父が作るチャルメラは格別だった

私は母から、
虐待を受け育った。

その反面、
重度障害を患う妹はお姫様扱い。

自分の居場所なんてなかった。

真冬の寒空の中、
ベランダへ追い出されたり。

突然殴られたり。

母を怒らせれば、
躾と称した暴力や軟禁はしょっちゅうだったのだ。

父は、
母に抗えない。

なぜかと言うと、
父は母を溺愛していたからだ。

10歳以上も歳上だった父は、
母に嫌われることを恐れたのだろう。

躾と称した虐待を受ける私を助けるでもなく、
ただただ黙ってうつむいていたのだ。

私は父から直接、
身体的虐待は受けていない。

しかし、
見て見ぬふりをしていたことを考えると、
間接的に虐待をしていたことには変わりないだろう。

母は妹を溺愛し、
食べ物にも工夫をしていた。

添加物を極力控えた食事。

もちろん、
お菓子・レトルト・冷凍食品・ジュースは食べさせなかった。

それは、
私に対しても。

テレビのCMで流れるお菓子を見ては、
子どもながらに「食べてみたい」と思ったものだ。

母に逆らうものは家族に存在しなく、
みんなが母のイエスマンだったように思う。


父は日曜日、
母の留守を狙ってチャルメラを作るようになった。

父はいつも、
鍋ごとチャルメラを食べる。

たまに落とし卵を入れたりして。

鍋と菜箸を持ち、
あぐらをかきながらチャルメラを食べる。

私はそんな父を見て、
羨ましく思った。

そしてこれは、
母に対する小さな抵抗だとも感じたのだ。

私は、
「お父さん、私も食べてみたい」と声をかける。

すると父は笑って、
「お母さんには内緒だぞ」と言いながら鍋と菜箸を渡してくれた。

父は、
私ように小分けのお皿を出すこともない。

そのまま食べろと言わんばかりに、
鍋と菜箸を渡したのだ。

初めて食べるチャルメラに、
感動を覚えた私。

そこからは、
母が留守にしている日曜日は父と秘密を共有する時間になった。

父はきっと、
私がインスタントラーメンに興味を持っていたことを知っていたのだろう。

だから、
母が留守の日を狙ってチャルメラを作ったと思う。

虐待、きょうだい格差が激しかった母は、
私を優先にすることはなかった。

だからこそ、
日曜に作ってくれる父のチャルメラには格別さを感じたのだ。

父が生きていたら、
一言言いたい。

「私にチャルメラを作ってくれて、ありがとう」と。

父と一緒に食べたチャルメラは、
世界で一番美味しいチャルメラだった。

私はこの家にいていいと、
存在意義を確認できた。

父のチャルメラは、
不器用な父の唯一の愛情表現だったのだ。

チャルメラを食べるたび、
父の笑顔を思い出す。

育った環境は最悪だったからこそ、
小さな幸せに感謝ができた。

お父さん、
ありがとう。


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