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バスケ物語 ep.5

 プログラムは午後の部に入る。
 午前の結果、得点は一位が村瀬らのA組、以下平岡らのC組、宮尾らのB組となっており、逆転優勝をB組が狙うのなら、得点が大きいスウェーデンで勝っておきたい所だろう。
 走順は宮尾と平岡が同じ八走目、二つ前を長谷部、一つ前を星野、三つ前を尾崎、二つ後を村瀬と佐々井が走る。最後の二人はアンカーではなく、共に陸上部の部員に譲っている。
 空に響き渡る号砲でリレーがスタートした。一年生が抜いたり、また抜かされたりを繰り返してバトンを繋いでいった。
 そして一年最後の走者から二年最初の走者――B組は尾崎――へとバトンが渡った。この時点で順位は一位C組、二位B組、三位A組。
 尾崎は遅くはないが、そこまで速くない。半分の100メートルを過ぎた所でA組に抜かされてしまった。その表情からは必死さが滲み出ているが、応援しているクラスメートからは「何してんだよ、尾崎」という心ない声が上がった。
 走り切って、バトンを次走者に渡した。二位に上がったA組は長谷部が走り出した。
「ごめん、宮尾、クルミ」
 息を切らしながら、尾崎が待機している列まで来て詫びた。
「大丈夫、お前は頑張ったよ。絶対、抜かしてやるから、休んどけよ」
「サエ、後は任せて」
 星野は尾崎の手をそっと握った。宮尾はこれが青春なのかな、と思っていた。
 長谷部が一位C組を抜かして、バトンを渡した。B組は相変わらず最下位で、次の星野が走り出した。
 宮尾は正直、その走りを目の当たりにするまで、星野に期待していなかった。良く言えば愛敬があった、悪く言えば醜態を晒していたバトミントンを見て、バスケを一緒にやって、星野がそんなに――少なくとも尾崎より――運動神経がない、という、できて間もない、まだゼリーみたいな固さの固定観念があったから、まさかあんなに風を切るように走る姿は想像していなかった。
 星野はダントツの速さだった。きれいなフォームで手を動かし、足を前に出した。頭の後ろで束ねた髪が、走る度に馬の尻尾みたいに揺れた。目で追っていた宮尾は、思い出したように応援した。「頑張れ、星野!」今日、初めて自分から応援する気になった。心から、頑張れと思えた。
 応援に背中を押され、カーブで二位C組をかわした。
 そして終わりが近付いてきた。宮尾は立ち上がって、自分の元へ向かってくるのを待った。
「あと少しだ、頑張れ」
 言っている横で一位のA組がバトンの受け渡しをした。そんなに差はない。これなら抜かせる。
 星野がバトンを差し出した。宮尾は後ろを見ないままそれを受け取り、全力で走り出した。
 本当に差はわずかだった。星野が追い上げたおかげであり、宮尾はそれに報いるためにも抜かしたかった。300メートルの序盤で抜き去った。スピードは緩めなかった。
 そのまま一位の座を譲らず終わりが見えてきたが、後ろから猛然と追いすがってくる足音を耳にした。宮尾は直感で分かった。これは、ラストスパートをかけたのは、さっき抜いたA組のやつじゃない。同じ走順を喜んでいたシンジだ。たとえスタート時点で差があったとしても、シンジは勝ちにくる。あいつはそういうやつだ。
 宮尾はスピードを落とさず、最後までハイペースを守った。一瞬でも気を抜いたら抜かされると思ったから。そして一位の座も守った。三年の女子にバトンを渡し、勝負を託した。あとは三年生の争いで雌雄が決する。
 宮尾は走り終わるとその場にしゃがみこんだ。少しして平岡も倒れこんできた。
「負けた」
「スタートが違うけどな。まあ、いいや。あとは三年にかかってるな」
 疲れでその場に寝転びたい気分だったが、走るのを控えている三年生の邪魔になるため、列の後ろの方にくたびれた足を引きずってさがった。
 尾崎と星野を見つけると、二人の傍に腰を下ろした。
「やるやん、宮尾。かっこよかったで」
 さっきほど気落ちした様子はなくなり、いつもの尾崎に戻ったようだった。
「おつかれさま」
 こちらも走っている時とは別人の、いつもの星野だった。
「星野、速かったな。めっちゃ驚いた」
 星野は照れたようにかぶりを振って、「そう……かな。走るのはちょっと自信があったんだ。……ありがとう」
「私は知っとったけどな」
 尾崎が自慢気に言った。
「なら、教えとけよ」
「イッツ・サプライズや。クルミ、見た目そんなに速そうやないからな」
「まあ、実際、驚かされたけどな」
 リレーはまだ続いている。三年生は男子も女子も一人が走る距離が長い。
「このまま勝てるといいね」
 三人の思いを代弁するように、星野が小さく呟いた。


