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生きることはお皿を積み重ねていくこと。どんなときでも。どんなやり方でも。

子供を出産して育児の毎日がはじまった。
妊娠前の日常と、子育てをする日常は、見えている景色、感覚が180度くらいちがう。忙しさ、疲労の質が違うからかもしれない。けど、この日常の感覚の違いをどう表現したらいいのかな、とずっとモヤモヤしていたけど、つい最近、そうか!そうかもしれない!と腑に落ちる表現方法がみつかった。そして夜中3時の授乳修行中に一生懸命メモに書いたら、絶賛寝不足中←

お皿を積み重ねるように、毎日を生きる

私たちは自分の体力やメンタルやパッションみたいなものを駆使して毎日を作っている。
それをお皿を積み重ねていくことにたとえてみる。

たとえば、妊娠前の日常は、お皿をきちんと整列させながら平気で5枚、調子のいいときは10枚でも積み重ねられていたとする。
それが、子育てしている日常になると、やっと重ねられて1,2枚。しかもがったがた。
ダンクシュートばりの気力をもってして、ようやくお皿を重ねているからである。
下手したら一枚も重ねられない日もある。
でもがんばって重ねようとして、お皿を割ってしまって、修復作業という余計な作業が発生したりもする。地団駄ふみたくなる。

そのときだけにフォーカスしてみると、お皿を全然積み重ねられていない自分にヘコむ。でも、長い目でみたら、少しずつでもお皿は積み重ねられている。そして割ったお皿も金継ぎされたりして、なんかいい味だしてる。

たくさん、早く積み重ねるだけがいいわけじゃないんだ、と思う。

そうやって日々を過ごしているうちに、お皿もコレールばりに頑丈になって、ちょっとやそっとじゃ割れなくなってくるかもしれない。
はたまた、金継ぎしたいがためにわざと割るかもだし、色んなお皿をさがしてみちゃうかもしれない。

妊娠前より、お皿をきれいにはやく積み重ねることは難しくなった。
だから、お皿の積み重ね方について、知恵と工夫と考え方でもって、その都度調整していかなきゃいけない。
けど、そうやって工夫したり、ときにはなげやりになりながら過ごすこの日々が、人生の彩りになる。と思いたい。

この育休期間は、ままならない毎日を乗りこなして、ママになっていくこと。
できれば、この気づきと葛藤を伴侶とわかちあえたほうがいい。
でないと、これからの人生のページが同じにならない。

数ページくらいの誤差ならカバーしあえるかもしれないけど、何十ページも違うと、お互いのことがわからなくなる。

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