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幼少期のおでかけは記憶に残らないから意味がない?2歳8か月娘の記憶

「ネコちゃんにご飯あげるところ行きたい」

昨夜、4歳の娘が突然言い出した。

「(あ~そういえば今年入ってすぐネコカフェ行ったな)ネコカフェでしょ?いいよ」

「違う!ネコカフェじゃない!もっと遠い電車の旅で行ったところ!」

え?ネコカフェじゃないならどこやねん。ネコカフェも電車で行ったし、他に思い当たる節がないな…サファリパークのネコの館かな?

2歳8か月の記憶

その後、何度も会話のキャッチボールをして、ようやく特定に至った。娘が言っていたのは、2歳8か月の時に行ったオービィ横浜だった。

わたし:釣りみたいな棒でネコちゃんと遊んだ?
むすめ:遊んでない。
わたし:えじゃぁネコカフェじゃないな。動物園?富士サファリパーク?
むすめ:ちがう。
わたし:う~ん、あとはなんだ。ネコちゃんの餌はガチャガチャのカップだった?
むすめ:違う、お皿だった。もっとすーちゃんが赤ちゃんだったとき行ったところ!
わたし:つぶつぶご飯?かつおぶし?
むすめ:かつおぶし!
わたし:あ!わかった!オービィ横浜!?ヒヨコとかインコとか鳥さんいたよね?
むすめ:(笑顔になる)いた!鳥さんいたよ!

これはけっこう驚いた。正直、2歳の記憶なんてあまりないと思っていたのだ。私自身の過去の記憶も一番古いものは3歳半のころ行ったディズニーだったし、夫に至っては4歳すぎだという。

それもあって、夫は「小さいころに遠出するのはお金の無駄。もっと大きくなって記憶に残るようになったらでかけようよ」と言っていたのだ。

記憶に残らなくても脳には大事

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ではなぜ、記憶に残らないと高をくくりながらもわたしはおでかけしていたのか。思えば娘が1歳頃から頻繁に外出していた。夫が反対するので主に娘と二人だ。(当時夫は激務だったため、そもそも一緒に行く時間もなかった)

それはやはり、脳研究者の池谷さんの影響が大きい。彼の著書によると、たとえ記憶に残らなくても、脳の発達にはさまざまな刺激が必要で、多様な経験は決して無駄にはならないという。

池谷さんの著書を読んで以来、わたしは娘の記憶に残らなくてもたくさんの経験をさせようと心に誓い、夫の「記憶に残らないからおでかけは無駄」という意見を却下してきた。

はじめて動物園に連れて行ったのは1歳に満たないころだし、温泉も1歳前後だったと思う。(さすがに大浴場は無理なので客室に露店風呂がある部屋にした。雪が舞う箱根で、娘にとって初雪だった)

「記憶に残らなくてもいいや」と思いつつでかけていたので、娘が2歳の記憶を持っていたのには少し驚いた&うれしかった。毎日見るものが新鮮だろうし、いろいろな知識を覚え、記憶が積み重なって、2歳の記憶はそんなにないだろうなと思っていたのだ。少し突っ込んで聞いてみると、1歳後半~2歳になったばかりの記憶もかなりあった。

記憶に残らないと親が勘違いするのは、子どもの語彙力が少ないから

娘はいろいろなことを覚えているが、商業施設の名前や地名などの知識がないため、親に「楽しかった」「また行きたい」などと伝えることができなかった様子。

オービィ横浜も、わたしはずっと「それネコカフェでしょ」と決めつけていたし、娘が「ネコカフェじゃなくて、透明な壁で、トイレみたいなドアだった!」と言っていても「ネコカフェのドア、いつも行くショッピングモールのトイレと同じ色だったよね~」などという始末だった。

子どもの語彙力が少ないく、うまく伝えられなくて親が勘違いしているケースは多いのかもしれない。会話がかなり達者になってきた4歳でさえこうなのだから、まだ語彙力が少ない2歳が伝えるのは至難の業だろう。

娘の初ディズニーは1歳の誕生日だったが、もしかしたら語彙力がないだけで、ディズニーランドにまた行きたいと思っていたかもしれないなぁと思ったのであった。

親が思ったより子どもはいろいろ覚えているよ

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昨夜の出来事で、子どもは親が思う以上にいろいろなことを覚えているんだなと感じた。

息子は2歳2か月。娘より言葉が遅い分、まだまだ赤ちゃんだと思いがちだけど、たくさんのことを記憶していると肝に銘じて、いろいろな経験をさせてあげたいなと思う。

子どもはこうだと決めつけずに、親が考える以上にいろいろなことができると思って接していこうと感じた出来事だった。

おしまい。


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