 そんな願いも空しく終わった。佐々井と村瀬が走った時にB組は抜かされてしまい、そのまま最後まで抜き返せなかった。宮尾や星野らの頑張りは、報われなかった。
 午後のプログラムも順当に進んでいき、残すは最後を飾る創作ダンスだけになった。
 疲れはピークに達しているはずだが、最後の競技だから、という心理的作用があるのか、男女でダンスができる、という高揚感があるからなのか、誰もがはしゃいだ声を上げて、表情も一様に明るかった。
 A組から披露し始めて、B組は入口で列になって待機していた。ペアで並んでいるため、宮尾の隣は当然、星野。その表情からは緊張が漂っていた。和らげようとして、宮尾は適当に話しかけてみた。
「昔から足、速い方だった?」
 質問の意味を理解するのに時間がかかっているみたいな顔で、間を作った。「……まあ、速かったかな」
「山梨だっけ」
「うん」
「部活は何だった? バスケじゃないんでしょ」
「うん、女子はいなかったから。陸上部に入ろうかと思ったけど、きつそうだから入らなかった」
 段々、星野の舌が滑らかになってくる。少しずつ話していけばいいってことが、最近になって分かった。
 会話が続いてきたタイミングで、A組のダンスが終わった。すぐにB組の入場、披露へと移る。
 星野に手を握られて、宮尾はドキッとした。そうか、一緒に踊るのだ。
 湿った空気に透き通るような声が耳に届く。「頑張ろう」
 今日一日で何度も聞いて、発した言葉が頭の中で反響する。その言葉にどんな意味があるのか一瞬、忘れてしまうぐらい、「声」として感じた。
 手を繋いだまま、グラウンドの中央に向かって駆け出した。頑張ろう、と心の中で反芻してみる。それは明確な鼓舞であり、曖昧な指針――正確に数値化できないもの――だけど、これほどふさわしい言葉はないような気がした。
 空の向こうが少し赤みを帯び始めていた。宮尾は体育祭がもうすぐ終わることに寂しさを覚えた。


     七


 次の練習試合の相手校が決まった。中国や台湾からの留学生を多く受け入れていることで有名な、山茶花高校という所となった。バスケ部にも留学生が多くて、スタメンの内、日本人は二人だけだという。
 体育祭も終わり、夏の大会に向けて気持ちを切り替えて、また毎日の部活で汗を流した。
「この床におれたちの汗がかなり染み込んでそうですね」
 練習中に、宮尾が村瀬に指で床を示しながら言った。
「何言ってんだ、いつも掃除してるだろ」
「そうですけど、新設されたばかりの頃と比べたら、ちょっと色褪せているだろうし、これだけたくさんの汗を落とされてますから」
 新設された頃を知らないけど。
「そう考えると気持ち悪いな。平岡の汗とかもあるし」
 佐々井が真顔で冗談を言った。彼を良く知らない人だと、本気で言っているのかと勘違いしてしまう。
「何でおれ何すか? 先輩の方が汗っかきでしょう」
 平岡が対抗したが、佐々井も負けていなかった。「お前の方が臭いだろ」
「かわいい後輩にひどいこと言うなよな。さすがに人権侵害だぞ」
 村瀬が仲介に入ると、少し笑いが起こった。
 宮尾はまじまじといつもキュッキュ、鳴っている床を見つめた。ここに自分の汗がどのくらい滴り落ちたことだろう。この上でどのくらい飛んだり走ったりしただろう。
 これからどのくらいお世話になるだろう。たくさん、としか今は言えない。


