隅のない重箱
重箱の隅を無駄につつかれる。
これが理不尽な社会であって、正解のない社会で生きるには、受け入れなければいけないことでもある。
ああ言えばこう言う。
一人で決められない社会の新人は、上からの指示を素直に受け入れて、その通りに実行する。
しかしその完成物に対して100点なんてご褒美は与えられない。
欠点の荒探りが始まるだけだ。
もちろん中には賞賛と安心を与えてくれる人だっている。
でも欠点を指摘されれば、その安心さえもなかったかのように、ぶち壊されてしまう。
100人から好きと言われるより、1人から嫌いと言われる方が脳内にいつまでも張り付いているのと同じだ。
終業時、いつもなら社会から解放されるはずの出口も見つからない。
重箱の隅を叩かれすぎてなくなってしまった日は、こうなってしまうのも仕方がない。
何が問題か、どこが矛盾してたか、これからどうするか。
帰路も家も夕飯もお風呂も全てのプライベートであるはずの時間が、社会に支配されている。
目を閉じれば解放されると思いきや、社会の中に眠りはないらしい。
真夜中に一つだけ点いているオフィスビルの光のように、どこかの脳細胞が夜行性になっている。
それでも無理矢理に電気を消す。
目を開けた頃は、目を閉じる前に見た長い針の位置は変わっていなく、短い針は下に一つ落ちていた。
ただの休憩時間だったらしい。
そして日が昇る前には既に社会の中に目覚めていた。
いつもなら質素で味気のない朝食は、平日の昼食のような緊張と不安の味に似ていた。
その緊張と不安のせいなのか、眠気は感じない。
少しだけ空気に靄がかかっているように見える。
それが寝てないせいなのか、気候のせいなのか、耳から流れる音楽のせいなのかは分からない。
大丈夫。
そんな言葉が、耳から音となって脳に語りかけた。
たった3文字の曖昧な言葉。
もっと具体的にと、あの人なら荒探りをするだろう。
でも考えすぎて考えすぎた結果、今はその曖昧な言葉が、全身を包み込んでくれるような心地よさを持ち合わせている。
人生なんて曖昧でいい。
つつく隙さえなくなった重箱は、もはや一周回って強く見えてきた。
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