つぎはぎ細工(7)

 その機会はまもなく訪れた。
 朝、珍しく早く学校に着くと、偶然に未姫も来ていて、私は彼女を屋上に誘った。
 屋上に向かう途上、未姫をじっくり観察してみた。綺麗な瞳、誰よりもかわいい髪形、スタイルも良い。制服の胸辺りにあるリボン一つとっても、自分をかわいく見せる技が自然と染み込まれている。人間は皆平等、とはよく言ったものだが、これを見ているとそうは思えない。
 屋上に着くと、未姫はベンチに座った。私も隣に並ぶ形で座った。
「ごめんね、突然」
「ううん、いいよ。いつも朝、暇だから」
 未姫は屈託なく笑った。その眩しさにちょっとたじろぐ。
「前から」
 何から話すべきか考えながら、話を始めた。
「思ってたんだけど、未姫って自信に満ち溢れているというか、余裕があるじゃん」
 未姫はキョトンとした。
「そうかな?」
 そうだよ。
「だって未姫ってかわいいし、何でもできるし、男子の人気あるから余裕を感じて生きているのかな、と思って」
「私、男子の人気あるの?」
 この反応は予想外だった。とぼけているのか、そうでないのか測れない。相当な天然なのか、そういう類を気にかけない人なのか。
 それとも演技かな。だとしたら、かなりできる女だ。
「私、人気あるとは思わなかったなあ。だから、自分を磨く事を努力してきたし、うん、その結果としてそうなってきたのかもね」
 どうやら、未姫の言葉には嘘はなさそうだ。
「でも、かわいいだけだったら、紗希だってかわいいよ」
「え、そんな事ないよ」
 意外な質問に全力で否定した。私がかわいいなんて、おこがましい話だ。
「紗希は自覚がないだけだよ。自分の顔を鏡でまじまじと見た事ある? 私はあるよ。だから、自分がかわいい事は知ってる。けど、男子の人気がどうとかは知らない」
 未姫は自信とか驕りとかじゃなくて、自分をきちんと理解しようとする人のようだ。

 そういえば私は、いつのまにか自分に対する自信を失うにつれて、自然と鏡を避けていたような気がする。まず、気持ちによって映り方は変化するけど、自分の顔を見られる道具、鏡をよく見てみようかな。
「あと――」
 ここで本題に入る事にした。
「未姫って好きな人で悩んだ事とかある?」
「あるよ」
 即答だった。意外だったが、話の流れから多少、想像できた。
「というか、今悩んでる。私、好きな人がいるんだけど、その人に中々振り向いてもらえなくて」
 未姫のアプローチに振り向かないなんて、贅沢な男がいたものだ。
「男子って、目の前のことに夢中になってて、色恋よりも自分の夢を優先させるんだよね。まあ、それがかっこよく見えるんだけど」
「ああ、分かるな、それ」
 まさに杉内だ。未姫と共感できるとは思わなかった。
「紗希も好きな人いるの?」
 一瞬、答えに迷ったけど、「いるよ」と答えた。
「そうなんだ。誰かは、あえて聞かないことにするよ」
「じゃあ、私もそうする」
 私たちは笑い合った。 
 秋を誘う冷たい風が吹いて、屋上の木が音を立てた。葉が心地いい調べを耳まで届けてくれる。
「でも、どうする?」
「え?」
 未姫が今の風のようにひんやりとした表情をした。
「もし、私と紗希の好きな人が同じで、私が取ったりしたら、どうする?」
 今まで見た事がない表情だったから、驚いて、少し怖くもなった。
 未姫と好きな人が同じだったら、勝てる訳がない。同じ部活だ、といっても未姫の前ではどんなアドバンテージもかき消される。それでも、簡単には諦められない。私が杉内を好きな気持ちは誰にも負けないと自負しているし、そんな簡単に諦められるのなら、それは好きじゃないのだと思う。
「なんてね」
 未姫がいつもの笑顔に戻った。 
「そろそろ教室戻ろうか?」
 私はやはり、杉内が好きだ。未姫でも誰でも、取られたりするなんて、絶対に嫌だ。たとえ未姫が相手でも、全力で闘って、勝ちたい。