 朝練も再開された。宮尾・尾崎・星野の三人体制でまた朝の時間を過ごしていく。
 練習試合の三日前、いつものように練習を終えて体育館から教室を目指しながら話した。
「クルミ、夏休みは田舎に行ったりしたらあかんよ」
「夏の大会があるから? その期間は大丈夫だよ」
「ちゃうねん。その前に、夏休み入ってすぐに合宿があるんや。まあ、宮尾らは地獄の日々かも知れんけど、私らはええ思い出を作る機会になるで」
「おいこら尾崎、他人事みたいに言いやがって」
「へえ、合宿があるんだ」
 星野は目を輝かせた。
「まだやるか分かんなくね」
「やるやろ。去年もやったし、毎年やってるらしいで」
 合宿は確かにきついが、レベルアップに繋がるし、勉強漬けにされるよりもましだ。
「でも、思い出になるのは確かかもな」
「何で?」
 星野が尋ねた。
「きもだめしやるんだよ。面白いぜ」
「ああ、せやな。今年の一年はおとなしいのが多いから、震え上がってくれそうやな」
「……私はちょっと苦手かな」
「星野も怖いの苦手なのか?」
「うん」
 宮尾は星野と暗闇の中を並んで歩く様子を思い浮かべた。物音がする度に驚いて、肩を吊り上げる姿がかわいらしく想像できた。
「あ、でも合宿って言うても――」
 尾崎が大事なことを付け加えた。
「場所は学校やけどね」


 夏の大会前の最後の対外戦、山茶花高校戦の日を迎えた。
 控え室ではすでにスタメンが発表され、前回と同じメンバーになった。そして、これから相手のデータを基に、村瀬がマークマンを告げていく。
「相手の注意すべきやつは三人、台湾出身の林超水と呉偲雲、韓国出身の李輝孫だ。三人とも体格が良いし、リバウンドが強い。ゴール下のシュートで得点を量産する。外はないから、警戒しなくていい。
 マークは、佐々井が林、平岡が李、宮尾が呉だ。背番号は順番に4、5、6。残り二人の松下と松本は長谷部が松下、8番。おれが松本につく。とにかく、相手はゴール下が強いから気をつけろよ。あと、つまらないミスをすんな」
「はい」
 ベンチのメンバーも声を揃えた。
「じゃあ、行こうか」


 ジャンプボールで試合が開始された。山茶花側にボールが渡る。
「一本じっくり」
 山茶花は松下と松本がボール運びをし、留学生三人を使って攻めるのがパターン。
 松下から松本にパスされた。松本は受け取るとすぐに、中に入っていた呉に速いパスを出した。
「宮尾、マーク!」
 言われた時にはもう手遅れだった。あっさりシュートを決められ、先制点を許した。
 つまらないミスをしない、とさっき言われたばかりなのに。宮尾は唇をかんだ。


 その後、西桜の攻撃は思うようにいかず、一方的に林・李・呉にやられまくり、前半を終えて44―6とビハインド。
「完全に向こうのペースだな」
 佐々井が言った。村瀬が応じた。
「ああ、リバウンドが弱いこと、フィジカルで劣っていることを良い様に狙われている」
 宮尾は責任を痛感して、黙っていた。最初のミスで勢いを与えてしまったし、実はまだ一本もシュートが入っていない。
「だが、相手の土俵で闘う必要はない。西桜の強みは何だ、言ってみろ宮尾」
 俯いていた宮尾は顔を上げた。村瀬の表情は、全てを見透かしているようだった。責任を感じて暗くなっていることを悟っていた。
「……外が強いことです」
「そうだ。おまえもいるし、佐々井もいる。後半は二人を中心に攻めよう。平岡と長谷部はヘルプに徹しろ」
「最後まで諦めるなよ。どっかの名言じゃないが、諦めたらそこで試合終了だぞ」
「はい!」
 宮尾は掌で顔を叩いて、気合を入れなおした。
 後半、仕切り直しを図る。

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