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人生に迷う全ての人へ送る「あきらめること」のススメ

「絶対に諦めない」

これは私の生き方そのものだ。
中学時代、運動音痴で運動会のかけっこが特に嫌いだった私は、ひょんなことから陸上部に入部し長距離を専門とすることとなる。
案の定、最初は全然ダメだった。周りに全くついていけなかった。
でも練習で走りこめば走りこむ程体力がつきタイムは伸びる。
中学最後の試合では駅伝の区間賞をとることとなる。諦めないことって大切なんだ。
最初に思った経験だった。
引退後、高校受験もD判定から諦めずに勉強し志望校に合格。
諦めなくてよかった……。心からそう思った。
その後は挫折もあったが、結果はどうであれ、諦めずに努力できたことには納得していた。
いつしか苦しい状況でも諦めない心こそが私の良いところだと思うようになっていた。
そうやって生きてきた自分を誇らしく思っていた。

そのため「諦める」=ネガティブなイメージで
根性がないとか、情熱がないとか、ダメなことの代表のように感じていのた。
それがどうだろう。
今まさに私は「諦める」ことが暗闇を照らす太陽のように明るいものに思える。
諦めるってこんなに前向きなことだったんだ……と「諦める」ことの意味・概念を捉えなおさざるを得ない。

現在の私は所謂バリキャリ女子と言われる類に入る。
仕事は頑張れば頑張るだけ成果が出て評価され、20代後半で課長という役職も頂いている。仕事はやりがいもあるし、上司も尊敬しているし、部下も可愛い。収入にも満足している。
そんな私も数年前に結婚した。
仕事は変わらず続けている。
結婚したからといって仕事の量が変わるわけでもなく帰宅は平均22時、遅い時は終電で0時を過ぎることもある。
平日無我夢中で仕事をしていることと引き換えに、部屋は散らかり週末片付け、料理も平日は作れずコンビニやスーパーで買ったものを食べ、週末は平日の疲れで昼まで寝ている。
夫も幸いなことにそれに全く文句は言わずこの生活に満足しているそうだ。
しかし私はといえば正直この生活でいいのか、すごぶる迷っている。

本当は毎日美味しい料理を作って身体を大切にしたい。夫の身体も気遣ってあげたい。部屋も毎日綺麗にして、気持ちの良い朝を迎えたい。
結婚前は「仕事も変わらずバリバリやって、料理も週末作り置きしたりいろいろ工夫したりして頑張ろう♪」
そんな風に思っていたが、現実の私は仕事と理想的な丁寧な暮らしを両立出来るほど器用な人間ではなかったようだ。
本当は全部全部頑張りたいのに。
そして、これだけが心の声だったらまだ良い。
更に私は、そんな風に家庭との両立を望む一方で、人事異動の季節には、同僚が東京への異動を叶える様子に羨ましい気持ちが芽生えるのだ。
私は福岡で生まれ福岡から出たことがない。
福岡で仕事に恵まれ、夫とも出会い結婚生活を送っている一方で、人生で一度は日本の最先端である東京に住んでみたいという気持ちがいつからか沸々と湧くようになった。
とはいえ、近いうちに子供も欲しいのに、ここで一人東京に異動希望を出し別居婚をするほどの情熱があるかと言われると言葉に詰まる。
こんなブレブレで我儘な様子にこの記事を読んでくれているあなたもそろそろ呆れているだろう。
一体、私はどんな生き方がしたいんだろうか。
もう何から考えたらいいかわからないくらい、感情と現実、いろいろととっ散らかっている。

そんなとき、ネットで「諦める」=「明らめる」であるという言葉を目にする。
諦めとは本来悪い意味ではないらしい。
どういうことだ。私の知っている「諦める」となんか違う。
これはお告げだろうか。
「明らめる」を辞書で調べると事情や理由を明らかにする。はっきりさせる。と出てくる。
調べ進めると「明らめる」とは物事をはっきりさせて事実を明らかにし、それを受け入れることであると教えてくれた。

ああ。私は諦めずに進んできた結果上手くいったと思える過去にすがり、何かを手放し諦めないと全てを一度に手に入れることはできない現実を、受け入れることができなかったんだな。そんな風に思った。
真っ暗な道に太陽が照らされたようだ。

「諦め」=「明らめ」でむしろ前向きに生きていくための心得で人生にとって必要なことだと捉えなおすとなんだか心が軽くなる。
真っ暗な道を明るく照らして、明らかにみることで、自分にとって何が一番大切なのか見極めようじゃないか。
これからは積極的に明らめて諦めていこう。
まずは「諦めないこと」を美徳としていた価値観を手放すことから。


さあ、視界が開けてきた。

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