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与えるほうが結局は多くを得る

最近、新しい人に会う機会がたくさんあるが、そのなかの一人にJさんという人がいる。
Jさんは出会ってまだ、半年もたっていないと思うが、その間にはじめましての周りの人とあっという間に仲良くなり、Jさんのことを心から応援したいという気持ちをもっている人が少なくとも3人はいる。要するに人たらしだ。

Jさんと会ったことは数回しかなくて、大抵はオンラインミーティングやメッセージを交わす間柄だ。

にもかかわらず、どんなときでも、こちらの状況を慮って近況をたずねたり、あるいは自分の最近の状況についてとてもオープンに、率直に語ってくれる。

Jさんと同時期に知り合った人にもいい人はたくさんいる。会えば笑顔で話すし、みんなとても明るくて楽しい人ばかりだ。

Jさんにひときわ特別感というか親近感をもつ要因は、おそらくJさんが「与える人」だからじゃないかなと思う。

先に挨拶をする、先に心配をする、さきに誘う。
人には色んな愛の表現方法があると思う。
Jさんのそれは、「与える」なんだと思う。

でも、なんでも与えすぎるのも、かえって人を委縮させてしまうし、見当違いのものを与えるのは、迷惑になるし、塩梅はなかなか難しい。

人を観察し、その人のほしいものを自分の真心と一緒に与える。
これがいちばん受け取りやすい「与える愛」なのかな、と思う。

どんな愛の渡し方、受け取り方がいいのかは人によると思う。
むかし、誰かが言っていた。
「やさしさは、人それぞれに自分がこれまでにうけてきた優しさや愛情をもとに形成されていくから、オーダーメイドなんだよ。」

自分が受けて、そしてそうされたいと願うやさしさや愛の表現方法を駆使して活用した結果、受け取る側にとっても心地よいのが、相性の良い関係性なのかもなーと思う今日この頃。



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