見出し画像

ザクザク戦記 〜アンディ・スニープという男〜

メタラーとは、えてして擬音を使いがちな生き物である。また、擬音によって大まかなジャンルを表現するなどの特徴を持つ。

例えばドラム。同じ2ビートでも「スタスタ」と言えばSLAYERのようなスラッシュメタル、「ドコドコ」と言えばDragon Forceのようなスピードメタルを想起する。

例えばベース。「バキバキ」と言えばKORNに代表されるニューメタル的なスラップを。「ゴロゴロ」といえばSuffocationやCannnibal Corpseのようなフロリダ産デスメタルを思い浮かべたりもするだろう。

ボーカルも「イヤアアアア!」「アアアアライッ!」など。

しかし、やはりメタルの華は何と言ってもギターに違いない。
僕が大好きなスラッシュメタルを表す擬音の代表選手は、やはり「ザクザク」だろう。METALLICAの『Master of Puppets』などに代表されるメタルの基本型だ。


ーーーさて、今回のnoteは、このスラッシュメタルの「ザクザク」をめぐる物語だ。題して「ザクザク戦記」である。

あらかじめ断っておくが、この「ザクザク戦記」は、極めて個人的な見解を僕の脳内で脚色した、かなり極端な物語だ。
史実に忠実な歴史書ではなく、5chで「歴史好きわい、三国志を漫画にしてみたんだがwwww」とスレ立てしてみたレベルのテンションである。どうか目くじらを立てずに、安易に草でも生やしながら読んでいただきたい。

ついでに登場するアルバムを再生しながら読むと、面白さが倍増すると思われる。ギターの音を十分に聴き取れるイヤホンあるいはスピーカーを用意した上で、この先に進んでいただきたい。


ーーーこの物語の舞台は「スラッシュメタル擬音界」と呼ばれる(僕が勝手に呼んでいる)世界である。


いわゆるハイゲインアンプが登場してから、ほぼ全てのメタルは「ザクザク」で表されるようになった。そして現代のスラッシュメタル擬音界はおろか、メタル擬音界はほぼ全てが「ザクザク」の活用形によって成り立っていると言っても過言ではない。

「ザクザク」の活用形は、「ザクザク」「ギタギタ」「ゴリゴリ」の3系統に分かれる。これらの分岐の鍵は、「何を使って攻撃するか?」だ。

まず「ザクザク」。これはナイフや包丁など、切れ味鋭い刃物を使った攻撃を連想させる。刃物でザクザクと細かく切り刻むように、リフを刻み刻み、そしてまた刻みまくる。
野菜のみじん切りに大忙しな餃子屋の店主には、OVERKILLの4枚目『The Years of Decay』を薦めたい。


次に「ギタギタ」。これは斧や鉈、あるいはチェーンソーのような武器をイメージしていただけると分かりやすい。「ザクザク」ほど細かく切り刻まないが、大きな切り口から相手に致命傷を与える。
与作にチェーンソーとEXODUSの3枚目『Fabulous Disaster』を与えたら、ヘイヘイホーしながら山の1つや2つを丸刈りにすることすら容易いはずだ。


最後に「ゴリゴリ」。これは刃物ではなく、己の拳、あるいはハンマーで殴るイメージだ。この界隈ではとにかく腕力がモノを言う。力強くぶん殴った奴が一番強いという、とても単純な世界だ。
ジム通いに挫折しかけたサラリーマンでも、THE HAUNTEDの1枚目『THE HAUNTED』を渡されたら、みるみるケンシロウの二の腕に近づくに違いない。


ここで重要なのは、3系統とも①単独で、②手に持てる武器での攻撃である点だ。
いわばストリートファイトやタイマンの感覚に近く、大乱闘スマッシュブラザーズの1対1対戦を思い浮かべると、やや分かりやすい。

ちなみに「ザクザク寄りのゴリゴリ」などの合わせ技もあったが、スラッシュメタル擬音界は、1998年まで実質的に「ザクザク」「ギタギタ」「ゴリゴリ」の3つによって覇権が握られていたと言えよう。


ところが1999年、事件が起こる。
「ザクザク」を代表する大御所バンド、TESTAMENTが『The Gathering』をリリースした。このアルバムから、男、いや漢たちの戦いの様相は一気に変わることとなる。


『The Gathering』はそのタイトル(集合)の通り、何より攻撃者の頭数が多かった。
ただの「ザクザク」ではない。100人が一斉に切れ味鋭い包丁で刻んでくるような「ザクザク」なのだ。しかもTESTAMENTのギタリストは天下の刻み名人ことエリック・ピーターソン。迫力が違う。

聴くものを完膚なきまでに切り刻み尽くす100人力のザクザクサウンドは、瞬く間にスラッシュメタル擬音界で名を轟かせた。これに続けとばかりに「ギタギタ」と「ゴリゴリ」も100人力となる。単なるヘイヘイホーではなく、組織的ヘイヘイホーになったのだ。
歴史を参照するなら、家内制手工業から工場制手工業への転換がこれに該当するだろう。”The Gathering” には、それほどのインパクトがあった。

