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つぎはぎ細工(9)

 新年がスタートして、三が日も過ぎ、会社勤めの大人たちは、早くものんびり過ごす時間が終わってしまった。
 私の父も会社に朝から出勤した。ああいう姿を見ると、まだ子どもでいいや、と思える。子どもは元気だ、とよく言うが、子どもは後先を考えないだけだと思う。目の前のことに夢中になって、それに全力を注いで、疲れたら眠る。子どもはストレスや悩みもないから、よく眠れて、体力を回復させる。でも、大人は違う。経験則から後先をあれこれ考えてしまい、大事な場面でしか全力を出さない事を癖としている。
 ただ、子どもと大人がどちらも全力を絶対に注ぐ事がある。それは、恋だ。意中の人ができたら、その人を手に入れるためにかっこいい姿を見せようとする、言葉で落とそうとする、妄想をフル回転させる人もいる。
 手に入れるためには、避けて通れないことがある。それは、想いを相手に伝えることだ。子どもなら「告白」、大人なら「プロポーズ」と呼ばれるものだ。海よりも深く愛していても、言葉にしなければ相手は分かってくれない。だが、それはとても勇気がいることだ。
 冬休みの終盤、森山が未姫に告白した。私は三学期が始まってから知った。結果は、ダメだった。まあ、誰もが予想していた結果だけど。
 でも、私は森山の事を尊敬する。彼の勇気に憧れの念を抱いた。告白する時、何度も迷っただろう。電話で呼び出す時、何度も手が止まっただろう。約束の場所に行く時、何度も引き返そうとしただろう。それでも最後には、ちゃんと想いを伝えたのだ。私は森山の事を軽んじている節があったけど、考えを改めた。その勇気は、見習うべきものだ。
 そろそろ修学旅行がある。私も好きな人への想いを、言葉にしてみようかな。勇気を出して、一歩踏み出してみようかな。
 私なんかにできるかな?


 修学旅行は、四泊五日で京都と奈良に行った。かつての都があった場所は、清閑な雰囲気に包まれていて、心が安らぐのを感じた。
 部屋は女子七人一部屋で、私は綾とまっさん、未姫などと同部屋だった。
 自由行動の班は、男子三人、女子二人で、私は綾と軽音部の三人と組む事ができた。鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣、竜安寺などの有名所を巡り、鹿に煎餅をあげたりした。鹿は最初、怖かったけど、慣れてくるとかわいいもので、お腹いっぱいにしてやった。
 結局、私は杉内に告白しなかった。修学旅行に行く前に結論を出し、それを綾には伝えておいた。綾は何も言わなかったけど、たぶん私の考えを尊重してくれたのだろう。逆にそれがつらくもあった。チキン、とでも罵ってくれた方が良かった。
 本当に?心の声が私に問いかける。つらいのは、その決断に後悔があるからじゃないの?そうかもしれない。私は、今のままでいい、と心のどこかで思い、逃げただけかもしれない。
 だけど、杉内と何気ない話をすると、それだけで満足して、この関係を壊したくない、と考える。その一方で、好きだという気持ちは今にも溢れそう。たとえるなら、ギリギリまで入ったコップの水。表面張力で、何とか溢れないように保っている。
 話を変えると、また森山の話。森山は、また告白したのだ。といっても、相手は未姫ではない。まっさんだった。まっさんは返事を一時保留し、最終日に答えを出した。まっさんは付き合う事にした。私はさり気なく、森山が未姫に告白したばかりなのにいいの、と尋ねてみた。まっさんは、「大丈夫、細かい事、気にしない性格だから」と笑い、「それに、森山の私を想ってくれる気持ちが、ちゃんと伝わってきたから」と答えた。
 正直、羨ましく感じた。私もこんな風に杉内に言われたい。
 修学旅行はあっという間に帰る日を迎えた。帰りの新幹線の中で、綾と話をした。
「三学期の行事って、あと何があるっけ?」
 テストを除いて、と付け加えて言うと、綾は笑った。
「あとは球技大会だね。紗希の好きな」
 私は笑えなかった。これは皮肉だ。運動音痴な私が、球技大会を楽しみにしているはずがない。どうせ何もできないで、コートで突っ立って、皆の足を引っ張るだけだ。
 いつか、未姫に自信をもっと持つように言われた事がある。でも、スポーツに関しては、全く自信が湧いてこない。人間には誰しも、絶対にできない事があるものだ。私はそれが人より少し多いけど。
 新幹線は風景を次々に通過していく。田んぼ、山、普通の町並みもあったりして、ぱらぱらマンガを速くめくり過ぎているみたいだった。
 ギターを弾きたい。早く帰って、ギターを弾きたい。