「うん」
 宣戦布告の意を言葉の裏に忍ばせた。
 透き通るような青色の秋空の下、一つの強い意志が生まれた。
 

 それは、運命だった。
「今日からこのクラスの一員になる転入生を紹介しよう。皆、仲良くしてやれよ」
 先生に背中を押されて少女が教壇の前に立った。ボーイッシュなショートに、冷静な性格を感じさせる凛とした表情。でも、心の内は不安でいっぱいだったそうだ。
「岩永綾です。よろしくお願いします」
 綾は小学校五年生の時に、私が通う学校にやって来た。
 クラスは違ったが、遠足や運動会で接点が生じ、妙に意気投合した。話しているだけで、安心できた。今までのどの友達よりも、大切だと信じた。
 綾は転校する時、親に猛反発したという。友達と別れるのが、住み慣れた街を離れるのが、思い出の学校に別れを告げるのが、嫌だったからだ。新しい地で友達を作れるのか、心配で怖かったからだ。
 だから転校する人の気持ちは分かる、という。
 二学期の終わり頃、私たちの友達の一人、阿部あおいが転校する事となった。あおいは明るくその事を話し、寂しそうな素振りを全く見せなかったから、私たちもそれに合わせて明るく受け止めた振りをした。
 だけど、綾はそんなあおいの本心を見抜いた。心の内は、不安で不安で今にも張り裂けそうなはず、と。皆の前で泣き出したい気持ちでいる、と。
 無理しているのか。私たちを気遣っているのか。私は綾の洞察に納得した。転校が嫌じゃない中学生なんか、稀だ。友達と別れるのが寂しくない中学生なんか、いない。寂しくないなら、それは友達ではない。
 あおいに何かしてあげたい気がした。


「ライブであおいに別れの歌を贈ったら?」
 部活がない日の放課後、落ち葉の道を家まで歩いていた。あの暑かった夏は疾うに去り、今度は寒さに備える時期になった。制服も衣替えし、毛糸の帽子やマフラー、手袋もちらほら姿を現し始めていた。
 綾にあおいに何かしてあげたい、と何気なく言ったら、「別れの歌案」が返ってきた。
「ああ、それいいかも」
 言われてみると、何で今まで思い付かなかったのか不思議なくらい、単純で素晴らしい案だ。
「綾、転校の時、何かしてもらった?」
 言ってから、してもらってなかったらどうしよう、と不安になった。下手したら、綾の心を傷付けてしまうかもしれない。まあ、綾はそんなに気に病む性格でもないか。
「うん」
 綾は前を向きつつ頷いた。
「クラスで色紙もらって、仲良かった友達からは、携帯のストラップもらった」
 ポケットから携帯を出して、「これ」とストラップを示した。
「嬉しかった?」
「そりゃあね。もらった時は感動したよ。一生の宝物にする、って豪語してたから」
 私は笑った。綾がそんな言葉を言うなんて、想像できない。
「でも、色紙は色褪せて文字が見えづらくなったし、ストラップもあの時の感動を思い起こさせるのは、もう無理。魔法の効力が切れたみたい」
 寂しい事を淡々と話す。私は何とも言えず、ただ黙っていた。
「結局、形が残る物がいい、ってよく言うけど、私はそうは思わない。むしろ、思い出の方がかつてを懐かしむには打って付けだと思うな」
「思い出か」
 しみじみと呟いた。体験者にしか分からない複雑な気持ちが、綾の紡いだ言葉の内でかくれんぼしている。オニは、居所を分かっていながらも、見付ける事をためらっている。
「そう。だから、ライブであおいのためにやったら、きっと感動するよ」


「別れの歌?」
 綾の提案を聞いた翌日、休み時間に部長の浜中を捕まえて、彼にも提案してみた。
「そういや、阿部が転校するんだよな」
 ちょっと寂しそうな顔をした。あおいのためにその表情を作っているのかな、という考えが頭をよぎった。それぐらい浜中とあおいが関わっている姿を見た事がない。
 でも、誰だろうとクラスメートがいなくなったら、寂しさを感じるものか、と考え直した。
「良い考えだな。やろうか」
 浜中が賛成してくれた。
「曲は決めてるのか?」
「それは杉内君と小笠原君とも話し合って決めよう」
「それもそうだな。じゃあ、今日の部活で」
「うん」
 次の授業に備えるために別れた。
 自分の席について準備をしていると、あおいが近付いてきた。
「やばい、数学の教科書忘れた」
 転校が決まってからも彼女の言動に大きな変化はない。何となく目の辺りを見つめてみるが、涙のあとはないようだ。
「マジ? 土田先生だから怒られるかもよ」
「だよね」
「隣に借りに行く? 何なら私も付いてくよ」
 相手の返事を待たずに、私は立ち上がった。
「本当? ありがとう」
 二人で教室を出て、隣のクラスに向かった。
 教科書は無事に借りられた。
「ありがとね、紗希。今度、何かおごろうか?」
「いいよ、別に。付いてっただけじゃない」
「いやいや、感謝してるよ。でも、転校する前に土田に一回、怒られといても良かったかも」
 私は「転校」という言葉が彼女の口から出てドキッとした。でも、表情は明るいままだったから、私も明るく努めた。
「何その記念みたいな。最後まで良い印象持たせときなよ」
 あおいは屈託なく笑った。「それもそうね」
「最近さ、やっぱり転校を意識してんのか、何するにも最後かな、って考えちゃう」
「当たり前だよ」
 教室のドアを開けた。教室はそろそろ授業が始まるというのに、まだ隅々にお喋りしているグループがいた。
 あおいは自分の席に座ったが、私は話の続きをするためにその席に近付いた。
「あおい、強いよね。精神的に」
 搦め手から攻めるつもりだったが、良い言葉が浮かばなかった。
「何で?」
 あおいは当然の質問をした。これじゃあ、この話の流れでは、彼女の本音を聞き出せないだろう。
「転校するのに寂しそうな素振り見せないから。私だったら、毎日泣いてると思う」
 あおいは笑った。
「寂しいよ、そりゃ。紗希とか綾とか未姫とか、別れるのが惜しいけど、だからって、それまでの時間を無駄に過ごそうとは思わない。どうせなら楽しんで終わらせたいし」
 素敵な言葉の羅列だ。でも、すんなり受け入れられないのは、あおいが不安と悲しみでいっぱいだという固定観念があるから。
 それが本当にあなたの本性?
 チャイムが鳴って、先生が入ってきてしまった。私は慌てて自分の席に戻った。他のお喋りしていた人達も同様に。
 自分のダメさに呆れた。ドラマや小説だったら、言葉巧みに本音を聞き出す場面だったのに。


