三題噺【茜紅】

『いきあたりばったり』の掲載作品です。修正しています。
【花、アクリル絵の具、家族】
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放課後。
茜色の教室。
瓶に入った花。
独特のにおいがする、美術室。
私は別に美術部員じゃない。
ただ、開いていたから入っただけ。
書きかけのデッサンが壁の前に並んでいる。
本当の美術部員たちはたまたま出払っていてここにいない。
そう考えるのが筋だろう。
デッサンはどれも上手で嫉妬する気も起らなかった。
どれも「写実的」で「現実味」のある作品だった。
全てのデッサンを見て回り、教室を出ようとした。
その時、美術室の端に後ろを向いた額が飾ってあるのを見つけた。
不自然で、美術室に溶け込んでいないその額に、
その中にあるであろうまだ見ぬ絵画に、
心惹かれる音がした。
少しだけ、チラ見だから。
そう思って、その額に手を伸ばした。
−−教室の茜色が、絵の具となって染み出したのかと、本気でそう思った。
そこには花が。瓶に入った花が描かれていた。
燃えるような茜色の背景に、
鮮烈な黄色、
ほのかな桃色、
冷める水色、
深い藍色、
美しい花弁が乱れた。
使用しているのはアクリル絵の具。
全校生徒が持っている、学校で買えと言われたあの画材でこんなにも燃えるような絵が描けるのか。
心が沸き立つ。
目が離せなくなる。
惹きこまれる。
吸い込まれる。
花に。
茜色に。
作者名には『榊 紅』、制作日は『1998.5.27』、タイトルは『家族』。
もう何十年も前の、作品が色褪せることなく美術室の端で佇んでいたのだ。
しばらく見つめていた。
時間の感覚なんてものは溶けて消えてしまっていた。
遠くから聞こえてくる運動部の掛け声や吹奏楽部の音色やおしゃべりの声が美術室を満たしているのに、それでもここは静かだった。


———それは、遺作なんだ。———
不意に近くで声が聞こえた。
振り向くと、美術の先生が立っていた。


———遺作?———


自分の言葉が空虚に聞こえた。
この静かな空間にあう声だと思った。


———あぁ。榊さんは、この絵を描いた後に。———


気が付いたら、先生はいなくなっていた。
何か話していたような気もするしそうでないような気もする。
気が済むまで見ていいと、言われたような気がする。
絵を眺めていた。
様々な角度からなんて無粋なことはせずただただ真正面から。
眺め、見つめた。


———その絵を、渡したかった。———


遠くの近くで、声がした。


———見てほしかった。———


透き通って、私の中に入ってきた。
声は柔らかく、確かな重みがあった。


———きれいね。———


感想なんていらない。
思ったことが口から出てきた。
それだけだった。
少しの沈黙の後に、小さな声。


———ありがとう。———


気が付いたら、茜色は藍色に。
聞こえていた遠くのざわめきは無に。
絵の中の花は褪せて。
私は静かに、美術室を後にした。

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