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生きる→死にたい(生きたい)→

BiSHのモモコグミカンパニーさんが「きみが夢にでてきたよ」でこのように述べていた。

「『仕事がうまくいかなかったから死にたい』という気持ちは、『仕事をもっとうまくこなせるような自分で生きていたい』だし、『忙しくて死にたい』という気持ちは『もっと自分の時間を自由に生きたい』だし、『あの人を傷つけてしまって死にたい』は『もっと優しい自分で生きていたい』ってことだと思う。」

向暑はるは生きる上でとても大切な言葉をもらった気がした。

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「死ぬこと」と「生きること」は紙一重であるという話をよく耳にすることがある。

向暑はるは「死ぬこと」と「生きること」が紙一重であるとは思ってはいない。

「死ぬこと」は「生きること」の延長線上にあるものだからだ。

そもそもこの世界に生まれてこなければ、死ぬことはないし、死んでから生きるということもない。(宗教的な話を除いて)

つまり「生きる→死ぬ」というベクトルはこの世界を生きる上での絶対条件でなければならない。

心身共にズタボロになって生きた先に「死にたい」という感情が生まれ、逆に幸せの絶頂を過ごした先に「もう死んでもいい」という感情が生まれる。

生きて尚、死という感情が浮かび上がってくると思う。

ただ、その死という感情が浮かび上がった先に、モモコグミカンパニーさんのように「死にたい」を「生きたい」に変えることができれば、「死」までのベクトルを伸ばすことができると思う。



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