見るとは微かに愛することであり、
高校一年の冬、よく晴れた日の午後だった。最寄駅の本屋である詩集を見つけた。一編の詩が目に留まった。雪の降る描写が淡々と続く詩だった。
雪が降っている、
とおくを。
・・・
それから、
日が暮れかかる、
それから、
喇叭(らっぱ)がきこえる。
それから、
雪が降ってゐる、
なほも。
詩は突然終わり、私はその本をそっと閉じた。それから目を瞑った。瞼の裏にまだ雪が降っていた。私はマフラーを巻き直して歩き始めた。
その詩を読んだ日から、私のずっと深いところで雪が降っていた。しんしんと、音もなく、ゆるやかにそれは降っていた。満員電車に揺られる朝に。お昼休みの喧騒の中で。気怠い授業の終わりに。
雪は積もることなく、降り続いていた。だから自分の尊厳をひどく傷つけられたと思う時、理不尽に口をつぐまされた時、いつもこう思う。でもこの人も、私の中に雪が降っているのを知らない。私が何に心を動かされて何を愛しく思うのか知らない。それは混沌とした世界を生きるための小さな盾だった。
小さな町の小さな本屋であの本を見つけて以来、心の一角にその居場所ができた。後に訪れた誰かが買ってしまったかもしれない。あるいは売れ残り、捨てられてしまったかもしれない。けれどそれは問題ではなくて、瞳を閉じた時に、沈黙の中に言葉を探す時に、心の一角にいつまでもあの詩があることが大事なのだ。
目に見えないものが、私が見る世界を美しくするのだと思う。それは忘れない本の一節だったり、誰かが零した一言だったり、あるいは一瞬の景色だったりする。
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