 ホームルームが終わり、放課後。部活の時間だ。ギターを肩にかけて、音楽室に向かった。
 最初はギターを抱えてるのが恥ずかしくて、足早に音楽室に向かっていたが、近頃はもう慣れた。そんなに人目は気にならない。サッカー部がサッカーボールを、剣道部が竹刀を持って行くのと同じだ、と考えるようになった。
 音楽室の扉を開けると、すでに三人が揃っていた。机四つをくっつけて、話し合いの体勢が整えられていた。
「相川も来た事だし、真面目な話しするか」
 浜中が私を手招きした。私は空いていた席に座った。
「何の話ししてたの?」
 小笠原が笑いを漏らした。どうやら面白い話をしていたようだ。私にとっても面白いか分からないが。
「こいつがさ」
 小笠原が杉内を指差して内容を暴露しようとした。
「ばか野郎」
 杉内が珍しく慌てた。「男の話だ」
「もういいから、始めるぞ。相川、簡単に経緯を説明してくれ」
「うん――」
 私はあおいが転校する事、それで別れの歌を贈りたい、という事を簡単に説明した。
「いい考えだな」
 小笠原が同調した。ふざけた顔の面影は、もう残っていない。
「ただ曲は話し合って決めたいから、皆で出していこう」
「贈る言葉とか?」
 小笠原が冗談口調で言った。古い。
「海援隊のか。古いだろ」
「かいえんたい? 違うよ、金八先生のだよ」
「金八先生はそのメンバーの一人だよ。まあ、それはいいや。杉内はどうだ?」
 杉内は考える目付きで、顎に手を当てた。まるで名探偵のように。
「車輪の唄とか?」
 事件の真相を切り出すように、名探偵が呟いた。そして私は、意外な事実に驚いた脇役のように「えっ?」と言ってしまった。三人は一斉に私の方を向いた。
「どうした相川?」
「私もそれがいいと思ってたから」
『車輪の唄』は、『天体観測』と同じバンプの曲だ。もちろん別れの歌である。
「なるほどね。二人も推してる人がいるから、車輪の唄は決定でよくね?」
 小笠原が浜中に言った。
「そうだな。じゃあ、一曲目は車輪の唄でいこう」
 良かった。私は心のうちで安心した。
「ってか、浜中は何がいいんだよ?」
「ん? おれか?おれは、SAKURAがいいかな」
「誰の? さくらって、いっぱいあるじゃん」
 小笠原が笑った。日本人は桜が好きだから、歌手も桜を歌にする。コブクロの『桜』、河口恭吾の『桜』、レミオロメンの『Sakura』、aikoの『桜の時』、嵐の『サクラ咲ケ』など。
「いきものがかりの」
 浜口は秘密基地の中を覗かれた子どもみたいな顔で答えた。いきものがかりは三人組のグループで、ボーカルが女の人、男の人二人がギターを弾く。
 浜中がいきものがかりを聴くなんて意外だ。
「でも、ボーカル女だけど、杉内君、歌えるかな」
 ちょっとだけ「杉内君」という所で緊張した。本人は手を横に振って、「ムリムリ」としかめ面をした。
「だったらさ、もう一曲もバンプでいこうぜ。プラネタリウムとかよくね?」
 小笠原が提案した。私は賛同した。浜中も理由をいくつか挙げて賛同した。杉内も「おれもいいよ」とやる気のない声で賛同した。
 二学期の終わりのライブは、『車輪の唄』と『プラネタリウム』に決定した。いつもの事ながら、本番まで時間がない。練習をその日から始めた。

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