 私はどうせ活躍が望めないから、せめて杉内の応援でもしたい、球技大会の今日この頃。しかし、杉内はそんなに球技が得意な方ではない。そもそも、やる気がない。前髪が長いから、余計にそう見える。
 球技大会にはバスケ、バレー、ドッチ、サッカー、テニスの五種目がある。その中から一人最低、二つ選ぶ。クラスの人数的な問題で三つ選べる人もいて、当然、球技が得意な人になる。私は何でも良かったから、綾と同じバスケとサッカーにした。
 未姫は勉強もできるが、運動も同様にできる。見ているだけならクラスも勝ち上がるし、応援しているのだが、同じチームだと困る。一試合でも少なく球技大会を終わらせたいのに、未姫の縦横無尽の活躍のせいで負けないのだ。表向きは未姫を皆とちやほやするけど、胸の内ではそんな頑張んなくていいよ、とひねくれた事を言っている。
 それを繰り返して、気付いたらどちらも決勝まで勝ち上がってしまった。女子だから、一人に依る所が大きい。バランスが悪くてもいい訳だ。
 決勝は両方、三年生が相手だった。暴力を振るわれたらどうしよう、と怯えていたが、あとで気付いた。私を潰しても意味がない。やるなら、未姫だろう。まあ、未姫に暴力を振ったら、男子からブーイングの嵐が湧き起こるけど。
 ボールを目で追って、何となく追いかけて、たまに触って、すぐに未姫にパスした。試合中のほとんど、おろおろしていた、と思う。ああ、杉内君の目には、私の姿はどう映っているのかな。他の男子にどう見られようと知った事ではない。でも、彼もあんまり人のこと言えないから、同情してくれているのかも。あるいは、おろおろしている私の姿がかわいく見えたりして。ありえないか。
 サッカーは敗れて準優勝だったけど、バスケは優勝してしまった。優勝チームは全校生徒の前で表彰されたけど、私なんかが表彰されていいのかな、と未姫以外のメンバーは思っていた。それだけ未姫に依る所が大きかった。
 球技大会が終わった。あとは、学期末にライブがある。ギターだったら、未姫に負けない。だって、未姫は土俵にも立っていないから。


 国会の参議院は、三年ごとに半数が選挙で入れ替わるそうだ。つまり、任期は六年。
 学校は、一年ごとに三分の一が入れ替わる。三年生が抜け、新一年生が入ってくる。その度に立場が後輩、先輩と変わっていく。そして後輩は、何かと先輩に尽くさなければならない。
 ウチの中学校には、「三送会」と呼ばれる行事がある。フルで三年生を送る会。卒業式の一週間ほど前に行われ、卒業式に比べればおふざけが許されていて、軽音部の他にもステージで何かする有志団体が募られる。そのため、三送会では軽音部は一曲しかやらない。
 曲はRADWIMPSの『有心論』というのに決まった。
 未姫は有志団体として、まっさんら女子何人かとダンスを披露するらしい。盛り上がりそうだ。まあ、つぎはぎ細工には劣るだろうけど。
 綾は、人前にあまり出たがらない。別にあがり性でもないし、人前でもいつもと変わらないのだが、面倒くさがり屋なのだ。
 部活がない日、綾と帰った。
 教室を出てから下駄箱まで、今日の事を話し、そこから校門まで何となくお互いに無言になった。私は校庭に敷きつめられた砂を見ながら、杉内と付き合ったら、綾と帰らなくなるのかな、なんて考えが浮かんだ。
 校門を出ると、正面はマンションが建っていて、道は左右の二つに分かれている。右はまっすぐ行くとまたマンションがあり、その左手側にはコンビニや商店、家々が立ち並んでいる。そこから右に行くと、橋があって、橋の下では電車が走っている。私もよく乗る環状線だ。校門から左は、私たちが帰る方向。ひっそりとした住宅街で、抜けるととても大きなサッカーグラウンドが広がっている。その近くには高校や水泳の施設がある。子どもがたくさんいる場所なのに、いかがわしい店も軒を連ねている。
 綾は空を見上げて、いつもよりゆっくりと歩いていた。私はそれに歩調を合わせて進む。
 綾の顔がこちらを向いた。
「紗希、そろそろ三年生だね」
 そうだね、と私はとっさに返す。
「早いよね。ついこの間、入学した気がする」
「それは言い過ぎ」
 綾が笑った。かわいい笑い方をする。
「三年だから、受験生だよね」
「ああ、嫌だな、その響き。何で高校は受験しなきゃいけないのかな。こんな事なら、中高一貫校に行けば良かったよ」
 綾から返しはすぐ来なかった。珍しく言葉を探しているようだった。
 綾は普段、言いよどんだりしない。何でもはっきりと言う。何でも知っているからだ。

