子どもが予期せぬ夏を連れてきた…親の嫌いなものに子どもが興味を持った夏
予期せぬ夏になりました。コロナではないです。セミです。蝉。
(この後、セミの写真が出てきますので苦手な方はそっ閉じしてください)
うちには4歳2歳がいるのですが、今夏めっちゃセミにハマりまして。セミの抜け殻を集めまくったり、道路に転がっているセミを拾ったり、「香川照之の昆虫すごいぜ!8時限目セミ」の録画を見まくったり、とにかくセミ大好きな夏を過ごしております。
セミの抜け殻を探していたら、セミの幼虫を発見し、持ち帰って網戸にとまらせて羽化も観察しました。
しかし、母である私はセミが嫌いです(笑)セミ爆弾には何度どなくビビらされてきましたし、道路に転がっているセミを見たら全力で避ける人生を送ってきました。
ただ、親になってみて、子どもがこんなに興味を持っているものを「ママが嫌いだからやめて」というのもなんか違うなと思いまして。
一念発起して、セミと向き合う夏にしてみようと思ったのです。(大げさ)
33歳の夏:WITH セミ
虫はそんなに得意ではありません。ゴキブリが出たときにはゾワッとして吐きそうになり、夫が「地主さんからカブトムシもらってきた!」と言ってきた日には怖くて泣きました。(カブトムシがゴキブリにしか見えなかった)
しかし、娘も息子も虫が大好き。ダンゴムシ程度なら良かったものの、チョウの死骸やコガネムシの死骸を宝物のように収集するようになってからはゾッとする思いでした。うちにある三輪車には荷台がついているのですが、だんだんと昆虫の死骸でいっぱいになっていき、どうしたものかなと思案する日々。
ただ、「親が嫌いだから子どもにもやめさせる」というのは申し訳ない気がして、せっかく興味を持っているのだから自由にやらせてあげたいと葛藤していたものも事実です。
子どもが小さいうちは親が率先して調べるしかない
4歳と2歳。まだ自分で調べたり、興味関心を広げたりする工夫はできません。子どもに聞かれれば親が調べて教えてあげなきゃいけないし、生きている虫を見たいとあれば親が体を張ってつかまえるしかありません。
親の関心度合いで、子どもの興味をつぶしてしまうかもしれない。これはなかなかのプレッシャーでした。
しかしそこは、ザイオンス効果とマルチポテンシャライトなわたしの特性が活き、徐々に解決。子どもたちから「セミを拾って!」と泣かれてしぶしぶ拾うたびに、子どもたちが小さな手でセミが止まっているねと木を指さすたびに、だんだんとセミに愛着がわいていき、一定のところまでくるとわたしの興味に火が付きました。着火すればもうそこからは早いです(笑)セミまっしぐらです。オスメスの判断もつくようになりました。
ザイオンス効果とは、同じ人や物に接する回数が増えるほど、その対象に対して好印象を持つようになる効果のことです。1968年に、アメリカの心理学者ロバート・ザイオンスが広めました。彼の名前が「ザイアンス」と表記されることもあることから、「ザイアンス効果」と呼ばれることもあります。
マルチ・ポテンシャライトとは、一つのことに専心せずに、次々興味のあることに移っていく特性を持つ人。マルチ(multi: 複数の)+ポテンシャル(potential: 潜在能力)+アイト(-ite:人)から成っている。
子どものおかげで知らない世界に出会う
セミ程度で大げさだな~と思うかもしれないのですが、子どもたちの興味ってどんどん移動して広がっていくんですよね。例えば、うちの場合だと恐竜。まず4歳娘がハマり、恐竜博物館に行ったり、BBCの番組を見まくったり、恐竜図鑑を読み聞かせしたりしました。すると、恐竜から派生して、絶滅理由(火山や隕石)、歴史(どれくらい前に恐竜は生きていたのか、人間はいつ登場したのか)といったさまざまな方向に興味の枝葉が広がってきています。
「水に生きていた魚に足が生えて、陸に来て、だんだん大きくなって恐竜になっていったんでしょ?人間は、最初はなんだったの?人間もお魚なの?」と4歳に聞かれたときはちょっとびっくりしました。恐竜の進化の過程を理解し、人間にも進化の過程があると仮説を立てる。めっちゃ賢い。
だから、「たかがセミ、されどセミ」なわけです。ここからどんな風に興味が広がっていくのかと思うとワクワクします。親であるわたしがセミに愛着を持つことができて良かったな~と思うのです。
わたしは今まで恐竜や昆虫に興味を持つことはありませんでした。子どもたちのおかげでわたしの知識や世界も広がり始めているなって思うとドキドキします。ひとたび社会に出ると、仕事に関する知識は増えるけど、予期せぬ世界や新しい趣味にたどりつくような余裕はなかなか持てないんですよね。
子どもって本当におもしろいなと思うし、改めて、自分とは違う人間なんだと思い知らされます。
子どもは親とは違う人間だし、親の所有物でもない
わたしとは全く違うものに興味を持ち、独自の感性を持つ子どもと一緒にいると、「みんなちがってみんないい」ということをひしひしと感じます。
親は子どもを監督するなかで、自分の意に沿わないときは言うことを聞かせがちだし、そうしなければならないことももちろんあります。でもやっぱり、自分とは違う人間で、親の考えを一方的に押し付けてはいけないし、どこまで干渉するかもむずかしいなと、セミの一件で思ったのでした。
わたしがセミを嫌いだからとセミから離れさせたらどうなっていたのだろう。子どもたちの興味は他にうつったのだろうか。セミ大好きでそれを一緒に楽しめるようになった今、ここから興味の枝葉は広がるのだろうか。
飛躍しすぎかもしれませんが、そんなことまで考えた夏でした。セミ、奥が深いな。
おしまい。
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