた。もう始めようか、という時になってようやく姿を現した。
「遅いぞ佐々井」
 村瀬が睨んだが、怯まなかった。
「悪い、途中で自転車に乗ってた女子高生が転んで、見過ごせないから彼女の家まで送ってたら遅くなった」
「ウソつけ、そしたら今頃、お前は警察から表彰されてるよ」
 つまり、いつも言い訳に使っているということか。沈殿していた雰囲気が、笑いが起こって上昇した。佐々井の性格は場を和ませる。
 反省会で論じられたことは、攻撃面が中心になった。攻撃のバリエーションが少ない、もっと中で勝負しよう、それより攻撃の時間を長くしよう、確実性を上げてリバウンドが捕れないのをカバーしよう、話し合いは多岐にわたった。
 初めは真面目に話し合っていたが、酒を飲んでいたわけでもないのに次第に酔いが回り始めたように騒ぎ始め、結局、宴会状態になった。いつもなら村瀬が収拾しそうなものだが、この時は鬱憤を晴らしたかったようで、一緒になって騒いだ。
 
 宮尾はベランダに出た。外の空気を吸いたくなったからだ。すると、平岡も出てきた。
「悪いな、シンジ。こんなに騒いじまって」
 平岡は首を横に振った。
「レイジが謝らなくていいって。楽しいし、気分も晴れるから」
「そっか……」
 日が暮れかけていた。頭上で弧を呆れるぐらいゆっくり描いている陽が、一日の仕事を終える。こうして世界を照らすことを黙々とこなし、律儀に一日もサボらない。そんなあの光が今さらのように立派に感じた。
「今日の試合さ」
 平岡が呟いた。「全然、敵わなかったけど、負けるとは一回も考えなかった」
「勝てるは?」
「それもなかった。勝てる確信も逆もなかった」
 なるほど、と宮尾は納得した。それは言えるかもしれない。だが、同調はできない。自分は試合中、諦めたから。負けると考えてしまった。
 何となく足を上げると、裸足で出てきたから砂がついていた。手で払ったが、どうせまた下に下ろすから意味がないことに気付き、自分で自分を嘲笑った。
 おれは、諦めた。おれは敗北者だ。嘲笑うしかないじゃないか。


 日が暮れるとぞろぞろと帰っていった。宮尾と長谷部、岩田はそのまま「お泊り」することにし、帰る人たちを見送った。
 宮尾は、結局、星野と最初に話しただけでほとんど話さなかったことを何となく後悔し、それでも部活で会えるからいいか、と思い直した。
 残った四人は疲れを無視するように夜更かしをし、恋愛話に発展した頃に誰からともなく眠りについた。

 翌日は昼頃に起きて、そのまま家に帰った。試合の疲れを癒さないと、明日からまた部活があるため、支障をきたす。宮尾は帰ってからもまた眠った。


 夏休みが過ぎていった。

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