そして2005年、もう1つの大事件が起こる。EXODUSが『Shovel Headed Kill Machine』をリリースし、戦いの世界に殺戮兵器をもたらした。そう、1人が扱える武器の量がケタ違いになったのだ。

このアルバムのサウンドを表すには「ギッタギタ」では不十分だ。ゴリゴリでメッタメタのギッタギタでザックザクで…1つの擬音では表現できないほどの殺傷力であり、一度攻撃されたら骨も残らず、その残骸も焼き尽くされて全て灰になるほどである。
これは工場制手工業から工場制機械工業への発展、すなわち蒸気機関の発明によってもたらされた産業革命の戦争バージョンに近い。もし機械化の最先鋒がFear Factoryであるなら、EXODUSは本物の”Kill Machine”、つまり「殺戮兵器」を作ってしまったのだ。

これらのアルバムにより、スラッシュメタル擬音界は、ストリート上のタイマンから世界大戦へと変貌を遂げた。


ーーーしかし、本題はここからだ。実は、これら一連の革命の裏側にはフィクサーがいる。

革命をもたらしたのは、両アルバムを手掛けたサウンドエンジニア、アンディ・スニープだ(経歴などの紹介はWikipediaにお任せする)

ごく簡単に、レコーディングにおけるアンディ・スニープの役割を記すと、

・エンジニア(各パートの音を録る)
・ミックス(各パートのバランスを調整する)
・マスタリング(ミックス済み音源の音圧を調整する)

である。アルバムによって3つのうち何を担当したかは異なるが、不思議なことに彼が携わった作品は、どれも殺傷力が異常に高い。しかもただ殺傷力が高いだけでなく、長時間再生しても疲れない聴きやすさも持ち合わせている。

例えば、アンディ・スニープが携わった作品で、サウンドもリフも最強なアルバムをいくつか挙げると、以下のような具合である。

『Humanicide』 / Death Angel
『Shovel Headed Kill Machine』 / EXODUS
『Firepower』 / Judas Priest
『Gods of Violence』 / KREATOR
『First Strike Still Deadly』 / TESTAMENT
『The Last Kind Words』 / DevilDriver
『Surgical Steel』 / Carcass

これらアルバムのサウンドの魅力を擬音で表すことは、残念ながら僕の持ち合わせている55音ではできないので、とにかく曲を聴いていただきたい。
ただし、あえて「ザクザク」に替わる言葉を探すなら、「速え!強え!かっけえ!」が最もしっくりくる。

またスラッシュメタルではないが、メタルゴッドことJudas Priestの『Firepower』もリストに入れた。このアルバムは、冒頭5秒のギターリフを聴いただけでも定価を払う価値があったと確信できるほどの名サウンドである。
実は個人的には、往年の名盤よりこのアルバムが好きなのだが、その理由はサウンドメイクがあまりにも完璧という、その一点に尽きる。


かくして、主に僕の脳内で繰り広げられた、仁義なきザクザク大戦争の暫定王者はアンディ・スニープとなっている。同時に、ギターの音はもはや1つ擬音では表現しきれないものとなっていったのである。

とはいえ、他にも素晴らしいエンジニアはたくさんいる。PANTERAのサウンドを作り出したテリー・デイト、Fear Factoryサウンドを手掛けてきたグレッグ・リーリー、スウェーデンからあまりにもレベルの高すぎる音を出し続けるイェンス・ボグレン、個人的に2010年代後半のスラッシュメタルで断トツ1位のギターサウンドを届けてくれたFusion Bombの『Concrete Jungle』を手掛けたゼウスなど。数多くのエンジニア達が過去に作ってきた、そして現在も塗り替えられる歴史の延長線上で、アンディ・スニープのあのサウンドがあるとも言えよう。そしておそらく、機材の進化とともに、またメタルの進化とともに、スラッシュメタル擬音界は、今後も発展していくに違いない。


ーーーーー

前半にも書いた通り、この物語ともいえない物語は、全て僕個人の見解に過ぎない。
そしてこの見解の根拠はスラッシュメタルを聴いてきた個人的な感覚、つまり言葉では書き表せない領域にある。というか、もし音楽を全て「言葉」で説明できるのであれば、最初から音楽など存在していないのだと思う。

そして僕の脳内を文章化するにあたって、書かれなかった物事や、省かざるを得なかった登場人物も数多くいる。不勉強と筆力の無さを、どうかご容赦いただきたい。

また願わくば、最後まで付き合ってくださった物好きな皆さんには、この与太話を通して僕の感覚との「差分」のようなものを楽しんでいただけたなら、嬉しく思う。

最初は軽い感じの話だったのになんか真面目な感じ終わっちゃった、次はもっと軽い感じで書きたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?