 ただ一つ、綾が知らない事がある。
「そしたら、杉内と付き合えても、あんまりデートとかできないかもね」
 恋愛の事だ。
「だから、急かすつもりはないけど、自分でタイミングをはかっていいけど、早い段階で告白した方がいいんじゃない?」
 綾はいつだってそうだ。自分の事より、他人の事をよく考えてくれる。綾自身は恋をしないのだろうか。本当はしているけど、自分を顧みないから、気付いてないだけじゃないだろうか。
「分かってる。綾の言いたい事は、すごくよく分かる」
 私も考えていた。ない脳みそ使って、トイレをしている時、眠る前のベッドの上、退屈な授業中、いつも杉内の事を考えているから。
「でも、背伸びしたって仕方ない。神様から与えられるチャンスを待つしかない」
 いつか綾が私に言った言葉を口にした。
「ありがとう、綾。大丈夫だよ。ちゃんと、後悔しない形で決着をつけるから。それまでは、そっと見守っておいて」
 綾は頷いた。全てに納得した様子だった。そう思って欲しかったから、そう見えただけかもしれない。それでもいいや。
 私の家の前で綾と別れた。乾いた空気が、私の目や鼻を刺激する。遠ざかる綾の後ろ姿を、無感情で見つめていた。


 三送会の日は、授業がない。午前中は大掃除と、春休みの課題を含めた先生の話。昼食後、体育館で三送会が始まる。
 本番当日は相変わらず緊張するが、今回はさほどでもない。慣れてきたのもあるが、他の有志団体がいる事が多少、楽にさせる。有志団体はもっと緊張している事が、ありありと分かるからだ。私も初ライブは、こんな風に見えたのかな。ちょっと優越感を感じる。
 教室を男子が雑巾がけし、女子がほうきで掃いた。女子はスカートだし、重労働な事を男子がやるのは当たり前だから。小笠原が、「女子にも雑巾やらせろよー」と不平を言ったら、女子に「やらしー」と言われて、「ちげーよ、そういう意味で言ったんじゃねーよ。ただ、男子ばっかり大変で不公平だろ、って思っただけだって」と慌てて否定し、教室では笑い声が起こっていた。でも皆、分かっている。小笠原は軽口を叩くけど、いやらしい人じゃない。
 春休みの課題は、夏休みほど多くないが、それでも皆、文句を小言で言い合っていた。
 昼食を食べ、私たちはひと足先に体育館に向かった。
 舞台裏では、いつもと違って人が溢れ返っていた。窮屈さを感じながらも、おかげで緊張はかなり和らいだ。
 有志の発表を聞きつつ、チューニングやらを済ませておいた。つぎはぎ細工はトリ。準備に時間をかけられたけど、有志の発表が見られなかった。未姫のダンスはかわいかっただろう、見たかったな。
 一つ前の発表が終わり、司会のアナウンスが入った。私たちの紹介と、三年生へ贈る言葉だ。その最中、四人で肩を組んだ。私の右は浜中、左が杉内、正面に小笠原。小笠原が私の左だったのだが、「お前はやらしいから、相川の隣、ダメだ」と杉内が掃除中の件を引き合いに出して、入ってきた。何の意図もなかったのだろうが、嬉しかった。別に小笠原の隣が嫌だったとか、そういう事ではない。
 右側の浜中が話し始めた。
「一年間、楽しかったな。おれは軽音部を始めて、最高に良かったと思っている。三年になって、受験生と呼ばれる学年になるけど、この部活は続けるつもりだ」
 ここでも受験生、という言葉が出た。思わず杉内の方に目をやる。
「じゃあ、一年の締めくくりライブ、楽しんでいこう」
「おう」
 三人で声を揃えて応えた。この雰囲気が好きだ。この四人が織り成す雰囲気が、たまらなく好きだ。壊したくないと思う。だから、杉内に告白するのを躊躇してしまう。
 ステージに上がった。この光景を見るのは何度目だろう。あと何度、見られるだろう。
 杉内がスタンドマイクの前に立った。
「こんにちは、つぎはぎ細工です。三年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。高校へと進学する皆さんに、最高のライブを披露したいと思います。それでは、RADWIMPSで有心論」

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